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とにかく緩めたかった

今から、6、7年前・・・それまでやっていた仕事を辞める決意をした。
仕事を辞めるというよりは、勤めを辞めるという決断だった。
どこかの職場に所属して、そこからお給料という形で収入をいただくという働き方を辞めるという決断。
つまり、独立するということ。

独立を本格的に決めた時だった。
そこからすぐに独立できたわけではなかったけど、明らかに働き方を変えた。
それまで約8年間所属していた業界を去り、全く新しい道を選んだ。

そして、新しい道を進むときに、どこに向かうのか?いったい何をしたいのか?よくよく、本当によくよく考えた。

辞めたので、時間は十分ある。とにかく自由な時間が十分にある。
はじめはそのことに対する罪悪感のようなものが浮かんできた。
周りの大人たちはこの瞬間、瞬間、真面目に働いている。

それなのに、自分はとにかく、時間を持て余し、社会的な貢献はしていない・・・
こんな自分に存在理由はあるのだろうか・・・?

そんな思いが込み上げてきた。

でも、きっとこの先に新たな道、光が見えてくるはず。
今は先が見えなくても、その先に光が見えてくるはず。
そこが見えたら、またそこに向かって走り出すだろう!

漠然とそういう希望を抱きながら、日々を過ごした。

やることが無い・・・
やならければいけないことが無い・・・

そうなったとき自分は一体、何をしたくなるのか?

あえて、自分にこういう環境を与え、自分を試してみたのかもしれない。

そして、自分がやったことは何だったのか・・・?

それは

温泉に行く
カラオケに行くだった

この行動に当時の自分は愕然とした・・・
もっと良いこと、崇高なことをして欲しかった。
例えば、読みたかった本を読むとか、気になる神社を巡るとか、映画を観るとか・・・誰かに話したときに、面白がってもらえることをして欲しかった。

でも、現実は違った。
ただただ、一人で温泉に行き、ボーっとし、カラオケで気持ちよく歌う。
ただの快楽・・・
快楽と言っても、そんなにお金を使うわけでないし、別に悪いことはしていない。
でも、そんな自分にすごく罪悪感を感じたことを覚えている。

その後、とりあえず、新たにアルバイトの仕事を始めたので、そんな生活は自然と終わりを告げた。

おそらく約1ヶ月間の生活だったと思う。

何もしなくても良い、1ヶ月・・・

今になって思う。

この1ヶ月間がとても重要だった。

結局、自分自身は本当は何を望んでいるのか?

それを掴むために必要だったのだ。

この期間を過ごした結果、自分が得た答えはこれだった。

とにかく緩めたかった

だから、温泉に行くんだ。だから歌いに行くんだ。

緩めたいという本質的な欲求があることに気がついたのだ。

つまり、硬くなっていた。
ぎゅっと縮こまり、硬くなっていた。
でも、それが力だと思っていた。

縮こまるパワーは使えていたが、緩めるパワーを使えていなかった。
だから、頑張れば頑張るほど、疲れる。循環していかない。
それが滞りの原因だったのだ。

筋肉は収縮と弛緩で成り立つ。
縮めたら、伸ばすという循環があってこそ運動は成り立つ。

それと本質は一緒。
緩めるということが起きないと、力は循環しない。

だから、自分の本能は緩めるように働きかけていたのだと気が付いた。

そこに気が付いてからは、とにかく緩めることをテーマに、そして、緩めることに罪悪感を持たないよう気をつけた。
ここもひとつ重要なポイントだったと思う。

自分が無意識に持っていた罪悪感の正体を知る。

そうすることにより、自分自身を俯瞰し、統合した視座で見つめることができるようになった。

そんな気づきがあったことをふと、思い出した。

冬になると、どうしても温泉が恋しくなる。
冬の間は特に緩めることが必要なのかも知れない。

縮まった状態から緩んでいく過程は大袈裟に言えば、生命の解放、命の発芽
ここにはじまりがある。

わたしたちはいつでも、こうして生まれ変わっている。

いつでも、生まれ変わることができる。