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愛と涙と星のきらめき 2

 お互いの名前も顔も覚束ない入学早々の時期だった。
 梨花と私はそろって生活指導室に呼び出された。
 私はパーマのような縮毛で…梨花は脱色した様な褐色の毛色で。

 パーマを当てているのではないか、脱色しているのではないか——指導教諭は胸元に腕を組み、高圧的な物言いで椅子にふんぞり返った。

「先生私のこの眼、よ〜く見てください」
 梨花は教諭の眼前に顔を突き出した。

「虹彩の色、薄いアーバン色でしょう?——メラニン色素のなせる技、この髪も同じです。メラニンの濃淡で髪毛の色,太さ,硬さ,量,直毛か癖毛か人によって違いが出るんです。私の髪は細いサラサラのアーバンヘアー。先生の髪は見たところ黒い剛毛って感じ…」

 梨花は言葉を切ってから——さあ今度は貴女の番——という様に私を振り向き、彼女の毛は紛れもない癖毛だと言った。
 梨花の抗弁にすっかり気おされ無言のまま立ち竦んでいた私は、突然振られた話にあたふたと学生服のポケットを探った。
 いつも持ち歩いている学生証の内袋から一枚の写真を取り出し、遠慮がちに教諭の眼前に差し出した。

「小さい頃からこんな感じ…です」
 今よりもっとクリンクリンの巻毛の女の子が得意満面の笑顔で自転車にまたがっている。そう—初めて自転車に乗れた5歳の私だ。

 教諭はバツが悪そうに、黒い剛毛と言われた頭髪をしきりと撫でながら一言も言及して来ない。

 ——思惑は的はずれー思惑は的はずれ——
 同じ事を考えながら二人は自然と顔を見合わせ,勝利を勝ち取った様に微笑んだ。

 教諭は傷付いた威信を自ら癒すように腕を組み直し,大きな咳払いをしてから言った。
「分かったよ。分かった,分かった。これにて二人は無罪放免だ。うーん,それではと‥昼休みが終わらないうち校内を一回りして来ようかな」と、素早く矛先を転じて昂然と指導室から出て行っしまった。

「ねえ,戻ってもいいのかしら?」私は当惑して小声で言った。
 梨花は赤みがかったしなやかな髪を手で跳ね上げ
「放免って言ってたでしょ。さあ戻ろう。せっかくの昼休みが終わっちゃう」

 私は彼女の横顔をまじまじと見つめた。
 いままで教師を相手に、臆せず毅然とした態度で抗弁した生徒がいただろうか。
 私の驚きをよそに、当の梨花はすっかり忘れてしまったかの様にいそいそと小走りに廊下を走り始めた。

 この日をきっかけに二人は急速に親しくなって行った。

 その後、指導教諭と廊下ですれ違うたび、梨花の痛烈な一撃を思い出した。
 教諭の方はむしろ親しげに声をかけて来たから、赤毛と癖毛の二人は秘密を分かちあうように目を見合わせ密かに笑い合った。
 指導教諭からなんのお咎めもなく解放された、長谷川梨花と私,田中美波。
 たったひとつの秘密の共有が交友の始まりだった。

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