ねがい

こんにちは、あるいは、こんばんは。


大事な人に、大切なことを伝えたい時に、私たちは「何を伝えるべきか」や「どう伝えるべきか」を一生懸命に考えたりします。

しかし身も蓋もないことを言うと、正直なところ私は「誰が言うか」がよっぽど大切であると感じます。


これは、ある誰かにとって、近しい位置にある人の言葉でないといけないという話ではありません。

また、地位が高い人の言葉でないといけないという話でもありません。


近しくない人からの発言だからこそ冷静に捉えることができて、明日の我が身に活かせたりします。

お若い方からの言葉だからこそ、その中に純粋な何かを感じて、自らの何かが揺り起こされたりします。


誰のことばが、誰に刺さるかは、全くもってわからないなという話です。

頭を捻ってありったけの愛を込めた何気ない言葉は、愛しい人に聞き流されてしまったりするのに。

ちょっとした知り合いの前で何気なく放ったはずの言葉に、後になってあれが自らを救ってくれたのだと感謝されて戸惑ったようなこともあります。


どんな距離の、どんな関係性の、どんな人の言葉が、誰にどのように刺さるのか、もしかしたら、その人を少しでも救うのか、分からないのなら。

だらだらダラダラとでも、あることないことをつらつら書いていれば、もしかしたらね、万が一ね、それが偶然視界に入った誰かの心をね、ありえないくらいの力で引き上げることもあるかもしれません。

そんなことがあるといいなと思います。


そんなことがあるといいなと本当に思います。