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#77:評価制度のあれこれ

ia19200102さんの画像を使わせていただきましたが、相変わらず、なんてセンスのある絵!

とある記事で、54%の人が給与決定が不適切だと答えている記事を読んだ。また給与と密接に関わる評価制度についての不満も、記事のコメント欄などに多数あった。

給与は生活に直結することもありシビアだが、昔から評価制度や給与体系に過度な期待は放棄しているので、そこに至る経緯と最近の自分の状況を書こうと思う。

いや、しっかり納得感のある良い評価制度だよという会社の人は羨ましい。たぶんいくつかそういう素敵な会社もあると思うが、今回は、そのような事例を知らない私の経験談を書く。

評価とは天気

晴れの日もあるし、雨の日もある。人事評価とは所詮そのようなものだ、と思っている。

なぜか。

いくつも理由が挙げられるがひと言で言うと、人間のジャッジだから。あとひとりが全部ジャッジすることは稀で、複数の管理職が直属の部下の評価をし、それを持ち寄り部や本部、最終的に会社単位で合わせるパターンが多い。

要するにジャッジする人がひとりではなく、数多くいるという現実。

ジャッジする人との巡り合わせ、その時のコンディションなど、自分でコントロールできない要素が多い。それはある意味、天気ほどに。

野球の例

少し雑な例だが、野球の審判を思い浮かべると分かりやすい。経験のある審判でも明らかなボール球をストライクと判定することがある。(そして大谷は首を横に振りつつ打席を去る)

人はミスジャッジをする。でもそれは人なので仕方ない。全部が見えてる訳ではないから。

そして、各地の球場で同時に試合があり、全球場の投球内容(被評価者が投手として)を持ち寄り、どの投手が良いピッチャーか決める会議を後で開く。これが評価のすり合わせだ。何となくこれでは正しい公平な評価になるか、極めて疑わしいという感触は伝わっただろうか。

どの審判に当たるか、どの球場なのか、チームメイトの守備は上手いか、もしくは、投球内容ではなく試合結果で判断される場合には、味方打線が打ってくれるかで左右される。

つまり時の運である。

ただ試合を重ねていけば良いピッチャーは成績が上がる可能性が高い。そしてそれが中長期の評価になる。でも良いピッチャーだとしても、全く試合に出られない時期もある。ケガやら、練習態度やら、監督コーチ陣との相性やら。

雨が降ったら傘をさす

例えで楽しみ過ぎた。言いたいことは、所詮、評価は人が決めることで、しかもその上司も、評価制度も主体的には選べない。だから、その評価に一喜一憂しても仕方ないということ。

あー今日はたまたま雨降ったなー、と思って、なるべく濡れないように傘をさすしかない。なぜ今日は雨なんだろう、晴れないんだろうと、天気を呪っても全く意味のないこと。

ただ常に雨が降り続く状況だとしたら、何か良くないことが起きてる可能性もある。違う環境に身を置く選択肢も考慮すべきかもしれない。

中途半端な評価制度

それにしても、企業はしっかりと時間をかけて人事評価制度を構築し、社員に説明会を開き、管理職は毎年(毎四半期)評価のためのすり合わせなどに膨大な時間を費やしている。

しかし、たとえいくら労力をかけて綿密な制度設計をして、手続き的には正しく運用しても、全く公平な評価にはなり得ない。体感的にもそれが明白なので、最初の記事にあるアンケートでも、半数以上の人が給与決定に納得いかないのではないのだろうか。

ではなぜ、このように企業と従業員側で認識ギャップがなかなか埋まらないのに、人事部は時間をかけて制度を作るのか。作り直すのか。

法的な要請(労働法)、企業価値(リテンション)の観点、ただそれが人事の仕事だから、と様々な理由はある。企業である限り、100対0の世界ではなくて、最低限何かしらの評価制度は必要なようである。でも50〜60程度の中途半端な納得感の制度は本当に必要なのだろうか。

個人的な答えはNoである。(不要)

ジョブ型もしくは個人事業主

他人との比較や他人の評価をすり合わせする作業には、ほとほと愛想が尽きた。そんなことに時間を使いたくないというのが本音だ。

そうすると、中途半端な評価制度は(個人的な視点からは)邪魔でしかない。

優秀な人を取ることに血筋を上げて、徹底的なフラットな評価(360度評価?)をするGoogleのような極端なものか、職務に固定の給与が紐付くジョブ型か、業務毎に契約する個人事業主か。そのどれかしか必要ないと感じている。

結果的に、今はジョブ型の仕事についている。

あまり現職の内部事情を晒すわけにもいかないので詳細は書かないが、総合職のような一般的な評価制度の元で働いてる人とは完全に別管理となり、煩わしい諸々からはほぼ解放された。

未来の評価制度と懸念

今後、評価制度として、なるべく公平かつ負荷の低いものがあれば、時間の削減により社会の生産性にも寄与すると思う。世間の理解は必要だが、AIによる自動的な評価も想像できる。

評価者、被評価者ともに負荷が下がり、一律の基準で人よりも公平な評価になるかも知れず。AIに設定する基準を何にするかによって、会社の特色としてアピールできるかもしれない。

それは、例えば中国の信用スコアのようなものかもしれない。

ただ、もちろんデメリットも大いにある。

人のジャッジは曖昧でグレーなので、文句も言える。機械的に公平公正にジャッジされると、文句の言いようもない。何とも息苦しい。

ましてや、あらゆる仕事の行動が全て判断材料とされるなら、監視されてるような気もする。それはもっと息苦しい。

評価なし

最後に、最近知った評価なしの会社をご紹介。事業内容もとても興味深い。

このnote読んで、自分と考えがかなり似ているなーと思った。(前半部分を書き始めた後でnewspicks のライフサイエンス特集から、このnoteをたまたま見つけた。)

評価なしの会社。

個人的にはAI評価よりも良いと思う。これからそんな会社が増えると良いなーと思います。

長文お読みいただきありがとうございます😭



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