はじめにお読みください(自己紹介)

2010年の9月何日から、gooブログでブログを書いてきた。
2011年の1月半ばからは、毎日書いてきた。
2023年5月頃から、週に1日2日休むようになり、
最近は書きたい時に書いている。
大雑把に、2日か3日に一遍は書いている感じだ。

gooブログのフォームで書いて、同じものをmixiの日記に貼り付け、
リンクをFacebookとX(旧twitter)に貼ってきた。
そして今月、noteにも貼り付け始めた。

gooブログでは記事のカテゴリ分けができる。
その一つとして「はじめにお読みください」というカテゴリを作り、
自分のブログの特徴や自己紹介などを書いて収めている。

noteを始めたので、noteの読者に向けて、
あらためて自己紹介を書こうじゃないか。
というのが今回の主旨なんである。

前に書いた話の続きを書く時には、冒頭に
[あらすじ]
を書くようにしている。

noteで見るのは初めての話題であっても、
gooブログのほうに以前の話が載っている。

YouTubeにチャンネルを持っている。
ブログ同様、いろんなことをやり過ぎていて、
昨今のAIによるお好みお勧めアルゴリズムに乗りにくい内容になっている。

ブログにしろ動画にしろ、
AIにお勧めして貰いたいんだったら、
それぞれにジャンルを絞って複数チャンネルでやればいい、って話にもなるが、
それは世間に吹く風。
私の耳は馬の耳。
知ったこっちゃないのねん。

中学校でオーケストラに入り、トロンボーンをおぼえる。
高校卒業後も、後輩のコーチを続ける。

二十代から三十代前半は、バンドで
R&B、ソウル、ファンクを演奏していた。

ホーンセクションのアレンジをしたり、
オーケストラの金管セクションのためのアンサンブルを編曲したり。

それから、
楽器をやることをつきつめる中で、身体にたいする興味がつのり、
専門学校で鍼灸を学ぶ。
40歳で鍼灸師になった。

「音楽活動辞めます」くらいのイキオイで鍼灸学校に入ったのだが、
卒業するとムズムズとバンドやりたくなる。
紆余紆余した末、YouTubeを始めたのが2012年末。

一本目の動画がこれ↓
https://www.youtube.com/watch?v=L8AcSgcYyjQ&t

子どもの頃から図画工作が好きで、
十代の頃に切り絵と出会った。
演奏に切り絵を重ねて動画を作っている↓
https://www.youtube.com/watch?v=PW8A-XQ8Ihs

毎月一日には法螺を書いている。

四月一日だけなんて誰が決めた。
年に一度じゃ足りない。
でも毎日ではない。
忘れた頃に法螺を吹く。

「だまされた!」とイヤな思いをさせたいわけではない。
できれば笑って許してもらえるような、快い法螺が吹きたい。
翌日には必ずネタばらしして謝ることにしている。

当日、記事の最後に「法螺でした」と書く場合も有る。
信じてしまうと支障も出そうな場合である。
ただ、内容を鵜呑みにしてしまう人が、記事の最後まで読むかどうか…。

自分の意見を書くことも多い。

ただ、ものごとはいつも単純ではない。
私の意見も単純ではない。
それを書き尽くすことは難しい。

自分の意見の一面だけを書くことになることが多い。
全く違う見方を翌日に書くことすら有る。
それは、自分が100%どちらかに振り切っているわけではないからだ。

振り切ってしまいたくないという思いが有り、
でもこだわりたい部分が有ったりもする。

こだわりを持つと身体が固くなる。
なるべくどうでもよくしなやかに生きていきたいと願うけど、
今んとこそれは憧れの境地である。

友人の子、7歳のY「す~さんは、男?女?」
わたし「どっちだと思う?」
Y「うーーん・・・わかんない」
私「正解!」
Y「え。なにそれ。」

生まれついての身体は女性だ。
(何が身体的な性別を決定するかといった複雑な議論はここでは措く。)
子どもの頃は、「寝て起きたらちんこ有るかも」と夢見たりした。
好きな男の子もできたが、女の子への思いのほうが強かった。

そういう自分が何者なのか知りたくて、
十代の頃つまり1970~80年代頃は本を読んだ。
当時の精神医学の本なんかを見ると、「性的倒錯」と名付けられ、治療の対象だった。

カトリックの学校に通っていた。
同性愛は宗教的に罪とされる。

人を愛する気持ちが罪とはどういうことかいな?
母親の勧めも有って10歳の時にプロテスタントの教会で洗礼を受けたが、
中学生の頃にはすっかり信仰から離れた。

90年代くらいまでの日本の世の中では、私のようなのは
「ボーイッシュなレズビアン」というのが最も近い括りだった。
その後、もっと詳細に分析されるようになった。
言葉は議論の中から生まれる。
私が何者であるか、ということを指す言葉も、
社会の移り変わりによって変わる。

今では、私は女性が恋愛対象のXジェンダーである、
と言うことにしている。
自分自身が女性であるということには強い違和感が有る。
女性は友人であるが、同性とは言い切れない。
だから、同性愛というのは当たらない気がするのだ。

私がもしプライドパレードに参加して主義主張を表すなら、
「Good-Bye to Gender Bynarism」性別二元論にわかれを告げよう
というプラカードを掲げる。
ノンバイナリーという言葉が広がってきているが、
そう言っても良いと思う。

先にも書いたように、
こだわりは身体を固くする。だから、
あんまり「主義主張」なんてしたくない。
ただ、ひとに対する分かりやすい看板として持つものであって、
私自身の性質を表すものではない。
というくらいの気持ちでいる。

と言いつつ、あーだこーだと意見っぽいことを書いたりする。
そいうブログです。

どうぞご贔屓に。

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