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役を演じるのか生きるのか。小路紘史監督第二作 映画「辰巳」

大傑作のデビュー作「ケンとカズ」からなんと8年。ようやく完成した
小路紘史監督(キャラセル激推し) 第二作「辰巳」。

来年公開予定なので待てないよ!という事で10月30日に東京国際映画祭にて拝見してまいりました。
(↓こちらね)


(ケンとカズの感想はこちらね↓)

「辰巳」はクラファンなどで資金を募り、インディーズで制作されたそうです。
間にコロナがあって完成が2年遅れたとはいえ、「ケンとカズ」から8年の間多分、沢山の映画制作のお誘いやお話があったとお見受けします。しかしそれらを断り、あえてインディーズで撮られた事に小路監督の並並ならぬ気概と自分の世界観を作り上げるべく、 

 腹の据わったじっくり粘る姿勢を感じ取れます。

その姿勢は画面からも匂い立ちます。
「ケンとカズ」もそうでしたが、どのロケーションも構図も
「じっくり粘って探したんだろうなあ」「粘ってこのカットにしたんだろうなあ」「この役者を探したんだろうなあ」という時間をかけて熟考した感が伝わってきます。

 インディーズ映画にある「ノリでその場で許可なく撮った」「アドリブを頂きました」といったアクシデンシャルな要素を微塵も感じません。
ある種、小林勇貴監督と対極の芸風といえましょう。

「金がないなら時間をかける、それが何か?」という腰を据えた矜持を  感じます。

さて「辰巳」は遠藤雄弥さん演じる裏稼業の男が姉を殺された少女と出会い、その復讐に協力しつつ巻き込まれていく、というのが大まかなプロットでジョン・カサヴェテスの「グロリア」の男女逆転バージョンといえば掴みやすいかもしれません。

とにかく、少女、葵を演じる森田想さんが素晴らしいです。
オノマチと伊藤沙莉を足して割らずに煮詰めたようなエネルギーの塊のような娘で、画面の中で暴れまくり生命力がほとばしっております。
当初、少年設定らしかったのですが、オーディションで森田さんに驚いた 監督が脚本を女子に変えたくらいの圧倒的存在感でした。    
で、彼女の復讐を手伝うのが主役の辰巳を演じる遠藤雄弥さんなのですが、森田さんの暴れ芝居を受けて受けて受けまくります。
その静かで哀しさをまとった芝居は映画「ギルバートグレイプ」のプリの
暴れ芝居を受けて受けて受けまくるジョニデを彷彿させます
(世間一般的にこういう「受容」の芝居があまり評価されないのは
本当に納得いきません)

 遠藤さんは「ナベプロの窪塚くん似のイケメン」という認知でいたのですが(後から調べたらテニプリの舞台に出ててあらびっくり!)
連ドラから長く離れた効果か、ナベプロ臭が見事に消え、
静かで哀しいオーラを纏い見事、映画俳優として再生したという感じ。
(なんとなく西島秀俊さんを彷彿とさせるキャリア変遷)

冒頭、遠藤雄弥のざらついた肌の頬が映った時、その肌をメイクで隠したり照明で飛ばす事もしない感じに「ああ、これは遠藤雄弥ではなく辰巳という男の話なんだな」と心を掴まれます。

時代劇や裏社会系や貧困系の映像作品を観る時、役者の審美歯科的な歯の
治療、鼻先に入ったプロテーゼのとんがり、目頭切開、糸リフト的な引きつり等が映った瞬間、どんなに良い芝居をしようと「あ、役者やタレントが演じてるのね」とサーッと現実世界に引き戻されてしまいます。
これは役者の体つきも然りで「あ、プロテイン飲んでジムで鍛えた体ね」と思ってしまう。

しかし小路作品はそういった顔立ちや体つきの演者を選びません。出演した皆さん、顔も体つきもとても印象的ですが、作られた人工的な感じがないのです。歯もあえて汚して見せたりして、ジムで鍛えたのではなく重いものを運ぶ仕事をしていたら勝手に筋肉が脂肪と混じってついた、といった体付きの役者ばかり(いわゆるつまらないイケメンや美人がいないのです)
前作もそうでしたが、とにかくキャスティングセンスがずば抜けている。

そういった役者を選んでジックリ時間をかけて撮るとどうなるか。

彼らが役を演じているのではなく、役を生きているように見えてくる。

あのちょっとアジアのスラム街的な街が、セットではなく実際にどこかにあるように思えてくるのです。

(世界観を作るというのはこうした「肌のザラつき」「歯の黄ばみ」といった細部の積み重ねなんだなと思い知らされます)

 中々そういった映画は作ろうと思っても作れるものではありません。
この辺りは自主制作もあって奇跡的に出来たのではないか 監督が儲け
部外視で自分の人生の時間を捧げた事に役者も答えたのではないか。

 そんな風に思いました。

役者にとってもこんな作品に参加できるのは一生に一度くるかどうか分からないので嬉々として役を生きている感じが伝わってきました。 

 最近、とある女性映画評論家が「皆さん、よく映画を見て泣けた!感動した!とおっしゃるけど、泣ける映画が良い映画であるという考えは間違っております」と言う動画を見て「まさしく」と思った訳ですが、良い映画とは個人の好みにもよりますが「泣ける映画」というのは作為的に出来てしまうものです。

しかし「役者が役を生きている映画」というのは中々ありません。

 「辰巳」はそんな稀な映画だったと思います。


 さて最後に余談ですが 

ストーリーが展開するにつれ、辰巳と葵の関係性が徐々に変化し、熱を帯びてくるわけですが、この辺り、メジャーが介入すると葵役にアイドルが起用され(アイドルが悪い訳ではありませんが)「ちょっとラブ線入れたいよね」とかおじさんプロデューサー(恋愛脳のバブル世代)とか言い出して 葵が辰巳に「ご褒美だよ」とか言ってキスしたりするクソ展開に変えられたりして見ているこっちがダサさのあまり死にたい気分になる訳ですが

「ああ、どうしよう。そんなクソ展開になったらやだなあ。ああ、どうしようどうしよう、まさか小路監督がそんな展開にする訳ないよな、でも、割と優秀な監督も恋愛演出はトンチキになったりする方がいらっしゃるし、どうかなあ、ああ」

とハラハラドキドキしながら二人の展開を追ってしまいました。さて、どうなったかは来年、是非劇場でお確かめ下さい(謎の引っ張り)

 個人的にはこういう熱量のある関係性をベタ付かず、ギリギリの線で描くところに小路演出節を感じます。


 さてアラフォーとなられた小路監督、第三作はまたインディーズで撮るか

 ハイバジェットの雇われ監督をやるか
(これはこれで腕の見せ所だと思います)

 今後の活動が気になるところです
(個人的には比較的自由がききそうなテレ東、メーテレで企画を通して撮られたらいいんじゃないかなあと思うが、どうでしょう) 

↓ああ、幸せな現場だったんだなあ、というのが伝わってくる舞台挨拶


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