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鳥山明がいたから楽しかった

私が先生の作品、ドラゴンボールに出会ったのは5歳の頃でした。それから30年以上が経ってもなお、このような駄文を書くほどに大好きで、沢山の思い出があって、今の自分を形作ったものの一つであることは間違いありません。
いつかは訪れる別れと理解してはいましたが、漠然と、まだまだずっと先だろうと、そう思っていました。
心より御冥福をお祈りいたします。

振り返れば、鳥山先生は作品にメッセージ性を持たせる方では無かったと思います。Dr.スランプも、ドラゴンボールも、アックマンも、ネコマジンも、ジャコも、SAND LANDも、伝えたいメッセージが表現されたマンガではなく、エンターテイメント作品として「描きたい動き」「面白くあること」「わくわくさせること」を意識して描かれたものだろうと思います。

しかしそれでも、作品の核となっていたのは先生の「優しくて緩い価値観」であったように思います。

出典:ドラゴンボール完全版3巻

亀仙人は武力とは、相手を傷つけたり、自己顕示をするためのものではないと話していました。
でもだからといって、誰かを守れとか、人のために使えとか、そういう堅苦しいことも言わない。亀仙人はただ、「強くなれば余裕ができておもしろおかしく過ごせるんだよ」と言っていた。

どんなに取り繕っても世界の本質は弱肉強食で、強くなければ思うようには生きられない。特に連載当時の80年代、90年代は、今よりずっとその価値観が強かった時代でした。

そんな中、鳥山先生はあくまで緩く、「強くなることで得るのはあくまで余裕だけ。余裕があればみんな楽しいよ」と、優しい価値観を作品に閉じ込めていた。
それは強く主張するのでもなく、押し付けがましいものでもなく、真綿で包むように柔らかく、しかし核として確実に存在して、読者に届いていたと思います。

悟空は世界を救うヒーローでありながら、使命感や義務感、それに伴う悲壮感を持ってはいませんでした。

緩いけど世界は救う。緩いけど誰よりも強くある。
緩いけど強い、強いけど緩い。

先生が示されたその価値観は、今の自分の血肉になっていると思うのです。

きっとあの世で肉体をもらって、作品を書かれているでしょうから、いつかまた読みにいきたいと思います。
あ、でも自分は英雄じゃないから魂だけになっちゃって読めないかな。天国に行けば体が貰えるんだっけ?じゃあ清く正しく生きなければ。

本当にありがとうございました。



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