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夢想空間


 ステンドグラスの煌めきは
 いやまさりて 輝石のごとく伽藍の窓を彩り
 漉される筈の入光は しばし色彩に溜まってのち
 淡く優しい光となって伽藍に降り注いでいる

 昨年末、ある方の記事にノートルダム大聖堂のステンドグラスの写真がアップされた。
 輝くものなら身辺のもの問わず、自然の事象に至るまで大好きな私は、実際この目で見れたらどんなかと叶わぬ夢を「夢想」していた。


   10数年前、身内の病気見舞いの帰途ふと思い立って立ち寄った丘の上の教会。
 行事さえなければ、教会関係者でなくても誰でも立ち寄ることが出来る。
 散歩の通りすがりに…旅の行きずりに…私の様に祈りを捧げるわけでもなく、ふと思い立って立ち寄る者もあるだろう。
 大聖堂の輝きこそないが中世ヨーロッパ風の品格のある教会だった。

 ひとたび壮麗なスペクタルの中に身を置くと、神聖なものへの促しが一瞬にしてクリスチャンの心地に変えてしまう。
 祈る事に不慣れな私も希いをひとつ——と思い、見舞ったばかりの身内の快方を願って礼拝堂の長椅子に腰を下ろした時、初めてでは無い感覚が蘇った。

 戦後の復興を成し遂げつつあった昭和中頃、キリスト教による伝道活動が盛んに行われていた。
 彼らはアコーディオンと大太鼓を携え、決まったエリアの決まった地点に週1の割合で出没し、讃美歌を歌い流していた。
 当時八歳だった私はアコーディオンの音が聞こえてくると、慌ててサンダルをつっかけて駆けつけ、讃美歌にうっとりと聞き入っていた。
 今でも覚えている——きれいなきれいな流れのそばで……

「日曜学校への誘い」と言うビラをもらって父にせがみ許し得て通うことになった。
 大勢の子供が集い、暗誦した聖句を発表しあったり、行事の手伝いをしたり、子供達にとってはかけがえのない精神修養の場であった。

 その頃のことを努めて客観視すれば、子供心に厳粛に受け止めてはいたものの、宗教の何たるかは少しも理解していなかった様に思う。
 しかし、子供向けに噛み砕いて行われた説教から学んだ「道徳律」こそが3年にも及ぶ日曜学校通いの原点だった。

 理解を持って通わせてくれた父だったが、驚いたのはクリスチャンでも無い父があずき色のコンパクトなバイブル持っていた事だった。
 英会話が堪能だった父は仕事上のつながりで、あるアメリカ人の秘書代りとなって助力していた。
 彼が任務を終えて帰国する際、母国での仕事を手伝って欲しいという申し出があったが、年老いた母親がいた為断ざるを得なかった——と言う経緯があったらしい。
 そして異国の地へ赴く際、携帯したバイブルを置き土産として帰国したのだった。

 今思うと、父にとって人生の分岐点でもあっただろうし、家族——とりわけ将来のある子供達の人生の分岐点でもあっ筈。
 順調に事が運んでいたら私の人生はどう変わっていたか、思い出の来し方を逡巡しながら目の奥に潤むものがあった。

 神聖なな気分を味わい、思い出に浸り、俗世の煩わしさから解き放たれたひと時をすごして、夢想の空間を後にした。

  ☆

 今、新しい年を迎えて思うことは——
 心の成熟に反して肉体のエネルギーの下降は覆い隠せない現実になったと言う事。
 これを達観しなければならない年齢になったと言う自覚を持って、進むのでもなく退行するのでもなく、踏みとどまって、生きる事自体を充実させて行きたい。

 ひと言、愚痴を許していただければ家庭に入った女と言うものは「自己実現の生」からは程遠い人生を歩まなければならない(理解ある伴侶に恵まれた人は別だが)
 もう一度生きられるとしたら、何にも損なわれない思いっ切り勝手気ままな人生を歩んでみたいと思うのだが……
  新年の抱負とは裏腹の、やり直し人生の抱負とは、失言のほどお許しを。
 実現不可能!と笑わないで。今年もどうぞ宜しく。


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