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11/14 チップは気持ちだというけれど

ベトナムにもチップの文化はある。しかし、チップ文化のない日本で生まれ育っている私はどうしてもチップ文化に馴染めない。そんなnoteです。



先日ハロン湾に行ってきた。ハロン湾は、ベトナムの首都ハノイからほど近いところにあり、広い湾に1000以上の島が浮いている景勝地だ。旅行会社を通してツアーを予約して行った。ツアー内容の中の、船頭さんが漕ぐ小舟に乗って洞窟をくぐるアクティビティの際、大きい船から見る島と、近くに寄ってみるのとでは全く異なり、迫力があって大変きれいだったのだが船頭さんがやたらカメラを貸せといい、とても積極的に写真を撮ってくれた。親切でいいなと感じていたのもつかの間、カゴに無造作においてある紙幣を指差してチップを要求し始めたのだ。その小舟に乗っていたのは私含め日本人3人で、残りの二人は海外旅行慣れした年配アグレッシブなマダムだったため、彼女らが船頭さんと小競り合いしながら結局払ってくれた。


私としては、交渉も支払いもマダムが行ってくれたため、すごくありがたく、交渉の手本をみさせていただいたのだが、その帰りにチップ文化についてしみじみ考えたのだ。


日本人向けのガイドブックなどには、チップは気持ちだと書いてある。任意だとも。しかし、日本人は、少なくとも私は気持ちは気持ちで済ませたい。サービス内容のことをきっちりやってくれて、それ以上があったとしても、ただの感謝の気持ちのみで納めるのがデフォルトだ。おもてなしとも言える。

すると、サービスとおもてなしを区切って考えなくてはいけなくなってくる。おもてなしは、無償だからおもてなしか?サービスは有料だからサービスか?


日本人は、(というか私は)サービスには抵抗なくお金をはらう。行われることに合意していて、それを期待して対価を払う。おもてなしは、それ以上のサービスがなされた場合におもてなしだと認識し、それに対しては驚きと共に感謝する。予期していなかったサービスだからだ。この流れにチップを絡ませると、顧客が予期していなかったサービスが行われ、その場で無言のままに対価を支払うか支払わないかという選択を迫られる。予め予期していなかったサービスであり、突然発生した対価なので、慣れていないとビックリするのだろう。


私は、このチップ文化を毛嫌いしている訳ではなく、戸惑って払って後悔したり払わずに済ませて後悔したり、日本人にあり得るであろう心理的ストレスなくチップ文化になじみたいと思っている。気持ちよく払いたいし、気持ちよく断りたい。


前者の場合、つまり気持ちよく払う場合、いいサービスで、感動すれば払うだろう。その払ってもいいなと思うボーダーラインは、自分の金銭事情も絡み、今は高いラインに設定してあるのだが。

後者の場合、つまり気持ちよくチップを払わない場合、どうすれば気持ちに整理をつけて気持ちよく断れるだろうか。一つの方法は、気持ちは別個にして冷静に判断する事だ。予想していたサービスはこれで、もしこのサービスをはじめとする上回ることがあれば払うが、そうでない場合はやめておこうと、予め設定しておくことが簡単だ。若しくは極論になってしまうが、どんなことが起こっても自分はチップを払わないと最初に結論づけてしまうことも一つの手だ。



チップ文化、つきあいづらいものではあるが、払ってみたい気持ちがある。異文化体験をしてみたいし、気持ちをお金で伝えるというのもわかりやすくていいかもなとも思っている。チップが発生しそうな事態に直面したら、自分なりのボーダーライン設定してサービスを受けてみようと思う。

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