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「大地」と著者パールバックを語る 其の1

 パールバックは1938年ノーベル文学賞を受賞したアメリカ初の女性作家です。
 その受賞作「大地」の舞台となった時代の中国は、古い時代から近代へと移行する過渡期にありました。
 改革と銘打った「大小の革命軍」による抗争が続く一方、生活の立ち行かない貧しい農民を取り込んだ無法集団「匪賊」がはびこり、各地で殺戮と略奪が繰り返されるという長い恐怖の時期が続きました。

 戦乱の続く不安定な状況下にあった農民は、一方で時を選ばず発生する干ばつや水害に心を痛め、引き続き起こる過酷な飢饉に命を張って耐え忍びました。
 「大地」にはこうした困難を乗り越え、正しく大地に根を張っ生きる農民の逞しい姿が描かれています。

 主人公,王龍(わんろん)も先祖代々の僅かな土地を耕作する貧しい農民の一人でした。
 嫁取りの時期を迎えた王龍は大地主の黄(ホォワン)家に頼んで、奴隷として働いている阿蘭(あーらん)を貰い受けます。
 阿蘭はよく家事をこなす一方、畑に出て王龍と共に土を耕し作物の植え付けを手伝いました。

 豊穣の年でも倹しい生活を変える事なく財を蓄え、それを元手に少しずつ土地を買い入れ耕地を増やして行きました。
 貧しい農民に過ぎなかった王龍はやがて大地主になりますが、阿蘭の気丈さと知恵と頑丈な手足が支えたことは言うまでもありません。

 阿蘭を貰い受ける時、王龍は彼女が纒足(てんそく)をしていない事にがっかりした——とありますが、その当時の中国では殆んどの女性が纏足を施しています。古く北宋の時代から存在した足を小さく見せるための風習でした。4~5歳の幼少期のうちに足首から下を布できつく縛り、足の成長を妨げるという自然に反した過酷なものでしたが,良縁に結び付くシンボルとして女性たちの美意識となっていったのでした。
 しかし長い間布できつく封じ込められた足指は癒着し、美の象徴とはとても言い難い醜いものでした。
 さらに困難な歩行をもたらし、介助なしでは一人で歩くこともままならなかったと言います。男社会の中で所有物同然、自立自由を奪われていたのが現実です。

 阿蘭は纏足を施す前に奴隷として売られて、むしろその難を逃れたと言って良いでしょう。頑丈で自由な下肢は王家の繁栄にとって大きな助けとなりました。

 この悪しき纏足の風習は、後の政府中国共産党によってようやく廃止されます。

 作品中、王龍の長女として生まれた名前の記載が無い精神障害(精神薄弱)の娘が登場しますが、この娘の背負った運命は王龍の憂いを誘い、逃れることの出来ない悲しみが付き纏います。


 王龍の悲しみは著者パールバックの悲しみそのものでした。
 パールバックが第一子として授かった娘は、知能がいつまでも子供のまま成長をしない重い精神障害を持って生まれたのです。
 
 それまで自分の周囲にあった何気ない日常の喜びすべてが虚ろになり、人性に意味を失ってしまったと言います。
 パールバックは娘の将来を危惧しながら長い葛藤の時を経て受容に至り、夫と離婚して娘と共に母国アメリカに戻ります。
 帰国後娘を養護施設に預け、その施設のそばに住まいを構えて娘を見守る事にしました。
 しかし高額な養育費の支払いに迫られ執筆活動を再開しますが、この時中国での経験をもとにした大作「大地」を書き上げます。
 一方、世界中で「偏見や差別」に苦しむあらゆる人々の救済活動に取り組みながら、娘の持つ障害の研究に役立てて欲しいと惜しみなく寄付を続けました。(が、悲しい事にこの障害の原因は未だ解明されていません)

 障害に対する偏見や差別はパールバックが受けた絶望に続く心の痛手であり、娘を守る為に戦うべき相手でした。世の中に存在する全ての偏見と差別への戦いは彼女の意識的行為として生涯にわたって取り組む目標となって行ったのです。

 一巻には纏足の他、アヘン吸引、人身売買、一夫多妻など当時の風習が描かれています。 (纏足同様、新政府によってこれらも全て禁止されました。)

 資産家となった王龍は妻、阿蘭の存命中にも関わらず、かつて踏み入れた茶屋の芸妓を第二婦人として迎え入れます。
 心中穏やかでない阿蘭は自らの存在を誇示する様に、王家の妻として母として気丈に振舞い、今際の際まで家内を取り仕切って亡くなりますが、一日と置かず老父も他界してしまいます。

 時を経て——ある日、奴隷を売りに来た男から小さな女の子を第二婦人に買い与えます。
 少女は梨花と名付けられ清楚な美しい娘に成長していました。

 年老いて煩悩から解き離れつつあった王龍は、ある日卒然とその若い色香に惹かれている自分に気が付きます。 

 所有欲に駆られ王龍は、梨花を愛人にしたい心中を明かし同意を求めるため、家族一人一人と個別に面談します。
 子供達はそれぞれの方法で受け止めますが、三男の王三だけは黙して語らず、面談の場で突然軍人になると言い出しますが王龍の傍らには梨花が控えていたのです。彼は秘かに梨花に心惹かれて惹かれていたのでした。
 この時、王龍はうっすらと彼の心を垣間見たなずなのですが……。

 もはやこの家にとどまる事はできない——という三男の悲痛な思いが行間から読み取れますが、彼は出奔を決意して故郷を去って行きます。

 一人の女性をめぐる父と息子の確執は、アンドレジッドの「田園交響曲」にも描かれていますが、息子ジャックは牧師である父と異なる宗派に改宗という形を取って一矢を報い、家を出て行きます。王龍親子の場合も和解の糸口さえ無い相剋となって分裂し、断絶へと向かいます。
 古今東西、親子の確執は家族の間にみられる普遍的なテーマかもしれません。

                                                                                   --次回へつづきます--


☆お読み頂き有難うございます。
 予てより読んでみたいと思っていた作品です。
病気療養中読破したいと思っていましたが、体調不良に阻まれてようやく読了しました。想像してい通り、大河ドラマの様なスケールの大きい内容です。
三巻から成っていますが他の作品の合間に一巻ごと纏めて発表したいと思います。日頃お付き合いいただいてる皆様、画像を拝借しましたlisa様に感謝を込めて。

                                 縷々







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