身体性という器

稽古でサンチンをやりました。
空手の型です。
整体の稽古なのに、なぜか空手です。

呼吸の内圧を高める、という目的があります。
体の内側に息を吐くイメージで、呼吸をする。
するとロードバイクのタイヤのような高圧が、身体にかかります。

自転車漫画『のりりん』(鬼頭莫宏)を読んでいたら、「軽いペダリングの負荷は心肺に、重いペダリングの負荷は筋肉に来る」という説明がされていました。サンチンは明らかにローギアですね。筋肉にめっちゃきます。

筋肉負荷の高いトレーニングをするコツは、「やりすぎない」「絶対に息を上げない」「回復するまで徹底的に休む」。
これにつきます。
息が上がることは、整体や武道の稽古ではタブーです。
酸欠状態なので、体のキャパシティに見合っていない、余計な負担がかかっています。

心肺の方が代謝は圧倒的によく、疲労回復しやすいけれど、手足の筋肉はそうもいきません。また、私が我流トレーニングで壊した時の場合、筋肉痛みたいな分かりやすい形で表面化することもありませんでした。疲労が突然堰を切って、ドバッと溢れる感じでしょうか。

大学時代にママチャリとロードを乗り回し、さらに登山しまくっていたので、私の足は都内の人の1.5倍くらい太いです。飛脚みたいな足です。
細い=クールみたいな価値観がありますが、その実体は残念ながら、現代人の弱体化の象徴です。
足腰が弱いと、必然的にメンタルも弱くなります。

また逆に、ジムトレーニングでこれみよがしに上体ばかりを鍛えるのも、ナンセンスです。重心が上がりすぎるし、大胸筋が硬いと、ただでさえ硬い日本人の胸の動きを妨げます。
さらにさらに、腹直筋が硬くなると、一般論として神経質になります。
ここは胸鎖乳突筋とつながっていて、心配事があると緊張します。
ですから考え込みすぎるタイプの人に、筋トレはあまり向いていません。
アメリカのボディービルダーは、ステロイドと向精神薬をばんばん摂取するのが基本だそうです。それには上述した意味合いがあります。
過剰な局所トレーニングで壊したメンタルバランスを、薬剤で補うのが本場のやり方だということです。

したがって、西洋人向けのトレーニングを日本人の体に無理矢理インストールしても、恩恵は薄いのです。
というのも、あらゆる訓練法はそれに見合った身体性という器に最適化されているからです。

あらゆる近代化や近代軍の特徴は、「多様性の淘汰と規格の均一化」です。
それは規格化され大量生産された兵器を、全国から依り集められて方言を捨て去られ、同じ標準語を用いる軍隊組織に、ムラなく配備するためです。均一的な軍事行動をするためには、さらに均一的な身体性の持ち主が寄り集まっている必要があります。

現代社会に生きる人間の身体性は無意識のうちに、この「近代のエートス」に則って形作られています。
学校の体育教育には、実は「均一化された身体性を育みたい」という無意識のカリキュラムがすり込まれています。
近代体育の発祥は、実はイギリス士官学校の軍事教練です。誰にとっても明瞭な形で競技記録を計り、ラットレースよろしく横並びを競わせるのは、実は兵器や商品の産出と、その目的が同一だからなのです。受験勉強もこれによく似ていますね。

それではどの訓練が一番いいのでしょうか?
私の答えはこうです。
それは食べ物と一緒で、その土地で育まれた文化伝統を、その土地の人間が消化するのが、一番効率がいい。
時の流れ・歴史の厚みは、合理化の果ての非合理性を、音もなく淘汰します。

初心者の方・運動不足・デジタル幽霊の方は、ゆっくり歩くことから始めましょう。
最高のトレーニングです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?