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30代で得た知見

5年前、高校からの仲間の飲み会で、友人Aが結婚相手の束縛が超きびしいんだよね、と話しだした。聞いてみると、相手の機嫌が悪いと、集めたレコードを折られる、会社に一日に何度も無言電話するなど、それはDVと呼べるものだった。

私たちは驚き心配し、離婚することをすすめ、Aも「やっぱそうするしかないよな……」となった。それから数カ月、LINEのグループで相談窓口や心療内科の情報をシェアしていた。が、Aは「やっぱりやり直してみたいとおもう」という投稿を残して連絡がとれなくなった。それから間が空いて「相談にのって欲しい」とまた連絡をよこした。

そのあと、この流れは何度も繰り返された。たぶん、Aとパートナーは共依存という状態で、関係が蜜月ならばグループに音沙汰なしで、こじれると連絡をしてくるようだった。最初のうちは、仲間たちは親身になっていたが、事態がいっこうに変わらないことに首をかしげ、グループから一人また一人と抜けていった。

とうとうグループは、Aと、とくに親しいわたしだけになった。

わたしももう金輪際、相談はやめてしまおうと思ったときがあった。他の仲間もそうであるように、ちっとも助言を聞かないAに無性に腹がたったのだ。

ただ、冷静になって考えてみると、腹がたつのは「自分がないがしろにされた」というわたしの気持ちの問題であって、それとAの生活を改善するという当初の目的とは別なことだ。友人を助けたいというシンプルな気持ちは、いつしか「助けてやっている」というエゴになり果てていたのだ。

そうか、あらゆる人間関係のハラスメントの根本にはこういうエゴがあるんだな、という知見を得た気がした。それから、人の相談は真に受けず話半分ぐらいでちょうどいいと思うようになった。

先日、長い間の説得により、ついにAは離婚調停まで漕ぎつけた。が、結果はまた「やっぱりやり直してみたいとおもう」。それを深い知見を得たわたしがどう思ったか。そりゃ、腹を立てた。で、思ったのは、知見は知見であって、賢くなっているかというと、そうではない。それが30代で得た知見である。


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