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初めてSNSを楽しめたかも知れない

noteという場所に感謝している。

このnoteが僕が初めてSNSを心から楽しめた場所になっていると思う。

それまでは基本Facebookを中心にSNSをやっていた。
そこには日記的なことも書いていたけど、それ以外も自分の本音や気が付いたこと、哲学的なことも書いていた。

Facebookではあまり、深い内容や重い内容は好まれず、本音を書き連ねても、どうもしっくりこなかった。
確かに他の人の投稿を見ても、基本日常を切り取ったような内容が多い。

だから、あまり僕が書きたいテーマに合っていなかったと思う。

僕は何かを知らせたい、というより何かを書きたい、表現したいのだ。

だから、そういう同じ想いの人が集まっている場所が必要だった。

それがnote。

ここは書き手をクリエイターとみなしている。

そして、創作が続くように、設計されている。

そういった総合的なところが、僕にはすごく合っていて、noteをやって良かったと心から思っている。

創作が一年続いてきて、思うことはやっぱり読んでくれる人がいる、反応がある、これは非常に大きい。

これは致し方ない。やっぱり嬉しいから。
誰かに認められたり、共感されるのは嬉しいから。

こういう場所がバーチャルで広がっていくことは、もう時代の必然で、当然のこと。

そういう環境の中で、自分がどう在りたいのか、どう見られたいのかを表現し続ける必要がある。

そして、そこに本気をみせる必要も。

細かいところにもしっかりこだわって、本気が伝わるようにしなければならない。

そうすると、楽しめるようになる。

楽しみがどんどん増す。

まずは、noteに飾らない、ありのままの本気を書くことが本気を見せるということだった。
その姿勢を変えず、これからは更にどう見られているのか?どうみられていたいのか?

そこに、しっかり照準を絞っていきたい。

もう、バーチャルもリアルもボーダーは曖昧。

そもそも、人類は架空的概念を共通項に社会を築き上げてきたと、多くの文化人類学者は言っている。

その架空的概念はテクノロジーによってより見える化し、リアルとそう変わらないものになりつつある。

うかうかしていられない。

僕らにはもうすぐ、出社とか、どこどこの場所へ行って、何をするという概念がなくなる。場所によってキャラクターを切り替えるということが無くなる。

それはつまり、いつも本番であるということを意味する。

いつも本番。いつも見られている。

それを前提に仕事やライフスタイルを築く必要がある。

そして、それを楽しめるものに自らすること。

僕にとって、それがここnoteから始まったんだと思う。

SNSもただ眺めて、ああだこうだと言っているだけでは駄目。

やって、体感しないと。

もう、○○論ばかりは要らない。

体験から打ち出された、本気の言葉が欲しい。

そして、それが伝わっていくことが、楽しさに繋がっていく。

そういう日々がやってくる。