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古代ヤマト誕生〜ニギハヤヒは誰を殺したか?【8】排斥された出雲王

纏向建設から脱退し、大和から撤退した出雲勢力。
そして、その出雲とは「記紀」でいうナガスネヒコのことではないのか?
こうした大胆な説に前回では至ってしまいました。
ナガスネヒコはその後、東北に生き延び、津軽の王となり再び日本を取り戻そうとするという魅力的な異説がありますが、ここではもう少し現実的な検証をしていきましょう。

富雄川流域

古事記で言う「登美ナガスネヒコ」。「登美(とみ)」というのは地名です。伝承では、ナガスネヒコは、奈良盆地の北西部・富雄川(とみお)流域を拠点に勢力を張った登美の豪族であると伝えます。その流域に「登彌(とみ)神社」やニギハヤヒ降臨地もあり、さらについ最近ビッグニュースの舞台となった「富雄丸山古墳(4世紀後半)」があります。

ご存知かと思いますが、2023年国内最大の円墳である「富雄丸山古墳」から国宝級の副葬品・長さ237センチの「蛇行剣」と「盾型銅鏡」が発見されました。

世界でも類を見ない巨大なヘビ型の「蛇行剣」と、精緻な文様が施された「ダ龍文盾型銅鏡」。
学者の間でも予想を遥かに超えた発見に、誰もが声を失いました。この謎を秘めた出土品は誰のものか?
これから研究が進むでしょうが、前方後円墳でないこと、副葬品がものすごいこと、築造場所がヤマト王墓とは離れたところにある孤高の墓であることなどから、4世紀後半、ヤマト政権に対抗した有力豪族の墓であることはほぼ間違いないだろうと言われています。ナガスネヒコと結びつけて考える専門家もいるようです。
私も同感です。
ただこの被葬者がナガスネヒコそのものとは思いませんが、いろいろな見解がある中、ある説に注目しました。

「ナーガ」
「ナーガ」とはインド神話に起源を持つ蛇神・龍神のこと。記紀編纂時は、7世紀(完成は8世紀初め)。仏教伝来とともに、中国古事やインド神話も日本に入っており、記紀編纂者も知っていたはず。
ナーガとはもしかしたらナガスネヒコの「ナガ」なのではないか?と。

なるほど、ちなみに出雲の神は、蛇・龍・水とゆかりがあります。
海洋の民である出雲族は、「海蛇の泳ぎの先には魚の大群がある」として海蛇を見つけては有り難がったそうです。
記紀では、出雲系のオオモノヌシ神の正体は蛇。
また、出雲の「神在月(10月)」で全国から集まってくる神を先導する神は「龍蛇神」。
いにしえより出雲では蛇神や龍神を崇めていました。

出雲では蛇神龍神を信奉していた

そう考えますと、
ナガスネヒコとは、蛇神・龍神・水神を信奉する出雲族の王だった、
そう解釈できないでしょうか?
であれば、九州系イワレビコとは真逆の神を崇む一族であったはずです。

九州から持ち込まれた神宝は“銅鏡”でした。
日輪神を仰ぎ、あまねく光を照らし、五穀豊穣、人々に恩恵をもたらすもの。

日と水。どちらも生きていくにはなくてはならないもの。
が、まったく相反するもの。

どちらの神を信奉するか、ナガスネヒコとイワレビコ。3世紀前半のヤマトにおいて、この問題が表面化したのかもしれません。

そこでキーパーソンとなったのは吉備
吉備の動向がヤマト政権の将来を左右する、そんな局面が訪れたのでしょう。
ちなみに吉備王朝は巨石信仰で、線刻のある石がご神体ですが、どんな神だったかはっきりしません。

結局吉備は、日輪神を選びました。かつての盟主・出雲を切り、九州の神にヤマトの運命をかけたのです。

同時にこのころに纏向に宮殿が建設されています。
これは方角を意識してつくられた大型建造物でして、これほど大きな規模のものは日本初。ほぼ東西に一直線に配置された意味はまだ解明されていませんが、いずれにせよ日輪の傾きを計算して設計されたもの、と思われます。

(復元想像図 『邪馬台国 九州と近畿』より)

つまり想像たくましく言えば、纏向を建築しはじめてまもなく、宮殿を設計するにあたって、日輪神をどう取り入れるかで問題が表面化した。そして対立が生まれ、そのときクーデターが起こったのではないか…と。
吉備勢力と九州一族が、”日輪神を軽んじる出雲王を騙し討ちに討ち取って、出雲勢力を大和から一掃した”。
だとすればこのクーデターは、日本初の宗教戦争と言えるかもしれません。

実はこの出来事は、有名なもう一つの神話に書かれていました。
それは何かお分かりでしょうか?
ご存知、古事記神話です。
スサノオが高天原に昇ろうとするとき、戦いに来たのかと思ってアマテラスは武装します。しかしウケい(誓約)をし、スサノオはいったんは高天原の一神となるわけですが、そこで次々と乱暴を。
神に捧げる穀物の田畑を荒らし、神殿に脱糞し、皮をはがした馬を神聖な機織り小屋へ投げつける。実はよく見ると、この乱暴はただの暴力ではなく、高天原の神に対しての冒涜行為そのもの。つまりスサノオは高天原の神を認めず、拒絶したわけです。
そこでアマテラスは失望。天の岩戸に隠れます。
結局スサノオは天つ神の資格を剥奪され、高天原から追放。やがて出雲に下るのですが、なんとそれは“ヤマトの神を拒絶し纏向から追放された出雲“という構図にそっくりです。
史実を神話に作り変えて、後世に残したのでしょうか。

出雲を排斥して順調にスタートをきったはずのヤマト。
ところがその後、国を揺るがす大災害に見舞われました。そして、その傷跡はなお癒えず、ヤマト政権の闇の部分として今に至るのですが、それは次回お話ししましょう。
                               (つづく)


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