屋久島に行って屋久杉に会ってない
旅の話です。
あー、もうあれ10年前かーと感慨深いものがあります。時が経つのは早い。
ちょうど10年前、僕が27歳のときです。高校の時の友達と旅行行きてえな、って言ってたんです。で、日本に生まれたなら一度は富士山か屋久島でしょ、って適当に言ったら屋久島行くしかない!って盛り上がってしまい、男二人で屋久島に行くことにしました。
旅の目的は、屋久島に行って屋久杉に会う、でしたね。ここ、大事。会うってというところが大事ですね。
若いときってこう、無駄に無理をしたがるじゃないですか。それが面白くてかっこいいみたいな。旅行の計画からして無理なスケジュールを言い合って、それでどんどんテンションが高まるんですよ。
当時僕は広島で働いていて、朋は大阪にいました。お互い仕事が終わって広島に集合してそっから車でGO!というプラン。出発からもうすでに体が無理をする前提の計画です。
とはいえ、お互い社会人なので、限られた休みをいかに有効に使い、いかにして長く屋久島に滞在できるかを考えたぎりぎりの決断だったのです。ええ、二人ともノリノリで勢いだけで決めたものにてございます。
まず、広島を24時にでます。夜半中交代で運転して鹿児島に朝着き、朝一のフェリーに乗って昼前には屋久島上陸という策略。ま、交代で寝ればいいし、フェリーでも寝れるし上陸一日目からフル活動じゃ!という意気込みでした。
屋久島二日目に屋久杉チャレンジ。知る人ぞご存じと思いますが、屋久杉ご拝観はけっこうな登山です。正確には”らしい”ですけども。朝3時4時とかのバスに乗って麓まで行って、そこから半日かけて屋久杉にエンカウントし、また半日かけて帰ってくるという、丸1日の行程なんですね。
屋久島滞在は上陸日含め3日です。2日目に屋久杉チャレンジして、3日目はいくつかスポットを回れるだけ回り、お昼過ぎのフェリーで帰るという計画でした。フェリーのチケットと宿だけは事前にとりました。それ以外はほぼ行き当たりばったりです。
集合は23時頃だったと思います。テンションマックスというより、男二人ニヤニヤしているというきしょいオーラを身に纏い出発しました。高速を鹿児島めがけて南下します。
当初の計画通り順調に鹿児島に到着。ただ、ここで計画とのズレが若干生じます。
山陽道を走るうち、ニヤニヤきしょいモードから旅じゃ旅じゃ旅じゃー!のばりきもいモードに入り、久しぶりに会って話も溢れだし、運転は交代しつつもお互い寝るような気分にならず、体力を無駄に消費します。
だが、テンションがマックス。全然問題ありません。
そして、フェリー乗船。僕は割とでかいフェリーなのに中途半端に船酔いしました。自由に横になれるようなとこも少なくて、映画を上映するようなシアターみたいなとこで寝たような横になったようなふりをするも結局寝れず。またしてもズレが生じます。
だが、テンションがマックス。依然問題ありません。
たしか11時ころには屋久島に上陸できました。タイムスケジュール通りや。
上陸してすぐ、『屋久島国立公園』という刻印の入った石碑(?)を視認。ここで、テンションが最高潮を迎えます。多分、結果的にこの旅での最高潮でもありました。
体はどう考えても睡眠を欲しています。ですが、高まりきったテンションは抑えられようもなく、もういっそこのままかるぅく一山登ってやろうぜ!ってなっちゃいました。なっちゃったんだねえ。
屋久島には屋久杉だけではなく、たくさんの名所があります。
そのうちの白谷雲水峡に向かうことに決めました。
理由ですか?近そうだし、所要時間短めだし、ちゃちゃっと行けそうだったからです。
これがね、無茶苦茶しんどかった。登山らしい登山なんて多分小学校の時くらいからしてなかった。体は疲れているし、とにかくしんどかったのを覚えてます。1時間だったか2時間だったか歩き続けた気がする。このしんどさは尾を引いたのです。
ただ、登山した先、終点の太鼓岩と呼ばれる地点から見渡した景色は、今まで見た景色の中で一番絶景だった。これは、あれから10年経っても塗り替えられてないです。
下山した後、さすがにこれは体にきたな、と二人とも無言になりました。明日屋久杉チャレンジあるし、これはもう、ちょっと早いけど宿で体を休めようぜ、と相成りました。
それでも16時くらいに宿について、ご飯のこととかお風呂のこととか一通り説明を受けました。
ここほんとにすんばらしい民宿でした。お風呂は家の人も入るんだけど早めに入ってね、って言われたのだけは覚えてます。
上陸してからちゃんとしたご飯も食べてなくて、それを聞いた宿のおばちゃんがすぐに夜ごはんにしてくれました。疲れていたし、ごはんはめっちゃおいしいしお酒も相まってご飯の直後二人とも寝ちゃったわけです。
21時頃かな?目が覚めて、宿はまっくらになってました。とりあえず風呂入りてえな、っていうことになって順番に入ったんですけど、暖かいお湯がでんかった。後から聞いたら給湯器の関係で早く入ってくれんとお湯でんくなるよ、っていう意味だったんだよね。11月だったから寒かったです。
で、もっかい二人で軽く飲んで寝ることにしました。ただ、ここで二人の中で不穏な空気も生まれていました。
まじで、あした3時から起きて登山、する?
午前中成し遂げた予想以上の登山が二人の心に暗い影を落としていたのは事実です。
…いやいや待て待て
明日3時に起きれんと屋久杉には会えないんですよ?
屋久島に来て屋久杉に会わんとか、京都に来て清水寺に行かんようなものですよ?広島に来てお好み焼き食べないようなもんですよ?釣りに行って竿持ってきてないようなものですよ?
とりあえず!3時に起きる!で、考える!(笑)
ということで、ろくに話し合いをする体力もなく寝てしまいました。
3時に起きました。携帯のアラームに起こしていただきました。
朋を起こします。
カーテンを開けます。
どえらい雨。
相方の声聞こえんくらいのどえらい雨。
さすが亜熱帯屋久島。
まだまだ眠りを欲しがる体。
どうする?
うーん、
寝よっか爆
翌日目が覚めたときは、お昼をまわっていました。
京都に行って寺社仏閣を巡らない、広島に行って粉物を食べない、釣りに行って…
その日の午後からプランBを発動させました(もともとなかったけど)
屋久島を隅々まで周り(屋久杉以外の)、心行くまで堪能してやる。なんなら屋久島をこれだけ堪能できるプランを遂行できるのは我々だけだ!みんな屋久杉チャレンジに1日以上使うんだから!
と言い聞かせることにしました。
とりあえず、屋久島をのんびり1周回ることにしました。外周130㎞程度なので、割とすぐ1周できました。
屋久杉チャレンジでもないがっつり登山はなんとなくもはやがんばる気にならない二人は、暗黙の了解のなか手ごろなスポットを回りつくし、宿にはまたしても早めに帰り、うんめえ飯をまたしてもらたらふく食い、酒を飲み、今度は暖かいお風呂に入って気持ちよく寝ました。
翌日は、またゆるりと巡って、フェリー乗船の時間を迎え、これもまたしても中途半端に船酔いしながら本土へと帰っていきました。
フェリーに、旅行者が自由に思いを綴るノートがあって、皆さんの思い思いの感動をひとつひとつ読みながら感じたものです。屋久杉すごかった!また会いに来ます!屋久杉!屋久杉!屋久杉…
我々は二人で協議した結果、
屋久杉リベンジ
と大きく、恐れ多くも1ページまるまる使わせていただき、いつかまた必ず来ることを胸に誓い、下船したのでした。
あれから、10年。未だリベンジは果たせていません。
私は結婚をし家庭をもちました。新婚旅行では海外に行きましたが、行程はほぼ全て奥様にお任せしました。行きたいところにはちゃんと向かうことができて、何不自由なく素晴らしい旅行ができました。
計画って素敵ですね。
僕らのリベンジがあるので、どうか、また自由に旅行できる日々がやってきますように。
僕らのリベンジがあるので!
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