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スウェーデン映画「短くも美しく燃え」とモーツァルト・ピアノコンチェルトNo.21 第2楽章

 スウェーデン映画「短くも美しく燃え」は1889年スウェーデンで起きた実話をもとに映画化(1967年)され,日本公開は1968年ですからかなり古い映画です。

 物語りは妻子ある陸軍中尉スパンレーと、サーカスの綱渡りの娘エルビィラの道ならぬ恋の逃避行で始まり、心中という悲しい結末を迎えますが,実話とは言え二人が残した痕跡を辿って物語の細部をイメージで描いた内容と言えるでしょう。
 逃亡直後の幸せな時は過ぎ、手持ちの資金が底をつく中で脱走兵のスパンレーには働くチャンスも無く、エルビラが踊り子としてわずかな糧を稼ぎます。やがて追っ手が迫っている事を知った二人は更に逃れ、宿を取った近くのもりで野生の実を食べて飢えを凌ぎます。しかし,自然の恵みをもたらす北欧の夏は短く、長く厳しい冬に向かって生き延びる事はできない現実に突き当たり、死を覚悟したピクニックで最期の朝食を楽しんだ後、ピストルで心中を図ります。心中の場面は描写される事なく、エルビィラの静止画像に二発の銃声の響きをかぶせた余韻のあるエンディングで描かれています。

 心中もののこうした道行きはとかく美化されて描かれますが、背景となっている北欧の自然の美しさ、そして音楽がこの映画の唯一の見所かなと思いました。
 私個人の見解ですが…二人が過ごした森はおそらく写真集で見たデンマークのコペンハーゲン近郊にある「ディアハーベンの森」かと思われます。ディアハーベンは海岸に連なる起伏のない平地に広がる美しい森です。画面を塞ぐかの様な柏の巨木(おそらく)は、現実の二人にとって休息に打ってつけの場所であったに違いありませんん。



 それにしても原題は、女主人公の実の名前 [ Elvira Madigan ]になっていますが、愛の逃避行の立役者はエルビィラその人であったという事なのでしょうか。
 一方、邦題の[ 短くも美しく燃え ]は物語の全貌をひと言で表現していて、改めて日本語の語彙の豊かさと感受性の美しさが優っていると思わずにはいられません。

 長々と映画の話をして来ましたが本命はこの映画の背景に流れる[ モーツァルトのピアノコンチェルト NO.21 第2楽章 ]についてなのです。画面の中ではピアノ演奏の部分が少なく少々残念でした。

特にクラシック好きという訳では無く,大学でピアノを専攻していた娘が買い求めたCDを、家事をしながら聴き流していたある時——胸に染み入る様な優しい旋律に思わず家事の手を止めてスピーカーのそばに駆け寄っていました。ボリュームを上げて二度三度繰り返し聞くうち、涙で顔がクシャクシャになって……感動で目が潤むのは何もクラシックとは限りませんが、その頃心の癒しとして求めていた旋律がこのモーツァルトの第2楽章だったという事なのでしょう。その時以来、この曲は「私の心のモーツァルト」になりました。
 娘の引っ越しと同時に手元から無くなってしまいましたが、今回ふと聴きたくなってネットで検索していたらこの曲が [ 短くも美しく燃え ] 又は、[ Elvira Madigan ]としてこの映画に使用されたと紹介されていて、思わぬ映画鑑賞となった次第です。

 探し当てたコンチェルト演奏のアーチストや音質はともかく、心折れ疲れた時に聴いたモーツァルトはただただ美しく、期待通り心を癒してくれました。
 モーツァルト ピアノコンチェルトNO.21 ,珠玉の第2楽章です。

                       ——私の心のモーツァルト——

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