明治以前の日本人の羊に対する認識についてまとめてみました。
昔の日本に羊はいませんが、みんなが知っていた家畜でした。それはなぜかと言うと「干支」に含まれていたからです。見たことはないけど、みんなが知っていますし、中国の物語などでもよく出てくる。
羊は概念としてみんな知っている生き物でした。

しかし、姿形がわからない。そこで、「ヤギに似ている」と言う中国の書物の記載に従い、絵などで羊を描く場合、山羊を書く事が多かったのです。虎や龍と同じく、羊は「知っているけど視覚体験がない」生き物だったのです。室町時代の「十二類絵巻」に描かれている羊はどう見ても山羊ですし、安土桃山時代に書かれた南蛮屏風にも、象や虎などにまじり描かかれているのもどう見ても山羊です。

この状況は江戸時代に入ってからも続き、和漢三才図会にも「羊」の項目はあり「按ずるに華より来り。之を牧ども未だに畜息せず(羊は中国より来て、飼おうとしたけど家畜とできなかった)」と、山羊とは別物との認識はあったようですが、イラストはどう見ても山羊なのです。(そして、この項目、日本で羊が飼われていなかった証拠でも有るのです)。

たまに、象やラクダなどと一緒に見世物として羊が居たとの記録がありますが、羊は明治に入るまで「知っているけど形がわからない生き物の立場」を取り続けます。今考えると不思議ですが、写真がなく海外との間のやり取りも限定的である時代はこれが当たり前なのかもしれません。


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