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北海道の廃線跡探訪 第7回 天北線(7/10)小石~曲淵間


1.はじめに

ご訪問ありがとうございます。北海道の廃線跡探訪 天北線の7回目です。

今回は超難所の小石~曲淵間です。

小石~曲淵間は、並行道路がまったくないところや、道路との高低差が大きく、路盤に近寄れないところなどがあり、毎年のように挑んでは敗退を繰り返し、数回目でようやく踏破しました。

なお、これからの投稿予定路線などは、下記記事にありますので、そちらをご覧ください。

2.小石~峠:鬼志別川に沿って

1/5万地形図「鬼志別」昭和56年修正に加筆

小石からは天北峠につぐ、猿払村稚内市の市村境ともなっている峠越え区間となり、曲淵までの17.7㎞は長い間、国鉄最長駅間距離だった。

小石を出ると道道889号の手前で手稲川橋梁を渡る。
天北線ではおなじみの淡緑色のガーダー橋だが、路盤もまわりも濃密なササヤブとなっている。

手稲川橋梁 まわりはヒドいヤブで足場も悪く、こういう写真が精一杯 2022年5月撮影

道道を過ぎると、天北線鬼志別川に沿い、峠を目指す。

航空写真から、第2鬼志別川橋梁は撤去されているのがわかるが、道道138号から廃道?を下りてみると、支流の六号線川に煉瓦アーチの橋があった。

六号線川のアーチ橋 2021年5月撮影
1/5万地形図「沼川」昭和53年修正に加筆

峠近くには、第3~第5鬼志別川橋梁が連続している。第4・第5鬼志別川橋梁は、季節によっては、道道からも淡緑色のガーダーがちらっと見える。

見当をつけた沢伝いに下りると、第5鬼志別川橋梁があった。
ここから築堤になった路盤へ上れればいいのだが、まわりは強烈なササヤブでとても近づけない。

第5鬼志別川橋梁 2021年5月撮影

道道に戻り、さらに峠方にあった小道を下りて行くと、意外にもヤブでない路盤に着いた。

曲淵方に小さなIビームの鉄橋があり、上面に枕木が敷かれていたから、クルマが通れるようにしていたらしいが、その先は濃いヤブになっている。

最奥部にあったIビーム橋 2021年5月撮影

一方、低いササが密生した小石方は、数10mも行かないうちに2mを超えるササと樹木で、先が見通せないほどになり、進めなくなった。

進むのをあきらめた小石方の路盤 2021年5月撮影

2022(令和4)年5月、ここをベースキャンプ?として、河中を歩ける装備をして、Iビーム橋から細流へ下り、鬼志別川本流へ向かった。

細流の水量はほとんどないが、川幅が1mたらずなので、両側からササがせまり、腰をかがめないと進めないので、見通しもきかない。おまけに川底は歩きにくく、難行だった。

ようやく鬼志別川本流にたどりつき、そこからまた河中を歩き(こちらは川幅もあり、浅いうえ流れもゆるやかで、比較的歩きやすかった)、第3~第5鬼志別川橋梁を確認できた。

鬼志別川にあった枕木 流されてきたのだろうか 2022年5月撮影
第4鬼志別川橋梁 2022年5月撮影

ガーダー橋の第4・第5鬼志別川橋梁とは異なり、第3鬼志別川橋梁はアーチ橋だった(地形図も正確にそのように記されている)。

第3鬼志別川橋梁 2022年5月撮影

念願かない、満足できたものの、帰りも同じルートを行かなくてはならない。
疲れもあり、さすがに出発地点まで河中を戻るのはイヤになり、第5鬼志別川橋梁から、前年に下りた沢を登り、道道経由で戻った。

3.峠~曲淵:宇流谷川に沿って

1/5万地形図「沼川」昭和53年修正に加筆

天北線は峠の手前で道道と離れ、今度は宇流谷川に沿って、曲淵へ向け下っていく。
曲淵方から、路盤近くを並行する道路(稚内市道らしいが、林道並み)をたどってみた。

路面に注意しつつ、対岸にあるはずの天北線の路盤も探しながら、ゆるゆる走る。

宇流谷川岸の擁壁 これがないととても路盤とは思えない 左上の白は施工銘板 2022年5月撮影

片側は宇流谷川(もちろん、転落防止ガードレールなんていうステキなものはない。路肩も危ない)、山側は人頭大の落石ゴロゴロで、どちら側を走っても物騒な道だった。

天北線宇流谷川の本流を4回、支流を2回渡っているが、夏季以外には道路からIビームの殖林沢橋梁を見ることができる。

殖林沢橋梁 2022年5月撮影

やがて高度を上げた道路からは、かなり下方に淡緑色のガーダー橋(第3・第4梅谷川橋梁)が連続しているのがかろうじて見える。

道路から見える第3梅谷川橋梁 2021年5月撮影

道路は下り坂となり、路盤と交叉するが、その先で曲渕林道のゲートとなる。ゲートから少し歩くと、第2梅谷川橋梁に出会えた。

橋に近づこうとしたが、築堤と林道との間は背の高いササに覆われ、ササのないところは湿地帯なのでとても無理だった。

第2梅谷川橋梁 2019年5月撮影

第1梅谷川橋梁はさらに奥まった山中にあり、こちらはアーチ橋だったが、やはり近づくのはむずかしかった。

第1梅谷川橋梁 2023年5月撮影

踏切跡に戻り、路盤を見ると、曲淵方は少し開けていたので入ってみたが、すぐ濃密な2mを超えるササヤブとなり、見通しがまったくきかなくなる。

果たして路盤を歩いているのかさえ定かでなく、道路から見えた第3梅谷川橋梁までは、とうてい行けそうもない。

翌年春に再訪したが、状況は変わらず、結局踏切跡から行くのは断念せざるをえなかった。

道路と路盤との高低差が小さくなったあたりで斜面を下りてみたが、長靴では川は渡れず、さりとて河岸は歩けない。ここでもあきらめざるをえなかった。

踏切跡から曲淵方を望む この先でヒドいヤブとなる 2021年5月撮影

見えるけれど行けないというのは、もっとも業腹なので、2022(令和4)年5月、河中を歩ける装備をし、宇流谷川をさかのぼることにした。

幸い、春の雪どけ時期にもかかわらず、深いところでも、水深は腰のあたりまでで、流れもゆるやかだった。
それでも人一倍、臆病なので、いざ河岸から脚を入れるときは、かなりためらったが。

万一、足をすべらせると悲惨なので、慎重にも慎重に何度か川を横断、河岸を歩けるところは上陸し、第4梅谷川橋梁へ行くことができた。

第4梅谷川橋梁 2022年5月撮影

続く第3梅谷川橋梁はまだ先だが、河中を歩くのも疲れたので、築堤を上ってみた。すると、思いがけずヤブではなく、たいへん歩きやすい。

路盤には枕木も残り、山中の緑にかこまれた、廃線跡としては申し分のない情景で、これまでの苦労がむくわれるようだった。

小石方から第4梅谷川橋梁を臨む 2022年5月撮影

第4梅谷川橋梁には管理用通路がついていたので、なんなく渡れ、切り通しを過ぎると第3梅谷川橋梁があった。

第4梅谷川橋梁と第3梅谷川橋梁の間の切り通し ここにも枕木が・・・ 2022年5月撮影
第3梅谷川橋梁 2022年5月撮影

第4梅谷川橋梁に戻り、低いヤブになった曲淵方の路盤をよく見ると、うっすらと人が歩いたような跡がある。帰路は路盤を行くことにした。

ちょっとヤブが濃いが、かすかに踏みわけ跡がある 2022年5月撮影

途中ヤブの濃いところもあったが、バラストが残り、ほとんど草も生えていないようなところもある。天気もよく、楽しい廃線跡歩きができた。

バラストも残る築堤 2022年5月撮影

いよいよ踏みわけ跡が見えなくなるところから築堤を下り、宇流谷川を渡り道路へ戻ることができた。

おそらく釣り人が通るのだろうが、もちろん道路には目印などはないから、知っている人以外は路盤へ上れないだろう。

4.曲淵

曲淵も炭鉱で栄えた地区だが、今は大きな製材工場だけが稼働中。

駅前後の路盤は道道138号に転用され、駅の跡は、駅名標を模した看板のたつ、曲渕ふれあい公園となっている。

駅跡の曲渕ふれあい公園 2017年8月撮影

ほかには、道路脇に貨物ホームの擁壁らしい石積みがあるだけで、面影はない。

貨物ホームらしい石積みの擁壁 2022年5月撮影

曲淵駅の漢字表記は、曲・曲の2種類がある。
全国版時刻表・道内時刻表とも両方あり、同じ号でも路線図と本文で異なることさえあるが、1971年ころには曲淵に統一されている。
公園の名前のように、地名は曲渕と表記されている。

今回はここまでです。国鉄最長駅間距離にあわせたわけではありませんが、いつもより長くなってしまいました。

それにもかかわらず、おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。

次回は曲淵から樺岡まで、声問川に沿った区間です。


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