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映画①ハーフ・オブ・イット〜面白いのはこれから〜 片割れ探しだけが愛じゃない

みなさんは
「ハーフ・オブ・イット〜面白いのはこれから〜」を知っていますか?


私は豪語します。
この映画は私の人生で5本の指に入る名作だぞ。


あらすじ

アメフト男子に頼まれて、ラブレターを代筆することになった成績優秀なエリー。お陰で彼との友情は芽生えたけれど、彼と同じ女の子が好きな心の内はかなり複雑...
(filmarksより)

アメリカ、田舎の高校に通う2人の女の子と1人の男の子の話。


中国出身で親の都合で幼い頃にアメリカに移住したエリー。
特別な文才があり、同級生のレポートの代筆をするアルバイトをしている。
アジア系かつレズビアンでマイノリティであることから高校では浮いており、仲のいい友達はいない。
仲がいいのは文学の先生くらい。


弱小アメフト部に属するポール。
アメフト部だからイケイケグループに属するものの、自惚れているわけでなく、あまり頭が良くないことにコンプレックスがあり、片想いをしているアスターへのラブレターの代筆をエリーに頼む。

学園のトップオブ美女、アスター。
誰もが憧れる美女ではあるものの、ちょっと変わっていて周りのイケイケ彼氏やギャルに馴染めない。
アートや文学に対する造詣が深く、奥深い内面を持つ。

そしてエリーも、ポールもアスターのことが好き。
エリーはアスターが好きだけど、カミングアウトをしていないから成就の望みは低く、
ポールの押しも強かったため、
自分の好きな人へのラブレターを代筆するという、複雑な関係になるわけだ。

それぞれの愛をみつける物語

この映画のテーマは「愛」で、
ハーフオブイット、というタイトルだけに、

「人間はもともと4本の手足と2つの顔を持った動物で、ある日その動物は2つに引き裂かれてしまい、
片割れを探す旅に出る。
そしてその片割れを見つけた時、
本能でそれを感じ、結ばれる。」

という自分の半身を探すアニメのストーリーではじまる。
(プラトンの戯曲「饗宴」の中の「片割れ」からの引用)

この映画で最も素晴らしい展開なのは、
この冒頭の、

「愛とは自分の片割れを見つけること」

というフレーズをぶった斬るからだ。

3人それぞれが見つける愛、
これがものすごく感慨深く見るものに刺さる。
語りたいことはたくさんあるが、
3人それぞれが手に入れた「愛」について
まとめてみた。

ポールが見つけた愛

ポールが愛についてはっきりと定義するセリフがある。

「愛とは努力することだ」


ポールは自分の考えを
言葉にするのは決して得意ではないが、
差別で嫌がらせを受けるエリーを守ったり、エリーのパパにも優しくしたり、田舎から出たがる同級生とは違い家業のタコス屋さんを継ぎたい、
などと考えているとても心の温かい純粋な青年だ。

そしてストーリーの要となったのがポールで、
エリーに代筆まで頼んで、
アスターと付き合うことができたのに、
ポールは結局自分はエリーのことが好きだったことに気づく。

このポールを見ていると思うことは、
「愛とは努力すること」が本当であるということだ。

ポールはアスターと付き合うために努力して作戦を練り、アスターが好きな本を読み、ウィットの富んだ会話や時事問題を勉強した。

でも実は、からかわれたエリーを守ってあげたり、妻を亡くしたショックと英語が話せないことで家に籠っているエリーの父が喜ぶソーセージを作ってあげたり、エリーが学芸会で本当の才能を発揮できるようにサポートしてあげたり.....
無意識のうちに、
大切なエリーのためにめちゃくちゃ努力してしまっていた。

そしてカトリックの彼は、
エリーがレズビアンで、
しかも自分の彼女であるアスターが好きということに気づいた時、ショックでエリーを拒絶するが、
結局、「そのままでいて欲しい」という想いを
自分で自分の中に見つけ、
エリーを友達として支える。
これも自らの価値観と向き合い、理解する努力だ。

そしてそれは
欲しいものに対する努力だけじゃない。
いつでも人は気づかないうちに
大切な人に対する努力をしているものだし、
努力の方法や考え方は無限にある。

アスターの愛

アスターは3人の中で実は一番迷子だった。

学園のアイドル、家柄がよく人気者の彼氏(だけどとにかく頭が悪そうに描かれていてうんざりしてしまうアスターの気持ちが痛いほどわかる)がいて、
取り巻きは美人なお友達。

スクールカーストでトップ。
高校を卒業したら彼氏と結婚して、
一生安定した暮らしをすることが
「確実な幸せ」と思っていて、
本当はアートや文学に興味も才能もあるのに、
そのまましまい込もうとしていた。

そこでポール(実際には中身はエリー)と出会い、
文学やアートに対する共感ができる人が
いることを知ってからは
大胆に自分を表現できるようになっていた。

彼女のパートで響くのはこの言葉。

「愛とはいい絵を台無しにすること。
         もっといい絵を描くために。」




アスターとエリーのメッセージの交換が
きっかけでエリーから誕生する名言。

まさにこれはアスターの為の言葉で、
目の前にいい絵があるとわかっているけれど、
さらに、もっと、いい絵を描くためにその絵を台無しにする勇気が必要、という言葉だ。

この言葉は本当に刺さった。
安全圏で過ごす幸せを手に入れるのは簡単だ。
でももっといいものがあるはず、
そう思った時に手を伸ばして前へ進むのが愛だと。
これは
自分を自分以外の何かで補完する愛ではなく、
まさに自分自身の為の愛だ。

アスターは家柄良しおバカ彼氏と結婚していたら、
その彼を旦那として愛せただろうか。
たぶん愛せなかったと思う。

自分への愛を注がなかった、
高校生の自分への未練が一生付き纏うからだ。
自分のために、自分で手を伸ばす愛。
とても重要な愛だ。

エリーの愛

エリーはアジア系、レズビアン、
母を亡くし、
かつてエリートだった父は引きこもり。

豊かな内面と頭脳がある分、
自分の境遇やルーツに苦悩も非常に多かっただろう。
恐らく彼女は理解者が一番欲しかったはずだ。

その理解者こそ、
本当はアスターだ。
彼女たちが近づき、
アスターの秘密基地である温泉に2人で行った時。
まるで磁石がぴったり合わさるように、
彼女たちの心はとても共鳴した。

でもアスターはお互いが探しあっていた
片割れだったことなど、もちろん気付かない。

結局三角関係が拗れて、
家柄彼氏からミサで公開プロポーズを受けた
アスター。
承諾しようとするアスターに
「ちょっと待った!」を
エリーがかけるシーンがとても印象的だ。

あくまでも略奪したかったわけじゃない。
彼女にそれでいいの?と言いたかったのだ。
その時、愛を哲学的な言葉で課題のレポートに書くことはできても、
ずっと自分の言葉で愛を表現できなかったエリーは以下の言葉で愛を定義する。

「愛は寛大でも親切でも謙虚でもない。
   愛は厄介。おぞましく利己的。それに大胆。」


いろんな解釈があると思うが、
私はこの言葉を聞いて、愛を綺麗なものとして見ることも可能だが、
実は醜かったりする。その側面を受け入れたとき、本当の愛のために勇気を出して行動ができる。
そんな気持ちを感じた。

愛を知らなかったエリーだったら、
教会で人の言葉を遮って大きな声で語ったりしなかっただろう。
厄介で、利己的で、大胆な愛を受け入れたから、
エリーはアスターのために、ちょっと待った!が
できたのだ。

3人のまとめ

結局、
ポールはエリーとは友達になり、
望み通り家業を継いで事業を大きくする為の努力をはじめ、
アスターは結婚せずアートの学校へ進学、
エリーは渋っていた遠方の大学への進学決める。

3人とも、愛と向き合い、
結局もっといい絵を描くために、
いい絵を台無しにした。

そしてもう一つ愛が描かれる好きなシーンがある。
ポール、エリー、エリーパパが
3人で映画を見ていると、
男女が駅のホームで別れるシーンが出てきた。
電車に乗っている女性を男性が追いかける場面。

映画を見ている2人。
エリーは、"こんなのバカじゃない?"
というものの、
ポールは"ロマンチックだ。"と言う。

そんなシーンだ。
なぜかこの2人の意見の相違が印象的なのだが、
ラストシーンで回収される。

エリーが大学に向かう電車に乗り込み、
それを見送るポール。
出発するエリーがのる電車を
ポールが走って追いかける。

あの時のままのエリーなら、
「ちょっとやめてよー恥ずかしい!」
で終わるのだが、
エリーは口ではそう言いつつも電車で涙を流す。

エリーにとって、愛でもなんでもなかったもの。
でもいろんな愛に触れて、
新しい愛を感じるようになった瞬間だったんだろう。
愛とは「変わること」でもある。

素晴らしいラストシーンだ。

先日、
Twitterのスペースで素敵なことを言ってくださったお友達がいる。
「愛情は自由にしてあげること」
彼女は自分の経験から得た愛に対する考え方を
そんな言葉で教えてくれた。

まさにその通りだと思う。
本当に愛するためには、相手も自分も、
自由にしてあげることが必要なのかもしれない。

片割れを見つけなきゃ!と
肩に力が入っている人がいたらこの映画を
絶対に見てほしい。

本当に必要なものはなにか、
見失っているものはないか、
愛するってどういうことなのか。

この3人を通して、
自分だけの答えが見つかると思う。

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