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加藤秀俊『ホノルルの街かどから』④ヤモリ、バスケットボール、カメハメハ・デー、ステイト・フェア、元旦の花火、カウアイ島、貨物船

ハワイに住み始めて、最初の夜を迎えた時、私たちは、チュ、チュ、チュ、という不思議な音を聞いた。かすかな音だが、気になる。断続的な音なので、なかなか所在がわからないが、台所の外壁から聞こえてくる。私は懐中電灯を照らして、この音の発信源を確かめた。

ヤモリだった。体長10cm。半透明にも見える薄灰色で、細かなウロコに覆われている。こいつが4本の足で壁にへばりついて、チュ、チュ、と鳴いている。ときどき桜色の口を開く。最初の晩はびっくりしたが、日が経つにつれて、目の前の壁や部屋の天井をウロチョロしているのが当たり前になってきた。

家の内外をよく見ると、ヤモリはいたるところにいる。ある晩、居間の絨毯の真ん中で、ゴミだと思って拾おうとした途端に動いたので、ぎょっとした。生まれたばかりの体長2cmほどのベビー・ヤモリがうろうろしていた。こんなに小さい時から人間の生活空間で生きているのだから、人間の仲間だと思う。

ヤモリ、ハワイ語ではゲコ

小学4年生の息子は野球が好きで、私も日曜日には時々、キャッチボールの相手をしていた。ホノルルに来てから、いろんな球技があることを彼は発見した。友達とのつきあいを通じてアメリカン・フットボールのチーム名を暗記して、カードなどが居間の床に散乱した。

しかし、フットボールは「見る」スポーツ。「する」スポーツとしては、バスケット・ボールのほうが子供たちの社会ではさかんだ。放課後、家でひと休みしていると、近所の子供が遊びにくる。暑い日にはプールで泳ぐが、その前に、ガレージの屋根に取り付けたバスケットをめがけてシュートの練習をする。

息子は、学校や他所の家で簡易バスケットの仲間入りをしていたが、「家のガレージにもつけて」とねだり始めた。私は、家の管理人に取付の許可をもらい、ある土曜日に練習台のキットを買って取り付けた。子供たちが練習を始めると、近所の子供たちが来た。こんな風にして、友達になってゆくものなのだ。

ガレージにとりつけたバスケットボールの練習台

ハワイには、アメリカ合衆国全体の国民休日の他に、州の定める休日も沢山ある。そのひとつがカメハメハ・デー。カメハメハは、かつてハワイ諸島を統合した王様の名前。カメハメハ王朝は1世紀近く続き、歴代の王様は西欧文化を積極的に輸入し、タブーを打破した。

しかし、アメリカ人たちが様々な陰謀を企て、王朝は崩壊してアメリカの属領となり、ハワイ人は少数民族となった。カメハメハ・デーは、かつての栄光を記念する日で、イオラニ宮殿前のカメハメハ大王像に色とりどりのレイがかけられ、ハワイをあげてのパレードは、新聞やラジオが経路や時間を報道する。

ハワイ各島を代表する女王たちが美しい衣装をまとい、馬に乗って近づいてくる。高校のブラス・バンドがくる。トラックをすっぽりと花でおおった見事な山車がそれに続く。6月11日はカメハメハ大王の誕生日ということだが、伝説の領域で、大王の埋葬場所も分からない。偉大な英雄は、秘密に満ちている。

カメハメハカメハメハ・デーのフローラル・パレード

イギリスやアメリカの農業地帯では、州や郡を単位に農業共進会「ステイト・フェア」が開かれる。農家の人達が丹精して育てた農産物や家畜を会場に運び、その出来栄えを審査し、賞を与える。7月、ハワイのステイト・フェア(近年の会場はクアロア牧場)に出かけた。

会場には、いろいろな遊戯施設がある。小型のジェットコースター、観覧車、ロープウェイ、お化け屋敷。普段は何もないところに、突如として遊園地が出来上がったというわけ。アメリカの遊園地は概ね移動型。遊戯施設一式を揃えた会社が注文に応じて出張する。機械化されているので、なかなか本格的だ。

なんと沢山の人種がハワイに住んでいることか。白人もいるが、東洋系の人も沢山いる。フィリピンの人も、最近増加しつつあるサモアの人たちもいる。キトウキビやパイナップルの農園で働いている赤銅色に陽焼けした人たちが、こんなに沢山この島にいるということをの会場で教えられた。

ハワイのステイト・フェア

ホノルルのお正月は、壮絶であった。ホノルル名物の花火が、大晦日から元旦にかけて街中をおおいつくすからである。お正月の花火は、中国系の移民がもってきた習慣である。したがって、花火は爆竹がほうぼうで炸裂する。なんとも陽性のお正月というべきであろう。

ハワイには、花火についての条例がある。花火は、7月4日の独立記念日と元旦しか許されない。元旦は大晦日の14時(近年は21時)から元旦の午前1時までの11時間に限って許される。花火の販売も12月26日から解禁になる。私も百個の爆竹を買った。大晦日は午後1時頃から近所の家の庭で爆竹が鳴り始める。

私は花火が大好きで、次々に爆竹に火を付けると、百発は跡形もなく消え、夕方、追加の爆竹を買いに走る。深夜になると、爆竹のピークだ。2軒隣りでは道路に突き出たヤシの木のてっぺんから地上まで垂らした爆竹のベルトに点火。すさまじい炸裂が数分間続く。私達の数百発の爆竹は、ものの数ではない。

元旦の花火

夏は、子供が休みだから、たっぷり有給休暇を取って、家族そろって楽しくすごしましょう、ということらしい。ハワイ大学の有給休暇は3週間。2日~3日とか、少しずつ休む人が多い。小さな島の中だから、休暇は小出しに使うほうが現実的で、夏に頻度が高くなる。

私たちも小旅行を企画した。もうそろそろ1年になるのに、まだハワイ州の他の島に行っていない。カウアイ島に出かけることにした。飛行機に乗って、所要時間は20分。普段着のまま、荷物はスーツケースの中に水着と潜水マスク。泊まった格安ホテルは、ことごとくセルフサービスで、人件費を抑えていた。

カウアイ島には、人影のない海岸、河、山岳、密林、見るべき所は沢山ある。私はこの島を自動車で走りながらミッチェナーの『ハワイ』に描かれた、初期の日本人移民の生活を思った。白人のボスと闘い、搾取を受けながら、その立場を確立しつづけたハワイの日系人の原点は、この風景の中に存在している。

カウアイ島コロア

ハワイ州の全面積は、日本の四国ぐらいの大きさだ。アメリカ、オーストラリア、日本とは数千kmを隔てている。ホノルルは、見事な現代都市だが、絶海の孤島であることにかわりはない。しかも、ここには産業がない。ここの人々の生活をまかなっているのは輸入品だ。

輸入品は、海を渡って運ばれてくるので、物価は米国本土の2~3割高。暮らしにくい。ここは健康地で、老後の暮らしにいいところなのだが、悠々自適な生活をしようと思ったら、よほどの財産が必要。そして、生活必需品の輸入が絶えると、事は重大だ。トイレットペーパーや塩がなくなったときもあった。

毎朝、私は通勤の途中、ダイヤモンドヘッドのすぐ下の道路を走る。そして、まっ青な海を、ゆるやかにホノルルに近づいてくるコンテナ船を見ることがある。この島の人々の生活のすべてが、あの船にたよっているのだ。ハワイは、船が必ず来る、という信念に支えられている奇蹟の島ではないかと私は思う。

米国本土から貨物を運ぶ船

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