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北海道の廃線跡探訪 第22回 函館本線支線(上砂川支線) 砂川~上砂川間


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます。

北海道の廃線跡探訪第22回 函館本線支線(上砂川支線)です。

なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。

2.上砂川支線小史

通称上砂川支線と呼ばれた函館本線支線は、1918(大正7)年11月三井鉱山(三井砂川炭鉱)の専用線として、砂川~上砂川間6.9kmが開業1926(大正15)年8月国有化され、一般営業(旅客・貨物とも)が開始された。
函館本線の一部ということから、国鉄再建法による指定路線にはならなかったが、1987(昭和62)年3月の三井砂川炭鉱閉山により存在意義を失い、北海道旅客鉄道に継承後の1994(平成6)年5月16日廃止された。

3.砂川

1/5万地形図「砂川」昭和34年修正測量に加筆

上砂川支線砂川駅の東側から、歌志内線とは逆に札幌方へ分かれていた。駅構内からすでに線路は斜めになっており、函館本線のホームとは長い跨線橋で結ばれていた。
その跨線橋も私鉄の接続駅によく見られた、途中から一段と狭くなったり貧弱になったりするもので、上砂川支線専用部分は窓の小さな薄暗い木造だった。ホームも曲線上に無理につくられた感じで、同じ国鉄なのに上砂川支線が気の毒に思えた。
これは、上砂川へ向かう地形的条件もあったのだろうが、貨物専用線から始まったこととも関係しているかもしれない。

営業当時の上砂川支線砂川駅ホーム 車輌は贅沢にもキハ54 1988年9月撮影

現在では、その跨線橋も本線部分だけになり、それとは対照的な、立派な東西自由通路もできている。

本線部分だけになっている砂川駅の跨線橋 左端は自由通路 2009年9月撮影

上砂川支線のホームがあったあたりには、広大な駐車場のある地域交流センターや団地が建てられ、道路や地形も変わっている。
老人ホームが元の線路敷地に沿いに斜めになっているのが唯一の名残だろうか。

上砂川支線のホームがあったあたり 2009年9月撮影

4.砂川~うずら

東一線道路とクロスするまで路盤の痕跡はないが、ここからしばらく道路と並行する空き地となっている。

東一線道路から下鶉方を望む 2009年9月撮影

道央自動車道の先では墓園に取り込まれて消えているが、墓園を過ぎたところにある道路にはレールが残る踏切跡があった。

レールの残る踏切跡から下鶉方を望む 2009年9月撮影

ここから路盤は作業道となって、道道115号近くまで続いている。
道道の手前で作業道は終り、路盤は再びヤブになる。上砂川町に入るとすぐ第1歌志内川橋梁パンケウタシナイ川を渡るが、河川改修のためか痕跡はない。
川を渡り南側に住宅が密集してくると鶉地区となる。
上砂川支線の駅名は、砂川と鶉のバリエーションだけで、さらに「砂川」は、アイヌ語の砂の多い川(オタ・ウシ・ナイ)から来ているので、「歌志内」も「砂川」も同じ意味となる。
1959(昭和34)年5月仮乗降場として設置、12月駅に昇格した下鶉しもうずらは、道道に沿って並ぶ商店の西端に、コンクリート造の小さな駅舎があった。

下鶉駅舎があったところ クルマと建物の間 2009年9月撮影
廃止後の下鶉駅舎 1996年6月撮影

今ではバス待合所が建っているだけで、駅舎から階段を下りたところにあったホームなどの痕跡はない。

下鶉駅のホームのあったところから砂川方を望む 2009年9月撮影
廃止後の下鶉駅ホームから上砂川方を望む 画面左が駅舎への階段 1996年6月撮影

その先で道道から離れ、再びパンケウタシナイ川を渡るが、ここには赤いガーダー橋の第2歌志内川橋梁が残り、上砂川支線跡で最大の見どころとなっている。
この鉄橋は道道からも見え、路盤はヤブだが、鶉方の住宅街からは何とか歩いていくことができた。

第2歌志内川橋梁 2023年9月もそのままだった 2009年9月撮影
鶉方から第2歌志内川橋梁へ向かう路盤 2009年9月撮影

5.鶉~上砂川

鶉附近の路盤は砂利道や空き地となり歩くことができる。

鶉駅跡から下鶉方を望む 2009年9月撮影

鶉も1948(昭和23)年12月設置の仮乗降場で、1953(昭和28)年10月駅に昇格している。

営業当時の鶉駅 1988年9月撮影

は無人化された後、事務室部分が喫茶店「うずら館」となっていた。
廃線後は商店として使われていたが、やがて閉店した。

店舗となっていたころの旧鶉駅舎 2009年9月撮影

2023(令和5)年9月には、入口車寄せはブルーシートで覆われ、屋根のトタンもはがれ落ちるなど、将来が案じられる状態だった。

旧鶉駅舎 2023年9月撮影
鶉駅構内から東鶉方を望む 右の赤い屋根の建物が旧鶉駅舎 2009年9月撮影

ここから東鶉まで、路盤は道路沿いの空き地になっているが、1959(昭和34)年12月設置された無人駅の東鶉には東鶉歯科診療所が建ち、痕跡はない。

東鶉駅跡の歯科診療所 上砂川方から鶉方を望む 2009年9月撮影
営業当時の東鶉駅 上写真とほぼ同じ地点 1988年9月撮影

路盤は歌志内市文珠へ抜ける、道道114号との踏切跡から道路化されているが、上砂川町役場の裏手あたりから再び現れ、そのまま上砂川構内へ入っている。

道道114号踏切跡から東鶉方を望む 2009年9月撮影
道路化区間から分かれ復活する路盤 上砂川方を望む 2009年9月撮影

6.上砂川

上砂川町の人口は最盛期には32,000人を越えたが、2023年には2,500人あまりになっている。
歌志内市と違うのは、炭鉱が三井砂川炭鉱だけだったことで、一つのヤマと盛衰をともにした町である。

営業当時の上砂川駅 1988年9月撮影

上砂川駅舎のあったところは新しい道路と公衆便所の横の駐車場あたりになる。

駅舎の位置はこの左側あたり 2009年9月撮影

駅舎は90度向きが変えられ、にあったスユニ60 218(鋼体化改造の郵便荷物車。200番代は北海道用)とヨ8055が保存されている。

旧上砂川駅舎 2009年9月撮影

駅舎に向きを揃えて線路方向とは直角に新設されたホームには、駅名標と名所案内も建てられている。

新たにつくられたホームから見た旧上砂川駅舎 2023年9月撮影

スユニ・ヨともに最終配置は釧路だったから、上砂川支線に縁があるとはいいがいが、スユニ60形としては現存唯一の貴重な車輌である。スユニは本来茶色(ブドウ色)だったが、青色とも濃灰色ともつかない微妙な色になっていたが、今では茶色にも見える。
にあった時はライダーハウスとして使われていたので車内は改装され、旧郵便室内にはテーブルやイスが置かれるのが見えた。

スユニ60 218 2023年9月撮影

上砂川駅は、テレビドラマ「昨日、悲別で」「悲別駅」として登場、一躍知られるようになった。そのためか、駅舎には悲別駅の看板の方が目立っている。

車寄せ右側の悲別駅の看板 2009年9月撮影

待合室には最後の改正だった、1994(平成6)年3月の時刻表も掲げられ、たまたま訪れた人が、7時台から14時台まで7時間も列車が来ないのに驚いていた。

待合室に掲示されている時刻表 2009年9月撮影

写真やポスターなども展示されているが、映画関係が主上砂川支線の写真はほとんどなく、ここでも「上砂川駅」というより、「悲別駅」としての扱いのようにみえる。

待合室内部 2009年9月撮影

駅舎以外に上砂川支線の面影はなく、新しい道路もできるなど、あたりは様変わりしている。
構内にあった三井砂川炭鉱の巨大な選炭場も姿を消し、だだっ広い草原となっている。

旧駅舎附近から終端方を望む 右が三井砂川炭鉱の中央竪坑櫓 2009年9月撮影
キハ56系で運転された上砂川支線のさよなら列車 1994年5月撮影

7.かみすながわ炭鉱館

南東方向には三井砂川炭鉱の中央竪坑櫓だけが変わらずに見えている。この竪坑櫓は閉山後、無重力実験センターとして使われていたが、現在では閉鎖されている。

無重力実験センターとして使われていた三井砂川炭鉱の中央竪坑櫓 2009年9月撮影

竪坑櫓と道路を挟んで反対側にある、「かみすながわ炭鉱館」は一時閉館していたが、2023年現在では5~10月の土日祝日を中心に開館している。

駐車場入口にはかつて炭鉱事務所前にあった「敢闘像」(坑夫の像)が建っている。
実物は戦争最末期(1945=昭和20年8月)に造られ、かなり痛んでいたためか、FRP(強化プラスティック)の複製品となっている。

「敢闘像」(坑夫の像) 2009年9月撮影

駐車場の奥には三井砂川炭鉱で使われた、電気機関車(炭鉱では「電車」「トロリーロコ」ともいう)・バッテリー機関車やトロッコ、採炭機械も展示されている。

坑内用の電気機関車 2009年9月撮影
バッテリー機関車 2009年9月撮影
鋼製炭車 2009年9月撮影
採炭機械 サイドダンプローラー 2009年9月撮影

ここからは、三井砂川炭鉱のズリ山が眺められ、以前は第一竪坑櫓も見えたが、こちらは近年解体されている。
道路を跨いでいた輸車路(炭鉱のトロッコ)の橋台も見える。幅が広いのは、線路が何本もあったからで、木造の覆いのなかをのぞくと電気機関車やバッテリー機関車が走りまわっていたのも遠い昔になってしまった。

輸車路の橋台(中央右)とズリ山(中央上) 2009年9月撮影
閉山後も使われていた輸車路 バッテリー機関車 1994年5月撮影

今回はここまでです。

おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。

次回は美幸線にしようと思っていましたが、地図が抜けていた!ので、新しめのところで、留萌本線留萌~増毛間(増毛線)です。

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