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自然体のおもてなしが心地良い

ガマルジョバ!(こんにちは!)
ジョージアの黒海から、surf anneです🥰

先日、ジョージア人夫婦のお宅へご招待され、ランチをいただいてきました。

誰一人知り合いもいないこの国へやってきた私たち。

そこで出逢ったご夫婦

トルコでもそうだったけれど、
出逢いってどこに転がっているか本当にわからない
だから人生そのものが旅だと思っています。


出逢い

スーパーマーケットの警備員をしていた60歳の彼は、
勤務中にチェックしていた店内カメラで買い物中の私たちを見つけたようで、
買い物を終えマーケットを出ようとした私たちにニコニコしながら近づいて来ました。

「Where are you from?」 

”Japan”と私たちが答えると、
やっぱりな、といった嬉しそうな表情をみせる彼。

そして流暢な英語で伝えてきました。

日本が大好きで、日本の文化、歴史を独学で勉強していること。
北方領土問題、広島・長崎に投下された原爆のこと。
それに対して抱いている自分の考えのこと。
夫婦二人暮らしで奥さんは学校で英語教師をしており、子供はいないこと。

(仕事中なのに話しが止まらない…💦 
こういうのはジョージアでよく見かける光景 笑)

英語の他にも、ロシア語、トルコ語、そしてジョージア語を話せるという。
(※ジョージアではこの4ヶ国語セットを話せる人が普通にたくさんいます! 本当に適わないと思う)

そして彼の名前と電話番号を書いたメモを貰い、その日は別れました。
彼はその後連日のように夫のスマホにメッセージをくれたり、
奥さんと一緒にビデオ通話で連絡をくれたり。

ある時は、一緒にビールを飲みに酒場に行ったり、
ここバトゥミでは定番の、量り売りのビールと鯖の燻製をお土産に我が家へ訪ねてきてくれたり、
夫がジョージアバンクで口座開設したいと伝えると、銀行へ同行してくれたり。

毎回移動のタクシー代のほか、飲食代もいつも彼が支払ってくれます。
いつも悪いから、私たちの分は払うよと伝えると、決まってこう言います。

「そんなことよりジョージアへ来てくれてありがとう。
日本からジョージアへ来てくれたゲストにこれくらいするのは、当たり前のこと。」
そして、
「困ったことはなんでも手伝うから安心して欲しい。」と

例えば逆の立場だったとしたら、
はたして私にこんなことができるだろうか?

自分に問いかけてみても、心はギュッと苦しくなるだけでした。

ご招待の日

「今日は妻がランチを用意するから一緒に我が家に来てください」

先日の朝そんなメールが届いて、突然のご招待をいただきお宅を訪問することとなりました。

玄関を開けてすぐのリビングでは、英語教師の奥さんが近所の子供たちに休日にも関わらず英語を教えているところで、
子供たちも、外国人の私たちに全く驚くことなく黙々と英語の勉強を続けていました。

熱心に英語の勉強をする近所の子供たち

そしてそこには、日本人である私の根底からかけ離れた、自然体のおもてなしがありました。

必要以上にきらびやかな家具など一切ないその室内は、スッキリと綺麗に片付いていてなんだか妙に落ち着く。
食器棚に見えるお皿やグラスは夫婦二人の生活には十分な数で、
私たちに用意されたお皿も、使い込まれた普段使いのもの。
友人からの頂き物だというワインで乾杯し、
奥さんお手製のスープに卵料理、チキンにピラフ、シンプルなポテト料理といったジョージアの家庭の味をいただき、
デザートはジョージアコーヒーと飾らないチョコレート。

それらは大人4人でいただくにはちょうどいい十分な量。
無理して食べることも、無理に勧められることもなく、
気持ちよく完食させていただきました。

レストランでは食べることができない家庭料理
日本人はお米が好きだからと、お米を準備してくれたが
甘~いライスプディングだった💧

気さくな奥さんの人柄と、気取らないおもてなしがなんだか心地良くて、ゲストである私は自然と後片付けを手伝っていました。

奥さんも、「座ってていいのよ」と始めは言っていたものの、生徒たちは来るし何だか忙しそう。
私の手伝いに、「ありがとう」と素直に受け入れてくれました。

初対面とは思えない、この関係性がなんだか気持ちいい。


そして片付けをしていると、また違う生徒がやって来て、私たちにゆっくりしててねと気遣いなかがらもリビングで勉強を教え続ける奥さん。

ゲストだからと特別扱いするのではなく、ご夫婦の日常の中に自然体のまま受け入れられている感じがなんだか心地良くて、
招待だからと構えていた私自身が、なんだか馬鹿らしく感じてしまいました。

分かりやすく言うならば、私たちが以前トルコで招かれた、メフメット一家のおもてなしとは全く違っていました。

※メフメット一家との交流記事はこちら↓


トルコ人が大好きだと言われている沢山のソファや家具に囲まれたリビングには、豪華な調度品の数々、
食器棚にはコレクションのようにたくさんのお皿やグラスが並べてあって、
美味しい手料理はたくさんありすぎて6人いても完食できず、全部食べてねと言われても食べきれず多くは残してしまいました。
デザートはケーキに数種類の果物、ナッツ…
またしても食べきれないほどで余すことに…。
(もちろんトルコ人全員がそうとは言い切れないし、家庭の経済状況、地域、文化などによって異なることと思います)

それがトルコ流おもてなしであって、素敵なことだとは思うけれど、
なんだかもてなされた側も都度リアクションに困るし、変に気を使ってしまう。
結果帰宅した後はぐったり疲れてしまったり…

日本のおもてなし

これって日本の「おもてなし」に似ている気がします。

ゲストのために、新しい食器やカトラリーを新調したり、
食べきれないであろう品数の料理がたくさん並べられ、
いつもは買わない高価なお酒やデザートを準備したり。
そして招かれたゲストは一喜一憂し、お世辞を言ったり大袈裟に褒めたり。

このおもてなしの文化はもちろん素晴らしいし、
招かれたゲストにとっても嬉しく、特別な時間に繋がります。

むしろ私は、このようなおもてなしが普通だと思っていたし、日本でこんなふうにもてなされたら嬉しく感じると思います。

しかし、ジョージア人ご夫婦から学んだのは、豪華なおもてなしではなく、自然体で迎えてくれることの心地良さ

見栄とか自慢とか、一切見え隠れしない自然体の心地良さ

だからゲスト側としても、無理に褒めたりリアクションしたり、日本人特有のお世辞を言ったりする必要もない。

自然体で受け入れられるって、こんなに心地良い時間を過ごせるんだということを知りました。

そういう飾らないおもてなしって、ある意味簡単なようで難しい気がします。

お金をかけてもてなさせば、ゲストが喜ぶのは当然で、
お金をかけずにできる限りのおもてなしで迎え入れるということ。

心と心が繋がっていて、お互いを想う気持ちがあれば幸せな時間を共有できるということ。

帰り際にご夫婦が、「ジョージアにいるうちは、ここがあなたたちの家と思ってくれて良いのよ。いつでも気軽に来てね。」
と仰ってくれました。

景色も綺麗な、郊外にある素敵なお宅。
私たちにもう一つの自宅ができたようで、本当にまた気軽にお邪魔したいと思っています。

それがご夫婦へのせめてものお礼になるのではないのでしょうか…💐





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