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物部氏とは?その1 175/365

島根県大田市にある物部神社
県内では出雲大社に次ぐ、大きさを誇る存在感のある神社です。

改めて、物部神社の物部氏についてまとめておきたいと思います。

物部氏は古代最強の豪族と言われています。
そして、始祖は饒速日命(ニギハヤヒノミコト)。

神武東征の時にイワレビコ=神武天皇より先に大和に君臨していました。
大和朝廷が成立する前に大和を治めていた存在と考えられます。

日本書紀によるとニギハヤヒは天津神から十種神宝(トクサノカンダカラ)を授かって天磐船で河内に天下って、その後大和に入って行ったようです。
そして、イワレビコが来たときに、ニギハヤヒはイワレビコに大和を受け渡して、イワレビコが初代神武天皇になるという流れです。

十種神宝とは?

先代旧事本紀
によると以下の十種類の神宝。

  • 沖津鏡(おきつかがみ)

  • 辺津鏡(へつかがみ)

  • 八握剣(やつかのつるぎ)

  • 生玉(いくたま)

  • 死返玉(まかるかへしのたま)

  • 足玉(たるたま)

  • 道返玉(ちかへしのたま)

  • 蛇比礼(おろちのひれ)

  • 蜂比礼(はちのひれ)

  • 品物之比礼(くさぐさのもののひれ)

鏡、剣、玉、比礼で十種になります。

さらに、先代旧事本紀ではニギハヤヒは天孫降臨のニニギノミコトの兄神とされています。
しかし、ここのところは他の書紀では別の系統で表されることも多く、一致した見解は見られません。

総合的に考えると、ニニギが天孫降臨する前に、既に降臨していたという意味で兄神としてみていくのが妥当かなと思います。

話は物部神社に戻ります。

島根県大田市物部神社


物部神社に祀られているのは、ウマシマジノミコト

ウマシマジはニギハヤヒの息子とされます。

このウマシマジは神武天皇に重用されて、その後長い間、力を持つことになりました。
朝廷においては軍事・警護を担当したと言われています。
もののべが、もののふ→武士という言葉の起源になったとの説もあります。
武力的な存在としての地位を確立したようです。

こういった流れで大和朝廷でも、力を持つようになった物部氏

物部氏というと、その対立軸として蘇我氏の存在があります。

物部氏と蘇我氏・・・何となく教科書でサラッと習った感じがするけど、実際のところはどうだったんでしょう?

この二つの勢力は主に仏教を入れる、入れないで対立したようです。

日本書紀によると、仏教は六世紀、百済から伝来して来ました。

仏教を入れることに反対したのは物部氏賛成したのは蘇我氏でした。

そして、当時の天皇、欽明天皇は賛成派の立場を取りました。

天皇の決定により、仏教が公伝され、仏典や仏像が入って来ました。
そこから仏教が朝廷で落ち着くまでは、ある程度の時間がかかったようです。(争いを含めて)

最終的には、物部氏対蘇我氏の戦い、丁未の乱で蘇我氏が勝利し、物部氏は衰退していきます。

しかし、物部氏は元々、強大な勢力を持っていました。
物部から石上(いそのかみ)に氏を変え、生き延びていきます。

奈良にある石上神宮はその流れの神社と言われています。


物部氏とは?その1(まとめ)

・物部氏は神武天皇が大和に入る前にいた豪族である。
・物部氏に伝わる十種神宝という神宝がある。
・ニギハヤヒの息子、ウマシマジは大和朝廷では軍事・警護を担当。
・物部氏は武門の神として浸透していく。
・物部氏は仏教を受け入れることに反対。このことを理由に蘇我氏と対立。
・丁未の乱で蘇我氏に敗れ物部氏衰退。
・氏を石上に変え、その後も代々引き継がれていく。

次回は物部氏とは?その2で続きを解説します。

お楽しみに!!