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話すことは放すこと

話ができない。うまく話せない。こりゃ驚いた。職場と家の往復。昼は孤食。職場以外で人に会うこともない。久しぶりに人と話す機会があって、気の利いたことの一つも言えない自分にびっくり。間合いの悪い切り返し。一瞬流れる沈黙。いやあ、どうしたもんか。いまから、話す練習か。話したいことはいろいろあるはず。あったはず。が、話せない。語れない。聞いてもらう語りができない。うーん、そりゃ溜まるわ。人の話は聞ける。聞けるが、ずっと聞くのはしんどい。これも溜まる。よく女性はコミュニケーション能力が高いと言われる。巷では、よくしゃべっているのを見かける。差しで話していると、大抵は、どちらかが一方的に話していたりする。複数人で話しているときは、それぞれが自分の話したいことを、会話に突っ込んでいく機会を狙っている(もしかしたら人の話なんか聞いていないのかもしれない)。でも、いずれの場合も、聞く方がうんうんと肯定しながら会話を進めている。肯定されれば、話ははずむ。溜まっていたものは解き放たれる。こりゃ、コミ能、すこぶる高しと言わずばなるまい。話してすっきりする、話すこと自体ですっきりする。たぶん、そういうふうにできているんだな、人間。心置きなく話せる関係があるのが、健康の秘訣かもしれない。それができなければ、植物にでも話しかけるさ。でも、あんまり愚痴っちゃだめだ。愚痴ばっかだと、サボテンも枯れる(実際、サンスベリア枯らした人がいたな)。気をつけよう。言霊ってのもあることだし。まあ、話さないんじゃ、始まらないんだけどねえ。


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