タイトルなし
正確なニュアンスは忘れましたが
という話が好きです。
しばらくずっと、子供の頃から死ぬのが怖くて。
死ぬと、結局何もかもなくなってしまうようで怖かった。
目の前にいる人の温かさも無かったことになってしまうようで怖かった。
自分がこれからする全てのことも、いつかは忘れ去られてしまうという事実がどうしようもなく怖かった。
生きることに意味なんて無いようで。
大人になるまでどれだけ考えても、生きることの意味は結局わからなかった。
色々調べてみると、生きることに意味など無いと言い切る高尚な方もいらっしゃるらしい。
私自身、“生きることに意味なんてなくていい”という言葉に支えられた夜もある。
でも私は私の生に意味があって欲しい。
だってそういうものでしょう。
でも諦めました。
どうやら生きることに意味って無いらしいですね。
偶然の産物に意味があるのかって話ですよね。
だから私は私の生に、私自身で意味を決めて持たせることにしました。
そして持たせる意味は、愛しい人たちに少しでもまともな自らを覚えておいて頂く、ということにしたい。
ごくごく狭い半径にいる人たちだけでいい。
多くの人に覚えていてほしいなどとは全く思わない。
でも自分が死んだ後にその人たちの脳裏に映るかもしれないその姿は、どうかやわらかな手ざわりの感情で思い出されるものであって欲しい。
どんなにかささやかなものであったとしても、それを愛しい人の中に残せるように生きて、死にたい。
私の勝手ですよ、途方もない私の勝手ですよ。
しかし時として、どうしようもなく我儘なソレが、狂おしいほどに大切に思える日もあるものです。
そんな風に思いませんか。
こんな風に考えても良いと思いませんか。
こんにちは、あるいは、こんばんは。
お元気ですか、私は元気です。