見出し画像

物語り 愛と涙と星のきらめき 1

 両手で抱えたひざ頭に顔を埋めて,少女は上り框にうずくまっていた。
 明かりとりのガラスを漉して午後の眩い日差しが玄関のたたきに降り注いでいる。にも関わらずむき出しの細い手足は,近づく冬をただじっと待っているような冷たい硬さを感じさせた。

「ただいま、加奈ちゃん」
 梨花は膝頭に頭をもたげたままの少女に声をかける。徐ろに面を上げた額の上に,白い光が流れると少女は眩しそうに瞬きながら瞳を上げた。

「美波,妹の加奈よ。さあ,ともかく…どうぞ上がって」
 私は首を横にかしげて加奈と紹介された少女に会釈を送った後,促されるまま靴を脱ぎかけた時だった。
 加奈が解けた口調で質問を投げかけた。

「美波ちゃんて言うんだ。お姉ちゃんのクラスメイト?美人だねー。ミス高木学園ってとこかな」
 年下の女の子から称賛を受けたのは初めてだったから,わたしは変にはにかみながら有難うと言った。

「ねーえ,私も美人でしょう?ミス白百合って呼ばれてるの。ミス白百合になったら大変なんだ。一年間女王様の仕事が沢山あって………」

 そこで突然話は立ちすくみ,加奈は急に謎に返ったようにな表情を浮かべた。

「ねえ,アルデバラン知ってる?」

「……うん,知ってるけど………」会話の急展開に違和感を感じながら,私はボンヤリとした低い声で答えた。

「アルデバランは私の星なの……私はゼウスの化身,白い牡牛に拐われたフェニキアの王女エウロパ……」

 視線が緩んだかと思うと突然,加奈の思考はもつれ,地上を飛び立っていた。頭上の真昼は星の瞬く夜空へと変貌し,その無限の深遠に吸い込まれていくような……もしかして私は……見てはいけないものを…見聞きしてしまった?
 何か言い知れない心配でわたしは梨花を振り向いた。

 物思わしげな表情で二人の会話を聞いていた梨花は,話の行く末を見守りながら心の中で美波に語りかけていた。

 ——貴女の顔に微かな動揺を見た時、私は何故か良かったと思うのだった。むしろ難しい話をどうやって切り出して良いか,迷う必要は無いとさえ思った。何故なら、美波を家に招いたのは私の家族を知ってもらう為だったから。そして妹が二日間の外泊許可をもらって白百合学園から帰還する,今日という日が用意されなければならなかった。貴女はいつも冗談半分に私のこと正体不明の親友って言うけど,その正体不明の秘密の秘密がまさしくこの妹,加奈なの————

「びっくりしないでね」梨花はそう前置きしてから言った。
「白百合学園は…精神…病院なの」と。
 言葉は分解されながら私の胸に重く沈み込み、一瞬,脈拍がトクンとつまずいた様に乱れた。そして……言葉を失った。

 長い沈黙が続いた後
「ごめんなさい。立ち話でする内容じゃないよね」
 梨花はふたたび私を促すと
「フェニキアの王女様もね。王宮のティータイムよ」

 まだ,エウロパの人格から覚めやらぬ加奈の手を取った。

 





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?