Sawady

なんやかんやと書き散らします。

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最近の記事

【演芸哀歌】ボブキャッツ。

心斎橋に二丁目劇場があった頃、「ボブキャッツ」という人気を博したお笑いコンビがいた。 メンバーは吉本新喜劇で座長を務めた吉田ヒロと岩瀬雄大。 新喜劇でのヒロのハイテンションぶりが際立っているが、当時は相方の雄大がその上を行っていた。雄大は出番でいきなり客席に下りて腕をぐるぐる回して「リメンバーパールハーバー!」と、叫びながら走り回ったりコントでバイクの二人乗りをする場面では雄大の後ろに回り腰に手をかけたヒロを「そんなんちゃうねん!」と、突然叱り飛ばしてヒロと客を唖然とさせ

    • 【銀幕讃歌】ギルバート・グレイプ。

      ジョニーデップと言えば映画『ギルバート・グレイプ』が好きだ。 自閉症の弟を演じたレオナルド・ディカプリオは本作品ではオスカーを逃がしたが、オスカーにふさわしいと言って良い演技だった。デニス・ホッパーも同様の発言をしていた。 ディカプリオは自閉症の人との交流を通じて演技を深いものにした。外見的なかっこよさが目に映りがちだが、彼の俳優としての本質はこの作品にあると言っても過言ではない。

      • 【銀幕哀歌】デニス・ホッパー。

        セックス、ドラッグ、ロックンロールを地で行った。 ショーンペンら悪たれ俳優の兄貴分だった。 映画「ブルーベルベット」での酸素吸入機付けてスーハースーハしながら「ママ〜」と叫びながら女を虐待する姿が目に焼き付いている。 自身が監督した作品では共演のジョディ・フォスターとは険悪な仲になったりタランティーノ製作で千葉真一と映画作る話があったり。 ゆうばり国際ファンタスティック映画祭映画祭での勝新太郎との抱擁も忘れられない光景だ。 枠に収まらない俳優が居ないのは寂しい。

        • マッカーサーはへそである。

          「何故ならチン(朕=天皇)より上にあるから。」と、不敬丸出しの発言をしたのは西村栄一民社党委員長(西村真悟の親父)である。 これは当時、大阪の聴衆が話を聞いてくれないので栄ちゃんが渾身のアドリブを放ったところ大うけした。 民社党。 日本社会党を離党した議員が結党した「民主社会党」が略称だった「民社党」を正式な党名にした。 「自民より右。」と、言われた政党でもあった。 春日一幸、大内啓伍、塚本三郎、米沢隆だとか胡散臭そうなおっさんばっかのイメージがあった。政治的ポジシ

        【演芸哀歌】ボブキャッツ。

          【笑芸哀歌】すわ親治。

          CSで「志村けんはいかがでしょう」を観てたら志村けんとすわ親治がコントをやっていた。すわが志村に野球やボクシングの教えを乞うが酷い目に遇うと言うオチでシンプルなんだが笑ってしまった。 すわ親治(当時・すわしんじ)はザ・ドリフターズの付き人で、本人によると「高木ブーが抜けて自分が入る予定だった。」らしい。ドリフの地方公演では"六人目"として舞台に立っていた。 それでも正メンバーになることは無くドリフを辞めてからはドリフと共演する事は無くなっていたが、いかりや長介の葬儀ではド

          【笑芸哀歌】すわ親治。

          人を喰った話。

          1981年6月11日、佐川一政はパリ大学の女性留学生を銃で殺害、遺体と性交渉の後、女性の肉を貪った。精神鑑定の結果、心身喪失状態での犯行と判断され、不起訴処分となった。 帰国後、佐川はしばらくしてある落語会にゲストとして出席した。楽屋は佐川が一歩足を踏み入れてから、重苦しい雰囲気に包まれた。テーブルに置かれた差し入れのお菓子を前にして、佐川が「これ、私も食べてもいいですか?」と言葉を発すれば全員がビクリと反応した。佐川が「この肉、固すぎてあまりうまくないですねえ」と感想を述

          人を喰った話。

          映画『羅生門』から。

          「本当の事が言えないのが人間さ。人間って奴は自分自身にさえ白状しねえ事が沢山ある。」

          映画『羅生門』から。

          阿藤海『この熱き人たち』から。

          「劇場にしても映画館にしても、「騙されに来ている客を騙す」には上等な「嘘」をつかないといけない。」

          阿藤海『この熱き人たち』から。

          喜味こいし『いとしこいし 想い出がたり』から。

          「私は漫才や笑いの審査員をするというのは嫌いやねん。寄席の芸人なんていうものは、来たお客さんが「ああ、あれは面白かった」というて決めてくれはるもんやねん。それを改めて審査員がいい悪いを決める自体がね、おかしいと思いますな。」

          喜味こいし『いとしこいし 想い出がたり』から。

          戸浦六宏伝説。

          殿山泰司 (「アートシアター」78号のエッセイ「カントクのおかしな接点」より) 「いい男だな。ほんとに美男子だわい。若いときに戸浦六宏が追い掛けたという伝説がある。戸浦が追い掛けたのというのは、今から推測しても壮絶だったとおもわれる大島渚の若き日の美貌。なるほど、これはワカル気がする。オレのココロの中で小さな嫉妬が燃えるぜ。」 大島渚(「わが日本精神改造計画」より) 「京都の大学のころにぞっとするほど美少年だったぼくに、戸浦六宏というきちがい俳優がバックから迫ったなんて、殿

          戸浦六宏伝説。

          映画『男はつらいよ 寅次郎物語』から。

          満男 「人間は何のために生きてんのかな。」 寅次郎「何と言うかな、「あー生まれ来てよか   った。」。そう思うことが何べんかあるだろう。そのために生きてんじゃねえか。」

          映画『男はつらいよ 寅次郎物語』から。

          ベイブルースという漫才コンビがいた。

          ベイブルースはピン芸人として活動している高山トモヒロと河本栄得が結成していたコンビである。 河本が深夜番組でバッファロー吾郎・竹若を「西のマチャアキ」と呼び、FUJIWARA・藤本のうっとうしさを「マラソンのランナーズハイ」に喩えた言葉のセンスは秀逸だった。 ベイブルースは漫才賞を総なめにして実力派漫才コンビとして飛躍が期待された矢先に河本氏は劇症肝炎で自身の誕生日前日に亡くなった。 25歳と364日。 河本氏が生存していたら、間違いなくお笑い界は変わっていただろう。

          ベイブルースという漫才コンビがいた。

          世界のアベサダ。

          阿部定をテーマにした大島渚の映画「愛のコリーダ」と田中登の日活ロマンポルノ「実録阿部定」ではどっちが面白いかと言うと抜群に「実録」の方が面白い。 「実録」は脚本のいどあきおの才能による所が大きい。「コリーダ」は修正されまくった公開版とその後の緩やかになった「愛のコリーダ2000」を観たが話題の割にはドラマが平板だった。 他にも大島渚は新選組と同性愛を扱った「御法度」やチンパンジーと人間の愛を描いた「マックス、モン・アムール」を撮った。 男と女、男と男、人間と動物。 大島渚

          世界のアベサダ。

          【笑芸讃歌】春日三球・照代。

          「私たちは家族の間で余韻の残る笑いを提供したいのです」(春日三球) B S日テレの「徳光和夫のトクセンお宝映像!」で春日三球・照代の漫才を観たが、お二人のチャーミングで絶妙の間にずっと聞いていたいぐらいだった。 照代さんが「おもいっきりテレビ」の収録中に倒れられて亡くなり三球さんは新たに若い芸人とコンビを組んだが一年で解消。何回か観た事があるが「家庭の間」では無くて忙しなかった印象がある。『初詣!爆笑ヒットパレード』では山田邦子とも組んだりしていたが、若い相方は間を埋めよ

          【笑芸讃歌】春日三球・照代。

          映画『リトル・ミス・サンシャイン』から。

          「幸せな日々からは何も学べない。思い悩む青春時代こそ人生の黄金期だ。」

          映画『リトル・ミス・サンシャイン』から。

          「アントニオ猪木監禁事件」の真相。

          図書館が保管期間の切れた本を処分していたので何冊か貰った。その中の一冊に現在は休刊している雑誌「新潮45」にこんな見出しがあった「スポーツ怪事件の真相」。 読んでみると興味深い記事があって「巨人の星」などの原作者で有名な作家の梶原一騎による「アントニオ猪木監禁事件」の真相に迫ったルポだった。 この事件はホテルの一室に梶原一騎とヤクザの組長と空手の添野館長が、「寛水流」と言う空手の流派を創設したアントニオ猪木とその右腕と言われた新間寿をホテルの部屋に監禁して恫喝したと言うも

          「アントニオ猪木監禁事件」の真相。