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北海道の廃線跡探訪 第12回 富内線(1/4)鵡川~春日間


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます。

北海道の廃線跡探訪 第12回 富内線の第1回です。

富内線は、戦前の開業区間である鵡川~富内間と、戦後の開業区間である富内~日高町間で、路線の様相が大きく変ります。
戦後開業区間は、直線的なルートをとっているため、橋やトンネルが連続し、探索はちょっと面倒でした。

なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。

2.富内線小史

富内線北海道鉱業鉄道金山線を前身とする。
1922(大正11)年7月24日、生鼈いくべつ(改称/旭岡)、翌年6月12日、似湾にわん(改称/栄)、11月11日には辺富内へとない(改称/富内)まで開業している。

1924(大正13)年3月には、北海道鉄道(2代目)と改称、1926(大正15)年8月、札幌線沼ノ端~苗穂間を開業、1943(昭和18)年8月、国有化された。

国有化後、金山線富内線札幌線千歳線となり、富内線では、貨物駅の芭呂沢ばろさわ深牛を廃止、穂別以外のすべての駅名を改称している。
11月1日には、日高線鵡川~豊城(旧・上鵡川)間に新線を建設し、日高線と数㎞隔てて並行していた、沼ノ端~豊城間は休止(そのまま廃止)、支線富内線を得た日高線日高本線となっている。

1958(昭和33)年11月15日、富内~振内ふれない間が開業、1964(昭和39)年11月5日には日高町まで達し、全線82.5kmとなった。

国有化後の富内線には、開業後新たに設置された駅や仮乗降場がなく、北海道の国鉄路線としては珍しい。

富内線は国鉄再建法により、第二次特定地方交通線に指定、1986(昭和61)年11月1日廃止された。

なお、日高町から石勝線占冠しむかっぷを経て、根室本線金山へ至る金山線は、未成に終わっている。

3.鵡川

1/5万地形図「鵡川」昭和60年修正に加筆

富内線が分岐していた日高本線鵡川駅は、山小屋風の瀟洒な駅舎になっている。
バス待合室(むかわ交通ターミナル)を兼ねているが、無人化され、半分ほどが喫茶店となっている。

日高本線鵡川駅舎(むかわ交通ターミナル) 2023年10月撮影

構内は側線や旧気動車庫・詰所などの施設も残り、分岐駅の面影が感じられるが、車輌の姿はなく、広い構内は寂しさが漂っている。

北海道によく見られる、くいちがった配置の長いホームも健在で、列車交換も行なわれていた。

日高本線下りホームの反対側だった富内線の線路跡 2009年9月撮影

しかし、日高本線は、2015(平成27)年1月の災害以来、一時的に静内~様似間が運行されたものの、鵡川~様似間は運休(バス代行)となった。

JR北海道はこの区間の復旧を断念、バス転換の方針を示し、2020(令和2)年10月、沿線自治体は廃止を容認、翌年4月1日廃止され、ついに「代行」バスが「代替」バスになってしまった。

下り本線ホームの反対側、3番線を使っていた富内線の線路はなく、ホームの側壁は崩れ、草が生い茂っている。

富内線の線路は草むしたあたり 右の2線は日高本線 まだレールは光っている 2009年9月撮影

2021年4月から、鵡川止まりになった列車は、すべて2番線(旧下りホーム)に発着するため、本屋側の1番線の線路は錆びており、2番線も、構内踏切より汐見方は、草に覆われつつある。

鵡川駅構内 旧上り線(右)や旧下り線汐見方(左)のレールは錆びている 2023年10月撮影

2017(平成29)年9月、ちょうど来合わせた2227Dは、乗客の大半が単なる乗車目的らしく、そのまま2228Dで折り返していった。
これは、この列車に接続する、静内方面への代行バスがなかったからでもあろう。
2228Dは地元客も5人ほど乗車、苫小牧へ向け出発していった。

〝終着駅〟鵡川に到着した日高本線2227D 2017年9月撮影

胆振管内である鵡川止まりとなり、日高に縁のなくなった日高・・本線苫小牧~鵡川間も、JR北海道単独では維持困難な路線とされ、2023(令和5)年3月には浜田浦も廃止されている。
こちらも先行き予断を許さない。

4.鵡川~豊城

富内線鵡川から日高本線と並び東へ向かい、道道10号の踏切手前から北東へ進路を変えていた。

道道10号踏切より鵡川方を望む 青色のトタンの塀が路盤に沿っている 2009年9月撮影

現在、日高本線の線路はこの踏切までで、線路には車止めが設置されている。

道道10号踏切跡から鵡川駅構内を望む 2023年10月撮影

踏切から先は住宅地となり、路盤は一部が道路となっているほかは消失しているが、鵡川スケートセンターの西側はヤブとなって残る。

鵡川スケートセンター横の路盤 豊城方を望む 2017年9月撮影

スケート場の先で路盤は消え、日高自動車道をくぐる前後は道になっているように見える。
しかし、この道は富内線営業時の空中写真にもあり、路盤はすぐ横の鉄塔が並んでいる農地内となる。

日高自動車道手前から豊城方を望む 路盤跡は鉄塔のところ 2017年9月撮影

川西幹線用水路と並行するところで、ヤブとなった路盤が現れる。

路盤は左側のヤブ 鵡川方を望む 2017年9月撮影

路盤は少しの間、作業道となり、豊城(旧・上鵡川)の手前で90度カーブし、国有化後に廃止された、沼ノ端~豊城間の路盤を転用した、立派な2車線の道路(道道983号)に合流する。

道道と合流し、道路化された路盤から豊城駅を望む 2009年9月撮影

豊城は、駅前通りが路盤転用の道道に突き当たっているだけで、痕跡はまったくない。路盤は春日駅構内の手前まで道道となり、痕跡はまったくない。

豊城駅跡から駅前通りを望む 2017年9月撮影

5.豊城~春日

春日駅構内に入るところで、路盤は再び姿を現す。

春日は私鉄時代の、1922(大正11)年9月、萠別もえべつ停留場として設置、2年後、駅に昇格している。

旭岡方からホーム跡を望む 2023年10月撮影

国鉄の建物財産票もついている駅舎は、バス待合所としてきれいに手入れされている。

春日駅舎 2023年10月撮影(ホーム側の写真は冒頭にあります)

駅名標も、板自体は樹脂板だから、複製したものらしいが、よくできている。

春日駅舎と駅名標 2023年10月撮影

今回はここまでです。

おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。

次回は、春日から穂別へ向かいます。

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