なゆラビが初夜を過ごした翌日の話

「……ん」

 瞼の裏に映る視界の明るさに、ラビはゆっくりと目を覚ました。身体を起こそうとしていつもと違う感覚に眉根を寄せ、自分の身体を見下ろす。

「……ああ」

 ラビは違和感の正体にすぐに気付いた。まずひとつ、寝ていたのがいつものベッドではなかった。もうひとつ、何も着ていない。

「なるほど」

 ラビは得心したように頷いて、隣に眠る少女を見た。その少女は……那由他は身体をこちら側に向けて丸まり、幸せそうな寝息を立てている。掛け布団の下に覗くのは、ラビと同じく何も纏わぬ素肌である。ラビは壁掛け時計を見た。

「少し遅くなってしまいましたね」

 ラビは那由他の肩に手を触れた。しっとりと吸い付くような素肌の感触に、脳裏に昨晩の光景が蘇る。胸の内に再び生まれかけたその情動を押し殺し、彼女は肩を揺さぶった。

「起きてください那由他様。朝ですよ」

 那由他は「うぅん……」と呻き、向こう側に寝返りをうった。ラビは少し考え、覆い被さるように顔を寄せた。そして、頬にキスした。

「……浮かれてますね」

 ラビは顔を離しながら呟く。彼女の頬は微かに赤く染まっている。

「……ラビ、さん……?」

 那由他が薄く目を開いた。ラビは「おはようございます」と朝の挨拶をする。

「……おはようございますの……」

 那由他はうとうとしながら挨拶を返し、既に上体を起こしているラビを見て、掛け布団の下の自分の身体を見た。「……〜〜っ!」そして頭まで布団を被った。

「那由他様?」

「ケダモノですの!」

 驚くラビに怒声がぶつけられた。ラビは眉根を寄せ、布団を剥がそうとするが、裏側からガッチリと掴まれているのか離れない。

「なんですかケダモノって」

「ケダモノはケダモノですの!」

 那由他は目から上だけを布団から出した。眉を怒りの形にしながらも、その瞳は潤んでいる。

「私……初めてでしたのに……あんな……は、激しく……! し、しかも……なんだか……ねちっこかったですの……!」

「ああ……」

 ラビは得心が行ったが、納得はできずに首を傾げる。

「私も初めてでしたよ」

「関係ありませんの!」

「……あの、一応今は初夜の翌朝ということで。普通でしたら、もう少し……所謂、ロマンチックな雰囲気というものになると思うんですが」

「知りませんの!」

 那由他は取り付く島もなく、また掛け布団に隠れてしまった。「まったく」ラビはため息をついてベッドから降り、脱ぎ散らかされた服を着る。

「別に拗ねていても構いませんが、朝ごはんの時間にはリビングに来てくださいね。土曜日とはいえ生活リズムは大事です」

「……わかってますの」

 那由他の多少しおらしくなった声が聞こえた。ラビは着替えを終えて部屋を出る。自室の箪笥からタオルを取り出し、洗面所へ。髪を留めて顔を洗う。

「……ううん」

 ラビは小さく唸った。全身が……特に下腹部の更に下の部分がベトベトしている。昨晩は那由他との初夜を過ごした後、疲れてそのまま眠ってしまった。先にお風呂に入るべきか考えるも、虫のような音がお腹から聞こえ、朝食が先だと考え直す。

 ラビがキッチンに向かうと同時に、玄関チャイムの音、そして「なーーゆーーたーーん! ラーービーーたーーん!」と呼ぶ声が響く。「おや」とラビは方向転換し、玄関ドアを開けた。

「おっはよー!」

「おはようございます。早いですね」

 来客は八雲みかげだった。彼女はもはや常連であり、ラビもわざわざインターフォン越しの対応を挟んだりしない。

「今日は朝からなゆたんパパ探しをお手伝いする日にしたんだー。えらい?」

「はい。とても偉いですね。それに朝ごはんやお昼ごはんを一緒に食べられますしね」

「うん!」

 みかげは靴を脱いで家に上がり、手を洗いに洗面所へと向かう。ラビがその背中に「そうそう」と呼びかける。

「今日の那由他様はぷりぷりしてるかもしれないので、気を付けてくださいね」

「なゆたんが?」

 手を洗いながら、みかげは驚いたように見返した。

「なゆたんがミィとかラビたんにぷりぷりすることってあるの?」

「……まあ、実際に後で見て頂きましょうか」

◆◆◆◆◆

「わー」

 みかげはどこか気の抜けた声を上げた。彼女の視線の先、ラビが作ってくれた朝食を食べる那由他は、全身から「私怒ってますの」というオーラを……ひどくわざとらしく……放っている。

「本当にぷりぷりしてるねー」

「ね。ぷりぷりしてるでしょう」

「見世物じゃありませんの!」

 那由他の怒声に、「ごめんねなゆたーん」とみかげが気の抜けた謝罪を返す。

「心配ありませんよ、みかげさん。見てもらえなかったら、それはそれでぷりぷりするはずなので」

 みかげへのよくわからないラビのフォローに、那由他は言葉を返さずに漬物を食べる。図星だったようだ。

「ラビたんがぷりぷりさせちゃったの? 何したの?」

 みかげは無邪気な瞳でラビに尋ねた。ラビは「ううむ」と顎に手を当て、横目で那由他を確認する。

 那由他はこちらを見ないようにしているが、その耳は微かに赤く染まっていた。可愛かった。ラビはもっと辱めたい気分にもなったが、さすがに小学五年生を穢すわけにもいかず、「大人にも色々と事情があるんです」と煙に巻いた。

「あー! ミィに隠し事してる!」

「大人になったら話しますよ。その頃には忘れているかもしれませんが」

「今教えてよー!」

「みかげさん。食事中はお静かに、ですの」

 詰め寄るみかげを那由他が厳かな声で叱った。「なゆたんに叱られるのはなんか納得いかない……」とぼやきながら、みかげはおとなしくなる。

「ところで那由他様、食事の後にお風呂は入られますか?」

 ラビがふと思い出したように問いかける。那由他はラビを一瞥し、すぐに目を逸らす。

「入りますの」

「あれ、なゆたんもラビたんも昨日お風呂入ってないの?」

 みかげが不思議そうに二人を見る。ラビが答えた。

「いえ、入ったんですが……少し汗をかいてしまい」

「ふーん。魔女退治?」

「そんなところです」

 ラビは真顔で嘘をついた。彼女のポーカーフェイスは凄まじく、みかげは「ふーん」と信じこんだ。

「あ、そしたらなゆたんとラビたん一緒に入ったら?」

 みかげは妙案を思いついたとでも言うようなテンションで提案した。次の瞬間、「んっふんっふ!」
「えっほ……!」那由他とラビが同時にむせた。

「え、なに!? どうしたの!?」

「……いえ、何も」

 ラビは脳裏に浮かんだ昨晩の光景を頭から追い出した。彼女は表情を取り繕ったが、ポーカーフェイスと呼ぶには耳が赤かった。那由他に目を向ければ、頬までわかりやすく染まっている。

「……別々に入りましょうか」

「……そうしますの」

「……なんか、ごめんね。よくわかんないけど……」

 微妙な空気が流れたまま、三人は朝食を食べ終えた。お風呂には那由他が先に入った。彼女がいない内に、みかげはラビから事情を聞きたがったが、ラビは家事をこなしながらのらりくらりとかわして言わなかった。

◆◆◆◆◆

 それから。

「もしかして痴話喧嘩?」

「違いますの!」「正解ですよ。みかげさんは賢いですね」「違いますの!!」

 みかげが喧嘩の種類を言い当てたり。

「なゆたん、無理してぷりぷりするの向いてないよ。疲れてるよ?」

「……ふう……別に……無理してるわけじゃありませんの」

「……ラビたん、いいの?」

「ええ。逆にどこまでぷりぷりし続けられるのか気になってきました」

 みかげが那由他の無理を言い当てたり。

「ねえ、ラビたん」

「どうしました、そんな内緒話みたいに」

「なゆたんとラビたんって、もしかして……エッチ、したの?」

「…………、……なぜそう思ったんですか?」

「だって、なんだか二人の雰囲気がそんな感じだし」

「……小学五年生ですよね?」

 みかげが昨晩のことを言い当てたり。

 色々なことが起きつつ、その日は夜を迎えた。

◆◆◆◆◆

「なゆたんもう全然怒ってないよね」

 夕飯の皿を食器洗浄機に入れるラビに対して、みかけが話しかける。みかげのために早めの夕飯を取ったため、窓越しに見える外もまだ少し明るさが残っている。

「そうですね。ある時の私のように謝りどきを見失ってオロオロしてるフェーズでしょう」

「なんでもわかるね」

「……まあ」

 那由他様のことですからね、とは言わないでおく。惚気でしかないからだ。

「ミィ、二人が喧嘩してるって聞いてちょっと不安だったけど……いつも通り、ずっとイチャイチャしてるの目の前で見せられてた気分」

 ……言わないでおいても、みかげにはお見通しのようだったが。それよりも、ラビの頭にみかげの言葉が引っかかる。

「……今いつも通りって言いました?」

「うん。なゆたんとラビたんが付き合い始めたのなんとなくわかったし、距離すっごく近いし。大体なゆたんがわかりやすかったからだけど」

「……なるほど」

 ラビは別に秘密にしていたつもりはなかったが、みかげに対して付き合い始めたことを言うタイミングに中々恵まれずにいた。しかし結局バレていたらしい。

「みかげさんは観察眼が鋭いですね」

「多分なゆたんがわかりやす過ぎるだけだと思うよ」

「さっきから私の名前が聞こえますが、なんの話をしてるんですの!」

 不意にリビングから那由他の怒った声がした。みかげは特に驚きもせずそちらを向く。

「なゆたんまだぷりぷりしてる。えらいねー」

「偉くはないと思いますが……」

「でもね、ラビたん」

 みかげが心配そうな瞳でラビを見上げた。ラビはフライパンを洗う手を止め(大物なので食器洗浄機に入らないのだ)、みかげに向き直る。

「なゆたんわざとぷりぷりするの向いてないし、このままだと疲れて死んじゃいそうだから、早めに仲直りしてあげてね」

「……みかげさんは偉いですね」

 ラビはみかげの頭を撫でた。みかげは照れくさそうに笑うと、「そろそろ帰るね」と踵を返した。

「送りましょうか」

「へーき! 今日は屋根の上跳んで帰るし!」

「それなら構いませんが、足元には気をつけてくださいね」

「うん!」

 みかげはリビングに戻り、「なゆたんまたねー!」と挨拶をして家を出ていった。朝以来のシンとした空気が家の中に流れる。

「……さて、と」

 ラビは洗い物を終え、リビングに戻った。那由他は勉強に集中していたようだったが、ラビの姿を認めるとハッとしたようにぷりぷりを再開する。

「…………」

 ラビは無言で那由他の前に机を挟んで座る。那由他はちらりとラビの様子を確認する。

「……もしかして、怒ってますの?」

「……さあ、どうでしょうか」

 ラビは明言しなかった。那由他の表情が不安そうに歪み、何事か考え、やがてラビをしっかりと見た。そして。

「ご――」「申し訳ありません」

「えっ?」

 那由他が頭を下げるよりも一瞬早く、ラビが先に頭を下げた。那由他は豆鉄砲を食らったかのように目をパチパチとしている。

「昨晩の私は、確かに自制が効いていませんでした。少し触れるだけで小動物のように震える那由他様が可愛らしく、また面白かったのが原因なんですが、それでもまだ生娘だった那由他様のことをもっと気遣うべきでした」

「……いえ。私のほうこそ、意地を張ってしまいごめんなさいですの。……その、昨日は、ラビさんの愛が感じられて、嬉しかったですの。……謝罪に多少悪意は感じましたが……」

 那由他もまた頭を下げた。二人は顔を見合わせ、微笑んだ。

「仲直りですね」

「ですの!」

 那由他は上機嫌だった。やっぱり、この人にぷりぷりは向いていない。ラビは心の中でそう思った。

「この後はどうしましょうか。まだ時間はありますし……勉強でも教えましょうか」

「……あっ」

 那由他は何かを思いついたかのような声を上げたと思うと、頬を染めた。不可解な態度にラビは眉根を寄せたが、すぐに理解した。しかし助け舟は出さずに続きを待つ。

「……えっと、その……」

「なんでしょう」

「……昨日は、初めてで……。なのに、激しくてねちっこくて……だから、正直あまり覚えてなくて……」

 しどろもどろになる那由他の可愛さに、ラビは話を打ち切ってしまおうかと考えた。その衝動をぐっと堪える。

「それに、私は全然攻められなくて……だから、その……リベンジですの!」

「はあ」

「ラビさんのことも……きもち、よく……して、しっかり記憶に留めますの!」

「…………」

 ラビは無言になった。その理由を誤解した那由他は慌てて弁明する。

「あ、別に今すぐではありませんの! 色々済ませて、寝るタイミングでいいですの! それにもしラビさんが乗り気じゃないなら」

「わかりました」

 ラビは頷いた。「え?」と逆に理解できなかった那由他が瞬きをする。ラビは机を回り込むと、「ちょっと失礼しますね」と一声かけ、軽々とお姫様抱っこをした。那由他は状況を理解できていない。

「え……え?」

「リベンジマッチをご所望とのことですので。行きましょうか」

「え……あ……あっ!? 違いますの! 今すぐではないですの! お風呂も入ってないし……というかちょっとだけ魔法少女の力使ってますの! どうして今!?」

「静かにして頂けませんか。ご近所迷惑ですよ。……昨晩も」

「な……〜〜っ!」

「はい、着きました」

 ラビは器用に自室のドアを開け、中に入って閉めた。まだ動転している那由他をベッドに下ろし、覆い被さる。

「始めましょうか」

「……あ……い、嫌な予感ですの。今回は私が攻める予定ですの。なのに、これは……っ!」

 何か言いたげな那由他の唇を自分の唇で塞ぎ、ラビは制服に手をかける。彼女のスイッチは完全にONになってしまい……また可愛い那由他を見たいという欲を、どうやら抑えられそうにはなかった。

◆◆◆◆◆

「ケダモノっ! ケダモノですの! それに変態ですの! どうしてそんなねちっこいんですの!?」

「抑えたつもりでしたが。……いえ、記憶を辿ってみれば、特に抑えようとは思ってませんでしたね」

「さいっていですの! みかげさんにはラビさんに近付かないよう言いますの! 変態だから!」

「その場合、何があったのか自白するまで問い詰められると思いますよ」

「〜〜っ! へんっったい!! ですの!!」

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