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「窓」の話


溝のこと

年が明けてから、少しずつ暖かい日に、羊の囲い周りのメンテナンスをしていました。

一昨年、大地の再生の方法で作ってもらった溝は、入れてた枝も、だいぶ土に近くなってたり、まわりが崩れたり詰まったり。

枝を全部出して、溝を堀り直す。水が流れるように、傾斜を整える…
疲れて嫌にならないように、ちょびっとずつ。

溝を掘ってる途中で雪や雨が降ってきたりして、土が露出したまま、乾くのを待ったり、ここからどうしようって、ほったらかしたりしています。

このメンテナンス、未だ途中でぐずぐずしてるんだけれど、すごくおもしろかったのは、あぁ、そうなっていたのかーって思えたこと。土の中はいつも見えないから、わからないんだけど、なんだか窓みたいだなって思えて、それがおもしろくて。

ただ、おもしろい!って思ったのも束の間、やっぱりなにが起こっているのか、あんまりわからないのです。
窓だなぁって感じるけど、見えてくるものはそんなになくて、んん?ってなる。

それは、積み重ねた経験も学びもないんだから、当たり前ではあるんだけど。

それでも、やっぱり窓があるって、素敵だなって思います。

私の目には見えないところで、いろんなことが起こっていて、調和を保つように、動いている生命が無数にいて。わからないなりに、うっすーらかんじられるだけでも、やっぱり嬉しいこと。

森羅万象をのぞく窓

窓と言えば、私は20代の頃、山尾三省さんの本が好きで、ちょこちょこ読んでたんですが、そこに祝福として与えられた森羅万象をのぞく窓、という表現がありました。
(どの本に載っていたかは忘れちゃったけど)
それを読んで、私にとっては、それは織物だ!そうしたい!って、すごく思ったのです。

それから、扱う素材も増え、それを土と繋がってるところから始めることで感じてきたこと。

織物を通して見えたこと、多いのか少ないのかは知らないけれど、やっぱり私にとっては宝物です。

いちばんの宝物は、遠くからのぞいていたはずの森羅万象に、自分も含まれているということを、実感できたこと。

小さな窓と窓の外

タイトルの写真は、先月雪が降った日に、娘が庭に作ったかまくらの窓。
私は少し手伝ったり、入れてもらったりしてたのだけど、かまくらの中から窓を見るのは、すごく素敵。

小さくってなんだかよく見えないんだけど、きらきら光が入るし、きれいな空とか、誰かの目とかがちらっと見える。

そう言えば、それはサイドミラーや水溜りに映った空が、めちゃくちゃきれいに見えたりするのに、ちょっと似てますね。

森羅万象をのぞく窓としての織物。

私は、窓である織物そのものも大好きだけれど、窓から見える向こう側のことを、話したいってずっと思っています。

思ってるけど、話せてるのかな?

それすらわからないんだけど、同じ窓から見たものだけじゃなくて、違う窓から見てる人とも話したいなって思います。

木の窓からも食の窓からも、土の窓、保育や教育の窓、身体のまど…どんな窓から見ていても、きっと同じ世界が広がっているから。

違う窓から見た話も聞きたいし、お互いの窓が、そうして育ったら素敵だなって思います。


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