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北海道の廃線跡探訪 第37回 名寄本線(6/7)小向~中湧別~湧別間


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます。

北海道の廃線跡探訪第37回 名寄本線名寄~遠軽えんがるその6 小向こむかい中湧別なかゆうべつ~湧別間です。

路盤は、この区間でも国道つけ替えにより改変されつつあります。
沼ノ上ぬまのうえにはホームが半分ほど保存され、シブノツナイ湖川にはガーダー橋があります。旭の待合室は倒潰してしまいました。

なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。

2.小向~沼ノ上

1/5万地形図「上渚滑」昭和50年修正「中湧別」昭和51年修正に加筆

小向からの路盤は、小向十四線から次の踏切跡まで1㎞近くよい雰囲気の未舗装道となっていたが、2020年には道路化工事が進んでいた

①小向十四線道路踏切跡から弘道方を望む 道路化工事直前? 2020年10月撮影

国道がS字カーブを描き路盤と離れるところから、新設道路は防雪林の南西側となる。

②左方へ曲がる新設道路から分かれてきたた路盤 小向方を望む 2023年10月撮影

弘道こうどうも1956(昭和31)年5月設置の仮乗降場からのJR昇格組で、駅跡はまったくのヤブだったが、この前後は道路化工事からはずれている。

③弘道駅跡 2016年9月撮影

待合室は、小向小学校に移転保存されたが、小学校が移転した現在では跡地に放置されている(前回参照)。

弘道の先のオンネコムケナイ川にも痕跡はなく、その先の架道橋があった手前から1㎞弱は、再び道路化区間となる。

秋平川には国道から堤防を歩いて行けるはずだったが、折悪しく工事中だったので、弘道方の踏切跡から築堤上をヤブこぎして行ってみたが、痕跡はなかった

共進川の橋は国道からは見えなかったが、川岸を少しヤブこぎすると橋台を見ることができた。国道橋の銘板には安直にも「渓流」とある。

④共進川に残る橋台 2016年9月撮影

3.沼ノ上~中湧別

1/5万地形図「中湧別」昭和51年修正に加筆

沼ノ上も、駅構内を迂回していた道路が直線化されている。
断ち切られたホームは、旭方は、模造駅名標とともに保存されている。弘道方は、構内を削った残土なのか、土盛りを越えていくと、ヤブに埋もれつつも残っていた。

⑤沼ノ上のホームと模造駅名標 2023年10月撮影

沼ノ上からも国道に並行、シブノツナイ川には橋の痕跡はなく、ここから湧別町に入る。

その先のシブノツナイ湖川にはガーダー橋が架かっており、国道からもよく見える。

⑥シブノツナイ湖川に残るガーダー橋 2020年10月撮影

中ノ沢川と東ノ沢川が合流するところには橋台がある。補強のためか橋台同士がレールで結ばれていた。

⑦中ノ沢川と東ノ沢川合流地点の橋台 2016年9月撮影

路盤はあいかわらずのヤブとなり、旭へ続いている。

1946年9月、仮乗降場として設置、10年後に昇格したは、湧別町から旧上湧別町へ入ったところにあった。
元の取付道路はヤブ化しており、家電製品などが捨てられていた。
路盤だったらしきところは樹木がまばらなだけで、うっそうとしたヤブだが、左方の一段高いところに待合室がかろうじて残っていた

⑧残っていた待合室 2016年9月撮影
⑧倒潰した待合室 2023年10月撮影

2023年10月再訪すると、元の取付道路はいっそう濃いヤブになり、もはや駅跡はおろか、路盤さえどこだかわからないような状態になっていた。
ヤブに突入すると、わからなかったのも当然で、待合室は倒潰していた

旭から路盤は残土置場となり、ダンプカーが行き交っていた。

1957年8月設置の川西かわにしも、1959年11月、仮乗降場から駅に昇格している。
跡地は空き地となっているが、その先には盛土がなされていた。

⑨川西駅跡 2016年9月撮影

湧別川には堤防から行ってみたが、築堤は崩され、第3湧別川橋梁の跡もない。築堤があったあたりの堤防の形が他とやや異なっているのが名残かと思えるだけだった。

湧別川を渡ると、路盤はほとんど消失、国道242号の跨線橋は平面化されている。ここから中湧別市街に入り、路盤は大きくカーブし、やがて湧別への支線と並ぶあたりから立派な舗装道路となり、中湧別構内へ入っていく。

中湧別は、名寄本線・同支線(中湧別~湧別)・湧網線が合わさる一大ジャンクションだったが、すべての路線が廃止された現在、広大な構内跡地には、道の駅「かみゆうべつ温泉チューリップの湯」をはじめバスターミナルも入る、「湧別町文化センター TOM」など、立派な施設が建ち並んでいる

⑩中湧別駅跡 ホームの端から北勇方を望む 右が道の駅 2022年5月撮影

そのなかに、ホームの一部と跨線橋、車掌車ヨ3500形4輌・排雪モーターカーが保存されている

⑩中湧別駅跡に保存されている跨線橋・ホーム、ヨ3500形ほか 2022年5月撮影

ヨ3500形は2輌1組(4421+4433、4407+4430)で展示室(鉄道資料館)として活用、上掲の道の駅のホームページには、見学希望者は文化センターTOMに連絡を、とある。

鉄道資料館となっている車掌車の内部 2022年5月撮影

本来黄色のはずのモーターカーまで黒色に塗られ、車掌車の端面に現役当時にはなかったはずのJNRマークが書かれているが、保存状態は悪くない。

ホームに上がると、感知センサーにより当時の案内放送が流れ中湧別駅の雰囲気を感じることができる

⑩中湧別駅のホーム 2016年9月撮影(冒頭写真は2010年8月撮影)

一角に立派な石碑もあるが、中湧別駅を記念するものではなく、中湧別保線区の碑だった。駅跡は自明ということなのだろうか。

⑩中湧別保線区之碑 2010年8月撮影

道の駅をはじめ、周辺施設を訪れる人は多く、今でも町の中心部になっており、行き交う人やクルマは少なくない。
跨線橋や車輌が目立つためか、中湧別駅跡にも観光客の姿がよく見られる。

4.中湧別~湧別

通称湧別支線は、中湧別から一直線に湧別に向かっていた。
路盤は広い歩道と並木のある舗装道路に生まれ変わり、鉄道線路の面影はない。

⑩駅跡から四号線方を望む 右がバスターミナル(湧別町文化センター TOM) 2016年9月撮影

1955年12月仮乗降場として設置、JR昇格組の四号線しごうせんも、休憩所「リララの広場」あたりかと思わせるだけである。

⑪四号線駅跡にあるリララの広場 2016年9月撮影

路盤転用の道路は、旧湧別駅構内の手前で元からの道路と合流、旧構内には文化センターや図書館など各種の公共施設が建てられている

⑫湧別駅跡 四号線方を望む 2020年10月撮影

駅舎に突き当たっていた駅前通りは駅裏へ延長され、ちょうど駅舎があったあたりの歩道に、「湧別駅の跡」と書かれた小さな記念碑があり、ささやかながら駅があったことを示している。

⑫消防署前の歩道にある記念碑 2020年10月撮影

今回はここまでです。

おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。

次回は中湧別から終点遠軽へ向かいます。

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