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11/23 やさしくしてもらった記録

先日のnoteで書いたように、この旅でたくさん人にやさしくしてもらっている。

一番心に響いた出来事となったのは、カッパドキアでの出来事だった。

カッパドキアとは、複数の街を総称した地域名で、旅の拠点となるのはギョレメという街だ。そこには岩石をそのまま利用した「洞窟ホテル」が点在し、岩肌があらわになったような客室に泊まることができる。私が予約したのも洞窟を売りにしたホテルで、booking.comで高評価をされている宿にした。

一泊の利用で、その次の朝にチェックアウトしたが、チェックアウトの日のツアー終了から、夜行バス乗車まで3時間ほど時間があるため、ホテルにて大きい荷物を預かってもらいなさいとガイドさんに言われ、先ほどチェックインしたホテルのフロントのオーナーさんに預かってもらった。

ツアー後、荷物受け取りの際、ついでに夜行バス時刻までホテルのテラスで時間をつぶさせてくれないかと頼むと快諾。ホテル最上階のテラスでのんびり時間をつぶしていた。


電子書籍の地球の歩き方を真剣に読んでいると、オーナーの男性から声をかけられた。促されるがままオーナーさん、お手伝いのおばさん、スタッフの若い男性が座るテーブルにつくと、いつのまにか私の目の前にスープが置いてある。豆のスープだ。

「これはトルコのスープで、これはピクルスだよ」と簡単にオーナーから勧められ、テーブルの3人は、猛烈な勢いでトルコ語でおしゃべりしながら、食べ始めた。時間は午後五時。ホテルスタッフの早めの夕ご飯なのだろう。

私の分もすっかり用意され、当たり前のように食卓が始まったので、戸惑いつつもスープを食べる。食べているうちに、大皿に盛ってあるピクルスも食べろ食べろと促され、食べる。日本人にはすっぱすぎるくらいのピクルス。すっぱい物好きの私には大好物だ。

トルコ語がビュンビュン行きかう食卓。ちょうどお腹が空いていたタイミングでごはんをごちそうしてもらえた幸せに浸り、無言で食べる私。

どうしてこんなにやさしいんだろう、助けてもらってありがたいといろいろ考え、涙ぐみそうになった。

しばらくスープを飲んでいると、目の前に座るおばさんが、ピクルスを私の皿のはじっこにぽつんと置くようになった。「食べろ」ということらしい。勧められるがままに食べ続けた。

スープのお皿が空になると、オーナーさんから「おいしかった?」と聞かれ、「とっても!」と答える。「もっといる?」と聞かれるも、さすがに遠慮した。

しかしオーナーさんは、どうしても食べさせたいらしい。食べる?食べない!いやいや食べろ、ちょっとだけでも という問答の末、また山盛りのスープが盛られてきた。

もう腹八分目だったものの、スープはとてもおいしいし、これ以上遠慮するのも失礼に当たると思い、喜んで食べた。

スープをごちそうになり、食卓は解散。バスの時間が近づいたので、身支度をさせてもらって、お礼を言い、ホテルをでてバス停に向かった。

あのホテルの人は、どうしてごはんまでごちそうしてくれたのだろう、なんていいひとたちなんだろう、トルコの人っていい人だ!!と思いつつ旅行をし、

数日後イスタンブールに戻り、日本人旅行者の方と話すうちに、真相が分かってきた。

どうやらイスラム教は、旅人に恩赦を加えることを美徳とするらしい。旅人のバス代を払ってあげたり、ごはんをごちそうしたりするらしいのだ。

旅をする人は、ぼったくれらないか、盗まれないか、犯罪に巻き込まれないようにという無数の警戒心で旅行をしている。そんな警戒心のさなか、無償のやさしさを与えられるとすごくうれしくなり、幸せな気持ちになる。

自分自身の人への接し方なども考え直す機会にもなる。

旅行先で、人のやさしさに感動した出来事でした。


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