連帯責任という考え方について

現在24歳の私

当たり前の話ですが、10年ほど前は中学生でした。

その時によくあったのが

連帯責任

という考え方、というか指導でした。

クラスや学年、部活動内で

個人が何かをやらかすと

その集団全体に対して何かを禁止したり

罰則が与えられました。

または、個人のやらかしに対して

集団全体が怒られるということが

よくありました。

今でこそ

少なくなったな〜

とは感じますが、まだまだこの文化は消えません。

連帯責任のメリットは

集団全体の抑圧

ですかね…?

個人のやらかしでも集団全体に迷惑が掛かるから自分勝手なことはするなよってことです。

素直な子はこの指導に対して

自分がやらかすと周りに迷惑が掛かる。

と学ぶわけです。

そう学んでくれれば

集団の問題は起きにくくなりますから

楽ではありますよね。

ですが、デメリットとしての

集団の抑圧

にも繋がります。

これは個人の見解ですが、

2:6:2の割合ってあると思います。

一方の2は上位層で、模範的な人たち。

抑圧されても、集団に貢献するから

そこまで縛られない、むしろ活躍する。

もう一方の2は下位層で、よくやらかす人たち。

抑圧されるけど、へこたれない。

今回の場合、どちらの層も良いってことにします。

で、一番問題なのは

中間層の6

です。

何が問題かというと

連帯責任などによって

この層の人たちはより

はみ出ることを恐れるようになります。

個人がやらかすと集団全体に迷惑が掛かるという言葉を素直に受け止めてしまうが故に

集団から飛び出ることをしなくなるのです。

今は個人の時代とか

自分でなんでもできるなどと言われていますが

ほとんどの人たちは周りを気にしながら生きていますよ。

例えば、交際相手との出会いです。

今ではマッチングアプリなどで

出会って、結婚する人たちも

増えていますよね。

しかし、その一方でそれを拒絶する人もいます。

拒絶の理由は

胸を張ってそれを言えない

とか

恥ずかしい

からだそうです。

この例えが上手くはないのは

分かっていますが(笑)

何が言いたいのかというと

連帯責任をしてきた弊害として

日本人の過半数が

周りの目を過剰に気にしながら生きている

というのが現状だということです。

幸せの基準も自分ではないのです。

他者からどれだけ評価されたか

なのです。

集団生活する上では

他人に迷惑を掛けないことも大事ですが

時には、人の目を気にしないで

新しい自分を出してみる

とか

集団からはみ出てみる

という行動も評価してもいいのではないでしょうか。

もちろん、悪いことをしたなら

指導はしなきゃいけませんが。

だとしても、その人に対して

お前のせいで集団全体に迷惑が掛かった

とか

集団全体に罰を与えるとか禁止事項を増やす

ってのはダメだと思うんですよね。

個人が自由になんでもできる時代ってのは

まだまだ来なそうだな〜と思いました。


#連帯責任という考え方
#個人の自由とは


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