「誰かのために」という考え方について

人は自分の利益になることをするより、他人の利益になることをする方が幸福度が高い

みたいなことをよく聞きます。

幸福学と呼ばれるものでも言われているようですし、私もそう感じます。

しかし、日本においては

誰かのために

という考え方が押し付けであるがために

誰かのために良いことをしても必ずしも幸福を感じるわけではないと思います。

連帯責任

という言葉、今ではあまり使われなくなりました。

とはいえ、今でもこの感覚は深く根付いています。

誰かが悪いことをしたら全員の責任

たしかに集団を統率する上で必要なことなのかもしれませんが

集団のことを気にするあまり個人でアクションを起こしづらくなります。

今、君がやっていることは誰かのためになっているんだよ

一見、美しい言葉にも見えますが

個人を縛り付ける言葉でもあります。

幼い頃から

他人に迷惑をかけない

とか

人のために

という精神を培いすぎて

何をやるにも誰かのためにするのが前提になっていませんか?

何をするにも誰かのためにしなければいけないと思っていませんか?

一番大事なのは

自分で選ぶこと

なはずです。

誰のためにするのか

自分なのか、他人なのか、集団なのか

決めるのは他者ではなく自分です。

しかし、明らかに順序がおかしいです。

理想的なのは

自分のために何かをするのが前提

→途中で行き詰まる

→誰かのためにやることを知る

→他者への感謝が生まれる

→より一層頑張れる

です。

ですが、現実は

誰かのためにやることが前提

→常に他人のプレッシャーを感じながら行動する

→うまくいかない

が大半です。

それは親なのか、仲間なのか、教師なのか

色々あるでしょうけど。

では、そんな負の連鎖から抜け出すためには、まず自分のためにやることを知る必要があります。

誰かのためにやることが前提

→常に他人のプレッシャーを感じながら行動する

→うまくいかない

→自分のためにやることを知る

→伸び伸びできるので結果が出る

本来はここで初めて、これまで支えてくれた人への感謝を感じると思うんです。

だから、この流れの続きは

→他人への感謝

→改めて誰かのためにやる

→より一層頑張れる

となるはずです。

みなさんはどうでしょうか。

他人のためにやるのが当たり前になっていませんか?

もしくはそれを押し付けていませんか?

他人ために行動するのは素晴らしいことですが

自分のために行動することだって素晴らしいことです。

決して自分勝手ではありません。

だって自分の人生なのだから。


#誰かのために
#自分のために
#連帯責任

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