自立と依存は表裏一体

ずっと考えてたことがあります。


それは、

どうすれば人は自立できるのか

ということです。

教師になってからはずっとそれを考えていました。

なかなか納得する結論は出なかったのですが

ここで一つ自分なりにしっくりくる理由が思い付いたので書きたいと思います。

結論から言うと

自立する人は必ず依存経験がある

ということです。

どういうことなのか以下に続きます。

自立とは

私の中での定義は

自ら考えて、行動すること

です。

そして、自立することが人生をより良くするために必要であるとずっと考えていました。

しかし教育現場にいると

自立とは程遠い現状がありました。

自分で何をすればいいか分からない

自分で善悪の判断をつけることができない

自分の存在意義を自分で見つけられない

そんな子供や大人をたくさん見てきました。

その度に思っていました。

自立してねえなあ

と。

でもこれはある意味当たり前のことなのだと気付きました。

そもそも人は自立しておらず依存しながら生きていく存在だと分かったからです。

依存

という言葉は響きこそ悪いですが

何かに依存しなければ人間は生きることができません。

そして、優秀な人やコンテンツほど

人々を依存させ魅了するものなのだと分かりました。

優秀なのだから、そもそも依存して当たり前なのです。

これは誰しもが通る道です。

そして、大事なのは

依存先が消失した時です。

自分が今まで依存していたものが

突然なくなってしまったら

みなさんはどうしますか?

それは家族でも友達でも恋人でも

趣味でも言えることですが

ほとんどの人は

絶望しますよね。

このままじゃ生きていけないよ

って。

そして、そこからが分かれ道です。

大きく分けて二つの道があります。

まずは

そのなくなってしまったものに依存していたことに

気付くか気付かないか

です。

残念ながら気付けなかった人は

消失した依存先のショックを埋めるために

また別のものに依存する道を選ぶでしょう。

依存してはまた失いのループです。

そして、見事に気付けた人

見事に気付けた人は

依存先がなくなったことへの絶望とともに

自分の力の無さに更に絶望するでしょう。

今まで自分がうまくやってこれたのは

あのおかげだったのか、と。

そうなると

絶望の陰に感謝が現れると思います。

自分をここまで満たしてくれたんだなあ

ありがたかったなあ

本当に大切なものだったんだなあ

と。

自立の一歩は

依存先を失った際に、その絶望ととことん向き合うこと

なのだと思います。

とことん向き合った先に何があるのかというと

一人では何もできない自分

がいます。

そして、そんな自分を心底嫌いになります。

もしかしたら死にたいとまで思ってしまうかもしれません。

そこまで落ちてしまうのならば、すぐさま別の依存先を見つけるべきですが

そうならなかった場合の話をします。

一人では何もできない自分を見つけたのならば

もがきましょう。

1人で何ができるのか

自分には何ができるのか

自分は世の中に何を生み出せるのか

と。

その答えは自分にしか分かりません。

憧れの人を超えるぞ

とか

誰かの役に立てる人になるぞ

とか

まずは家事全般だけでも自分でできるようにするぞとか

そんなことを思うかもしれません。

どんなに小さなことだとしてもそれでいいのです。

それが自立への第一歩なのです。

でも、それは依存していた過去があるから

初めて気付けるのです。

依存先を失って自分の無力さに気付けたから

見えた道なのです。

もし、その道が微かでも見えたのなら

手繰り寄せましょう。自分の力で。

依存からの脱却は

簡単にできるものではありません。

簡単ではないからこそ

できた時の成長は計り知れません。

自立の第一歩は依存することから。


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