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片岡義男『ラハイナの赤い薔薇』

朝食を作るために、キチンに入ってきた。窓から、ホノルルの市街地と太平洋、その上の空を眺めることができた。ホノルルの街は、思いのほか白い。今日はなにを作ろうか。冷蔵庫に入っているさまざまな材料を手に入れたマーケットや店が、いま眺めている景色の中にある。

外で朝食を食べると、この島ではエッグス・ベネディクトのヴァリエーションに出会うことだろう。スモークド・サーモンも多い。スモークド・サーモンにベイゲルとクリーム・チーズがついてきた時、ぼくはチーズにウースター・ソースをかけて楽しんだ。これを好みの朝食としていた大統領が、かつていた。

朝の時間は、きわめて個人的なものだ。だから自分の気に入ったものにしたい。今朝はこれだ、とひらめいたものを作ればいい。一緒に住んでいる人がいるなら、その人のために、ロケラニ・ア・ラ・ラハイナを忘れてはいけない。ラハイナのお祖父さんの家の庭に咲いた小さな赤い薔薇の花。朝食の必需品だ。

Pierre-Joseph Redouteが1817年に描いたRosa Damascena ハワイ名はロケ・ラニ(天国のバラ)

朝食のあと、ぼくと彼女は外出した。友人から借りている1967年のフォードの2ドアに乗って、なんのあてもなく快晴の日の道路を走った。
「クリスマスが近いというのに、真夏のようだわ」
「でも、この島だと、クリスマスに泳げても、そういう気候に気持ちは完全になじめるね」

「読書をしようか」
双眼鏡を、彼女に手渡した。
「走っている自動車の、バンパー・スティッカーを読むんだよ」
「読めるわ。『今日もまた楽園におけるくだらない1日』」
「『正しい道を走っていますか』というメッセージだわ。宗教的な意味も含ませてあるのかしら」
「『人生は至難事』ですって」

『クリスマス近し。メアリーのごとくあたえよ』
「クリスマスは、女性にとって、大変な時期だね」
「おとぎ話のなかの出来事でしょう、それは。
クリスマスの最初の記憶はどんなもの?」
「直径12インチのケーキ。母親が焼いた。数あるプレゼントの中で、群を抜いて最高のものだった」
「楽しいわね」

1967年のフォードの2ドアに乗って、なんのあてもなく快晴の日の道路を走った。

この島で建築業を営んでいる幼なじみの友人が、古いドアのコレクターでもある、という話を、彼女に喋った。
「1930年代や40年代から存在してきた古い建物が次々にとり壊しになっていった時期があって、古い建物が壊されると聞くと、その建物のドアを安くに譲り受けてくるんだ」

きっかけは、祖父の家が壊されたことだった。まだ少年だった彼は大いに哀しみ、正面入口のドアを持って帰り、自分の部屋に置いた。家を壊す人ではなく、造る人になろう、と彼が決意したのは、それからまもなくだった。いまでは何枚もの古いドアを所有している。どのドアも長い年月で蓄えた風格を持つ。

祖父の家を再現し、その内部には祖父がまだ若かった頃のハワイをよみがえらせたいという夢をぼくに語ってくれた。
「私も、そのドアのコレクションを見たいわ」
「見せてくれるよ、紹介する」
「この島なの?」
「彼はマウイに住んでいる。これからマウイへいこう。飛行機に乗れば、30分とかからない」

古い建物が壊されると聞くと、その建物のドアを安くに譲り受けてくるんだ。

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