映像感想文『ピアノレッスン』
とにかく映像と音楽の美しい映画。
見るのはこれで3回目?の何度か観ている映画だ。
今回、観たきっかけは恋人が「彗くん好きそう」と映画館でのリバイバル上映のポスターの写真を送ってきてくれた事だった。
浜辺に置かれたピアノと主人公とその娘の写真のポスターの美しさに、彩度の低い独特の世界観の美しい映像を思い出してもう一度観たくなった。
4kリマスターが映画館で観られるなんて、あのピアノを映画館で聴けるなんて、めちゃくちゃいいなあ。僕も観にいきたいよ。
改めて観ての感想は、やはり映像と音楽の美しさが圧倒的だという事。
不倫、暗くて静かな泥沼のストーリーも映像の美しさで捩じ伏せられるぐらい、どのシーンも絵画のような美しさだ。
そしてそこに合わさる美しいピアノの旋律。
名作と言われるだけある。
前に見た時は、主人公エイダを理解するのに苦しんだ。
なぜベインズに惹かれてしまうのかもあまり解らなかった。
しかし、今回は割と理解出来てしまった。
そもそも不倫は良くないとは思う。
しかしこの結婚自体に愛があったものでは無く、よく知りもしない人で大切なピアノをすぐに運んでくれなかったり、土地代の代わりに渡してしまうような利益優先の男に心を開けと言われても中々難しいのは仕方の無い事の様に思う。
エイダ自身も頑なな性格というか、6歳の時には言葉を捨て話す事を辞めていた。これは彼女の意志の強さが現れている部分でもあるけれど、素直な人とは少し言い難い。
ベインズは浜辺に放置されたピアノの所へ連れて行ってくれたり、下心丸見えでピアノのレッスンを頼むも、エイダのピアノに耳を傾けたり、エイダとの距離の詰め方が攻めすぎず、相手を尊重するような所がある。無理強いをしない優しさ、自分の欲望を優先しない相手目線の態度など、惹かれていってしまったのはこういう所だったのかもしれない。
御伽話のように娘に話される娘の本当の父親の話も、ぼんやりとして、辻褄が合わない。
色んな情報が細かく知らされず、ぼんやりと進む。
でも、情報が少なめで、自分で想像する部分も多い所が文藝的で、昔の映画らしくて、僕は好きだ。
エイダを手放し、ベインズと行く様にさせるスチュワート。
ベインズの身代わりのように身体を撫でられても手を出す事すら出来ない自信の無い男だけど、ある種、優しくも見える。
1度だけ勢いで襲いそうになるが目が覚めたエイダの顔を見てとどまる。あれは怖くなったのだろうか。
エイダの声が頭に直接語りかけて来た事も怖がっていたな。
そもそも、スチュワート側の親族もエイダを怖がっていたようにも思う。エイダのピアノも怖がっていた。
彼女の言葉の代わりだったのだから、そう感じてもおかしくは無いのだけれど。
今回は、映画の中で流れる音楽に様々な感情を感じる事が出来たけれど、以前観た時の方が親族のいう気持ちの悪さがよくわかった。
焦燥感があるというか不穏な感じがしていた。
今回は、もちろんそういうのを感じるピアノもあったけれど、必ずしもそうではないと気がつけた。
エイダのように周りに合わせられないタイプの人はまあまあいると思うのだけれど、周りに合わせがちな僕からすると、逆に面倒くさく無いのかな?なんて思ってしまう。
合わせた方が丸く収まってその後も生きやすくならないだろうか。
生きづらくても、自分の意志を通せる能力は僕には無いので、少しは見習う方がいいのかな?と思ったりもしなくは無いけれど。
エイダという女性は、本当に分かり難い。
愛する人と新天地に向かう場面で、大切にしていたピアノを海に捨てろと言う場面。
過去との決別というか、そういうのが感じられて、そこは納得出来る。
ピアノが海に捨てられたその時、彼女は自らピアノに繋がるロープに足を掛け自殺を図る。
は?なんでそこで死ぬ?なんで、我儘を貫いて、みんなに迷惑かけて、愛する人と生きていくんじゃ無いのかよ。
前はそう思った。
今回もそう思うところは少なからずある。
しかし、ピアノが壊れているからと彼女は言っていた。それは、自分自身が壊れているから、と同意義なのではないか。壊れているから生きていても仕方がない、その気持ちがピアノと共に海の底へ行こうと言う気持ちにさせたのではないのか。
ピアノのように重い荷物は、愛する人と娘の為に捨ててしまおうと思ったのかもしれない。
でも、彼女は、沈んだ後に目を覚ます。夢遊病があった彼女はピアノと共に沈もうとした時には眠っていたのか。気がついた彼女は、海上まで自力で辿り着く。
〝意志が生を選んだのか
なんという死
なんという運命
なんという驚き
その力は私と多くの人を驚かせた〟
映画の中でエイダの心の声が語る。
愛の力が彼女を呼び戻したのか。
〝夜は海底の墓場のピアノを想い
その上を漂う自分の姿を見る
海底はあまりにも静かで
私は眠りに誘われる
不思議な子守唄
そう 私だけの子守唄だ
音の存在しない世界を満たす沈黙
音が存在しえない世界の沈黙が
海底の墓場の
深い深いところにある〟
過去のエイダは海底に沈み、死んだ。
エイダは、生まれ変わったのかもしれない。
新天地で、彼女は発声練習を始める。
そして、義指を嵌めて、またピアノを弾くのだ。
真っ黒な服しか着なかったエイダが他の服を身に纏う。
表情も違う。
心を閉ざし、頑なで、我儘だったエイダがもしかしたら海中に沈む中、目を冷ました時に本当に生まれ変わったのかもしれない。
これからは、あの意志の強さも愛する人へ使えるようになるのかもしれない。
これは、彼女の再生の物語で、ハッピーエンドだったのだと今回思った。
どういう解釈が正解なのかはわからない。
ただ、この作品は、あまりにも映像と音楽が美しすぎて、そういう事を考える事すら不粋なのでは無いかと思えるのだ。
原作の小説がある事を知ったので、いつか読みたいと思う。
映画には入らなかった細かい描写を文章でも読んでみたい。
文章も映像のように美しいのだろうか。
余談だけど、邦題は「ピアノレッスン」となっているが原題の「The PIANO」の方が僕はしっくりくる。
確かに彼女を変えるきっかけになったのは、ベインズとのレッスンだ。
しかし、エイダ自身であるピアノの話のように僕は思う。
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