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愛と涙と星のきらめき 3

 指導室での梨花の武勇は二人だけの秘密にしたままだったが,彼女はその正義感と牽引力で早くも女性徒の中心的存在になっていた。
 新しい友人関係を築くべく探り合いの中、私は誰よりもいち早く、最高の友を得たと言えるかもしれない。

 一方で気になることもあった。
 梨花は私的な会話を投げかけてくる男生徒に対して、悪い陰謀を企んでいる者を見る様な目つきでニコリともせず、言葉も返さず、じっと硬い表情を向ける事があった。

 褐色の瞳の中でメラメラと炎が燃え上がる様な気配に、軟派の男生徒たちはタジタジとなって退散してしてしまう。
 高校生活がスタートしてわずか一ヶ月だというのにその光景を何度目撃しただろう。
 しかし、むき出しの感情は空気で平手打ちを加えたように小気味良かった。

 私ばかりでなく、クラスの女生徒の多くが畏敬と羨望を持って彼女を支持する理由は、梨花が相手によって融和と対立を使い分けている事だった。政治的手法に長け「鉄の女」と呼ばれたどこかの国の女性首長に何となく似ている。

 その手腕をたった16歳の高校生がどうやって手に入れたのか…血筋かそれとも経験からか。わたしは指導室での一件に続く二つ目の謎に還っていた。


 示し合わせたわけでなく、私と梨花は選択科目に音楽を選んだ。
 梨花は大音量で音楽鑑賞が出来るからという理由で…私は担当の教諭が大好きなブラームスに似ているからという少し不純な理由で…。

「うーん、似てるかしら?」

「うん似てる。似てるけど………ほんのちょっとね。若い時のあの聡明そうな広がりのあるおでこ、優しそうな奥深い目元………」

 聞くところ、先生への憧れから音楽を選択したのは私ばかりでは無いらしい。

「じゃあ、バッハやベートーベンみたいだっらどうしてた?」
 梨花は揶揄うように笑った。


 二階建ての学舎は、南の第一校舎と北の第二校舎に分かれている。
 図書室を始めとして、理科室、音楽室、美術室などの特別室は第二校舎に配置されていて、10メートル余りの屋外型の渡り廊下で繋がっていた。
 雨が吹き込まないように軒の深い屋根が葺かれ、白い腰壁が巡らされている。


 その日——
 私と梨花は昼休みの終わる頃合いを見計らって音楽室へ移動する最中だった。
 渡り廊下に差し掛かった時、梨花が小さな声でつぶやいた。

「やぁね、いっつもああやって…」

 渡り廊下の腰壁にずらりと並んでもたれかかる上級生の男子。
 さざめき合いながら、彼らの視線は往来する女生徒の品定めに余念がない。


 この時間、ここを通るのは四回目。
 1回目よりはニ回目、ニ回目よりは三回目。そして何故か今日4回目は1回目の倍近い人数で賑わっている。
 3メートに満たない渡り廊下の幅員では、彼らの視線を間近に浴びながら通らなければならなかった。

 急ごうとする余り足がもつれて、私は前のめりに倒れ込んでしまった。
 コンクリートに打ちつけた膝頭と肘がジンジン痛んだ。
 スカートの裾の乱れが気になっても立ち上がる事が出来なかった。

「大丈夫?美波」
 駆け寄った梨花の手に脇を支えられて漸く立ち上がった時、動転して遠のいていた周囲の音が一斉に耳に流れ込んできた。
 低音ボイスの哄笑…押し殺すような笑い…恥ずかしくても身を隠す場所が無いのが辛かった。

「ちょっと、あんた達。ここは天下の往来よ。たむろする場所じゃないでしょ!挙句に目の前で女の子が転んだというのに、助けるどころか笑いのめして!」

 始まった…気骨寥々とした梨花の痛烈な一撃。
 庇ってもらうのは有難いのだけど…私は身の縮む思いで梨花の背後に隠れた。

 タイミング良くチャイムが鳴った。

「ごめん…悪かった」
 ぞろぞろと退散してゆく群れをかき分けて、二人の友人を伴った長身の男生徒が謝罪の言葉を口に近付いてきた。

「言い訳になるかもしれないけど…女の子に興味のない男なんていないよ。可愛い新入生を見つけたら尚更…誰だってそうさ、そうだろ?」


 切れ長の目が梨花をじっと見つめた。

 梨花はフンとあしらう様に顔を背け、私の手を強く引っ張ってその場を離れた。

   —梨花—

 彼女はどうみても男を憎んでいる。

 何故だかわからないが確信をもってそう言える。

 それにしても……なんて強い人…そして……不思議な人。


 生物の授業で粘菌を育てる寒天培地を作った時のことだった。
 冷蔵庫から、寒天をつぎ分けて冷やした幾つものシャーレを取り出して、いよいよ菌の植え付けという時——

「私の涙を培養したら……希望のかけら,見つける事が出来るかしら?」

 梨花は上擦った視線で、手に乗せたたシャーレを見つめながらボソボソと呟いた。

 私は聞こえなかったふりをして作業を続けたが、心中穏やかでなかった。

 もしかして——もしかして、
 梨花はあの強靭なマスクの下で、私たちには見せない悲痛な叫びを発しているのではないだろうか………。

 私はまた、謎に包まれてしまったらしい。
                            ーつづくー

 ☆お読み頂き有難うございます。
 短編で書き上げるつもりでしたが、案の定、予定は未定になりそうな気配です。

 ☆見出しの画像 Fuuさんの作品を拝借しました。有難うございます💐







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