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美ヶ原高原グラベルライドメモリー

美ヶ原高原は標高約2000mにある八ヶ岳中心高原国定公園の北西部、長野県の松本市、上田市、小県郡長和町にまたがる日本一広い高原台地で、日本百名山の一つ「王ヶ頭」標高2034mがある。冬になるとローカルの天気予報で今朝一番冷え込んだのはという報告があるが、一番は決まって野辺山高原か菅平高原かどちらかで、標高の高い美ヶ原高原の最低気温はニュースにもならない。野辺山高原の標高は約1300mで菅平の標高は約1500mなので、標高と最低気温はあまり関係無い様だ。(それとも何かしらの意図があるのかもしれない)アプローチは長野市からだと、西側の松本市経由か東側の上田市経由かになるが、地理的に東側の上田市経由の方が最短である。自宅の直ぐそばに「千曲川サイクリングロード」が整備されていて、上田市の「道と川の駅」まで片道約25kmの往復50kmの良いトレーニングコースとなっている。それを利用すれば自宅から美ヶ原高原迄は一般道を繋ぐと片道65.5kmで、日帰りとしては射程距離か。しかし美ヶ原高原迄の勾配が心配なのと、計画として一般道では無く「下奈良本豊科線」「林道蝶ヶ原線」のグラベルロードを繋いで武石峠へ上がり、県道62号「美ヶ原公園線」で美ヶ原高原を目指す計画の為、林道の状況が不明で手こずるだろうと「道の駅あおき」に車をデポしてのラウンドとした。GPSデータと写真が残っていて、これも心に残るライドだったので振り返ってみた。

今回のルート図(数字は県道国道の番号)
上部の白点黒丸がスタート「道の駅あおき」
反時計回りにラウンド美ヶ原から先は
通行止めの為ピストン
距離79.56km
時間7:58:05
上昇1749m

 2020年10月15日

朝6:00頃だっただろうか、車に自転車を積み込んで自宅を出た。天気は曇りで肌寒い。小一時間で「道の駅あおき」に到着した。7:30準備をしてR143を西へ向けスタート。信号青木で県道12号へ左折しヒルクライムが始まる。サイコンのナビに従うがショートカットを推奨しているのか、脇道を案内していてそのまま従い迷う。相変わらずサイコンのナビは信用が置けない。スマホの地図を見直し修正し暫くして県道181号「下奈良本豊科線」へ右折し順調に進む。しかし工事中通行止めの看板が立っているではないか。今までの経験から通行止めの看板は本来自動車への告知であり、いざとなれば自転車を担げば良いので突っ込んで行く。暫く登っていくと、沢を横断する大きくU字にカーブする箇所で土砂の流失があったらしく、大規模な改修工事をしていた。工事の人に挨拶をして通過させていただいた。工事現場を過ぎると林業の為や治山工事の為に作られた即席の林道では無い雰囲気を感じた。林道の脇には所々標柱や石碑が設置されていて、この道は江戸時代に京都と江戸を繋いで整備された「中山道」よりも古く、古代から中世にかけての幹線道路で、滋賀県〜岐阜県〜長野県〜群馬県〜栃木県〜福島県〜宮城県〜山形県〜岩手県〜秋田県(五畿七道というらしいが数が合わんな)を繋いだ「東山道」(とうせんどう)が信州を通過する歴史のある古道であると知った。

県道181号(下奈良本豊科線)
東山道の標柱
昔此処に茶屋があったそうだ。
それにしてもグラベルローディーには絶好の道だ


どうりでよく踏まれていて、それなりに幅員もあり、とても走りやすいグラベルロードであった。ここからひと登りで松本市と上田市の堺に保福寺峠(ほうふくじとうげ)に到達した。峠は広く整備されていて、明治24年(1891)にウォルター・ウェストンが上田から保福寺峠を超えた時、北アルプススを遠望して絶賛したという記念碑が設置されていた。(曇りで遠望が効かず北アルプスは見えなかったのが残念だった)このまま「下奈良本豊科線」を松本方面へ降れば後は全面アスファルトで「東山道」は一部完結するが、今回は林道蝶ヶ原線」経由で三才山峠(みさやまとうげ)へ向かう。しかしまたしても全面通行止めのバリケードが設置されていた。

県道181号(下奈良本豊科線)
保福寺峠
「とうせんぼ」の気合いの入ったバリケード
いい加減此処で戻ろうかと思った


時間はまだ午前中で、此処で引き返すのも癪なので再び突っ込んで行く。僅かに降ると林道は二股に分かれ「林道蝶ヶ原線」は三度通行止めのバリケードが設置してあった。しかし先ほどの通行止めの告知より少し緩い「一般車両通行禁止」と変わっていたので威圧感は無かったが…

「林道蝶ヶ原線」の分岐
鉄管バリケードにグレードアップされていたのだが、看板の告知とはギャップがあった。


この林道は今回の中で一番最悪の林道だった。拳大の石がゴロゴロ、荒れて抉れた路面、崩落し工事中の道路、崩れた法面でまともに自転車に乗れる箇所は殆どん無く、何度も引き返そうかと葛藤しつつ、三才山峠の手前で完全に崖崩れで土砂が堆積していた。万事休すか…

土砂の上に落葉が堆積していたという事は、秋以前に崩れて放置されたままだろう。


ここ迄来ると引き返しても進んでも大して時間に変わりは無いが、途方に暮れていると土砂を乗り越えて誰か歩いて来るではないか。そして一言「通れるよ」パワーを貰った。あの二人は工事関係者でも無く、登山者でも無い様で一体何だったんだろうか。こっちもびっくりしたが向こうもびっくりした様で、こんな山の中自転車を見るなんて思いもしなかっただろう。よく見ると崩れた土砂の上に数人通過した様な踏み跡ができていて、自転車を担いで、谷底に転げ落ちない様慎重に通過した。この先も道は荒れていたが、何とか乗車できる様になり、三才山トンネルの真上の三才山峠に到達。

この下に三才山トンネルが通っている
近くにトンネルの換気の為の縦坑があった様な?(記憶は定かでない)

暫くすると広い林道となり、県道62号「美ヶ原公園線」武石峠に出た。アスファルトの路面で安堵した。

ご覧の通りガスでスッキリしない天気である

アップダウンを繰り返し、出発から5時間かけてやっと美ヶ原高原自然保護センターへ到達した。

折角の美ヶ原であったが
ガスで展望はきかず残念だった

折角の美ヶ原高原はガスで視界が無く残念だった。このまま通過して扉峠経由ビーナスラインで周回する予定だったが扉峠付近も災害の影響で、四度工事中完全通行止めのバリケードが有り今度は素直に従った。表紙の柵がある牧場内のグラベルロードをライドしてみたかったのだけれど、実は一般車両通行禁止区間であったのだ。寒くて売店の食堂で暖かい蕎麦を頂いて落ち着いたところで戻ることにした。いったん先程登って来た武石峠まで往路を辿り、「林道蝶ヶ原線」には入らず「県道62号「美ヶ原公園西内線」をそのまま降りていった。「巣栗渓谷」の風光明媚な長いダウンヒルは感動したが寒さとの戦いだった。武石村のR152に合流し、平井寺ンネル経由で小さな峠を超えると「道の駅あおき」は僅かな距離だった。

 Bird's-eye view(GPSの動画)

あとがき

調べてみると、このライドの3ヶ月前の2020年(令和2年)の7月に豪雨が有り、長野県内各地に土砂災害が発生して再び千曲川の氾濫があった様だ。市街地で生活していると大した被害も無くて気にも止めないが、山間部では豪雨が有れば必ず何処も彼処も土砂崩れや川の氾濫が発生している。再び千曲川の氾濫と述べたが、前年の2019年の10月には台風19号が長野県に接近し、千曲川流域で大規模な氾濫被害が広がったのを覚えているだろうか。報道ヘリが飛び交い全国ニュースとなった。死者65人、全階家屋1391戸、半壊家屋4091戸、床上浸水4238、床下浸水10959戸、上田市の別所線では千曲川を渡る橋脚が流され、長野市穂保で堤防が決壊し千曲川の流水が住宅地に流れ込み、流域の多くの家が濁流に飲まれ2階の床上まで浸水、自衛隊ヘリなどが取り残された住民を救助した。実は我家も当日の夜、最大被害のあった場所より13kmほど上流にあるのだが、当日避難勧告が出た。家族は指定場所の体育館に避難したが僕は自宅に残った。その晩は豪雨で停電になった。眠れない夜半過ぎ雨が止み、避難した家族は明け方自宅へ戻ってきた。ほとぼりが冷めた午後、安心していると周りが騒がしくなり外へ出てみると、千曲川から越水した水が内陸から回り回ってきて、なす術もなく、みるみるうちに普段の生活道路や畑が湖となってしまい、我家も床下浸水となった。新築2年目で途方に暮れたのを思い出した。床上とならなかったのが助かったが、その後床下の土砂の撤去と乾燥は大変だった。地元の御老人が仰るには80年以上住んでいるが、生まれて初めての経験だという。人の一生の経験なんて当てにならないものだとつくづく思った次第である。さて、このライドから4年が経過しているが、改めて振り返ると、東山道を松本市から辿る逆コースも面白そうだ。今度は自宅から逆コースを計画中で有る。
                   

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