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見るわたしを忘れているのです

今日はちょっと思いついたアイデアについて書いていきます。

僕の得意分野・・・認識についてです。

内側と外側ってありますよね。

目の前のコップがあるとします。
内側と外側で言えば、中に水が入る側が内側で、その反対側が外側になりますね。


では、その内側に入ったらどうなりますか?(体が小さくなったとして)
そしたらそれまで内側だと思っていたところは、体の外側になりますね。
内側に入っていったら、それまで内と認識していたところが外になった。

例えばこんな状態


つまり観測の位置を設定することによって、外と内は決まってくるんですね。

つまり内と外は絶対ではないということ。相対的なわけです。

このような認識が可能になるのは、私達の知覚経験があるからだと思うんです。

例えば、外から二階建ての家に入る時を想像してみましょう。

外から家の中に入ります。
すると中だと思っていた空間に体が入っていきます。
家の中に入って、今度は一階の小部屋を見つけたとします。
その時は家全体は小部屋の外と言うことが出来ます。
家の外にいた時は中と言っていた場所が起点が変わったことにより、外に変わりました。

空間を体が移動していく中で、外と内が反転するように変わっていったのです。

こういった認識において無意識に、私達が使っている原則があります。
それは認識の原則は、外から内を見るということです。

外から家を見ている時、外側、外壁が見えているはずです。
それでその中、まだ、見えていない内側を想像して家の中を規定しています。
そうして認識上の内と外が決まりました。

しかし、家の中に入ったら、今度は見えている側が変わります。
それまで見えていなかった側が見えるようになり外に反転。
そして、例えば小部屋の中は見えない側だから、次の内側になります。

でも、小部屋の中に入ったら、小部屋の内側の壁が見えるようになり外側に、そしてもし、その中にクローゼットがあったら、今度はそこが内側になります。

何が言いたいのかというと、内と外はこのように観測の経験上、どんどん反転を繰り返しているということです。

普段からそういう概念で言語的に空間認識をしているのです。

では、今度はマクロに広げてみましょう。

私は今、地球のにいます。

ということは、これは宇宙という外があることを知っているから持てる認識ですね。

宇宙空間をイメージして、地球の中にいる自分を想像しているのです。

では、太陽系にいる自分をイメージするには?そこには銀河系が必要です。

では銀河系にいる自分をイメージするには?
その外が必要です。

そう考えているから(そのゲシュタルトが元になり)、この宇宙は無限に広がり続けているという解釈をせざるを得ないのかも知れません。

どこまでいっても外がある。だからその結果、内が担保され続ける。

この構造が生まれてくるのには、私達の認識構造に理由があります。

それは、常に外から内を見つめてしまう視座を持っているから。

現代科学では、遠くは過去だと規定します。

だから、今見ている太陽の光は約8分前のものだ、などと科学では解釈します。

ベースになる視線の方向が常に外から内なのです。

自分自身の方向に矢が飛んでくるイメージ。
光の光線が常に自分自身に向かってきます。
この認識を持っているから、常に外から内という空間認識が成り立つのです。

でも、私達の経験上、空間を移動した結果、その場においての内と外は簡単に入れ替わります。相対的です。

それはなぜかと言うと、外側から光の光線がこちら側に向かってくというイメージも観念に過ぎないからです。
だから、絶対性ではなく、相対性として扱えるのです。

そうすると、次のことが言えます。

空間の内側と外側という概念はひっくり返すことが可能だ。

そしてこの事実は、とてつもない認識の転換を巻き起こします。

それは私達が普段、何気に感覚化している自己存在についてです。

大きな世界に取り囲まれて、その中にポツンと自分がいるような感覚も外から内へ光線が向かってくる方向性からもたらされます。

まず、その世界を疑ってみるのです。

私達が本来見ている知覚の現場(視野空間)はただただモニタ、スクリーンのように映っている三次元の空間とも言えます。

この空間って一体どこから見ているのでしょうか?

映画の場合、スクリーンは、必ずスクリーンの外から見ています。

スクリーンの中にいたら、観測が出来ない。見ているのはスクリーンの外。


それと同じように、映っている三次元空間もその外から見ているはずです。

この内と外はある意味、絶対です。

常に三次元空間が内見ている位置は外

では、その外とはどこでしょう?

それは決して広がりの宇宙空間では無いはずです。
広がりの宇宙空間(三次元の中)なら、先程のように認識の位置によって相対化してしまいます。

この場合の外は、三次元の外なのです。

そう考えると見てる空間全体が内側
それを見ている場所が外側

外は三次元の中には存在しません。

空間はこのように出来ていて、つまり向こうからこっちこっちから向こうという相反する二つの視線が存在し、私達は二つの世界を行ったり来たりしています。

しかし、近代は科学が提唱する、ビッグバン理論、宇宙の無限の広がりを前提に世界観が作られたので、片方の方向でしか世界を見れなくなりました。

見るわたしを忘れているのです。

ここまで、読んできて、ピンとこられた方もいると思います。
その感覚です!

やっぱり、人間の認識がおかしかった、歪んでいたんです。

そこに気がつくと、ゲシュタルトが変わります。

存在感が変わります。

包まれつつ、包んでいるというか、円の中心であり、外周であるというか。

これからの人間にはこういった新しいゲシュタルトが装着されてくるようです。

それがある意味、次元上昇、アセンションと言えるものです。

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