貴方への、祈り

こんにちは、あるいは、こんばんは。
お久しぶりです。


貴方へ

唐突に主語が大きいですが、人生でやり直したいことは数えきれないくらいあると思います。
貴方が私にそっと教えてくれたそれらもそうでしょうし、きっと他にも、テキストはおろか私と直接会っている時でさえ、音という形にするのを憚られたようなものもあるのでしょう。

貴方はそれらを頻繁に思い出しては自らを無くしてしまいたいと言っている。
消えてしまいたいような気持ちになると仰る。


皆様同じですよと伝えても一寸も響かないでしょう。
もう聴き飽きていることでしょう。

だけどもう少しだけ耳を傾けていただきたい。
変に慰めるようなことはしませんが、そっともう一歩だけ進めるよう願って綴ります。


一つの提案として。

人は、そもそも間違わずには生きることはできない生き物だということにしませんか。
少なくとも私はそうですし、澄まし顔をして口にしないだけで、大半の人が同じではないでしょうか。


何故、あの時、あのような言葉を口にしてしまったのだろうか。
何故、あの時、あのような判断をしてしまったのだろうか。
何故、あの時、もう少しだけでも柔らかな言葉を選んであの人に声をかけられなかったのだろうか。

そのような気持ちが、頻繁にとは言わずとも、時折、胸の中に浮かぶ。
それを目の前にある何かで必死にごまかして、見ないように過ごす。

大半の人がそうではないでしょうか。


もしかしたら、人生の中でただの一つも間違わずに生きてきたという方もいらっしゃるかもしれません。
そして貴方はそのような人を羨ましいと思うかもしれません。

しかし私はちっともそのような方は魅力的だと思いません。

私が素敵だと感じるのは。
日々、必死に考え、必死に生き、目の前のことに正解などないことを嘆きつつも何かを選び取り、結果、何かを間違え、それを恥じながらも歯を食いしばり、自らの一部とするような。
そんな方です。


改めて。
些末ではありますが、大切なものと信じ、提案致します。
間違えずにはいられない自らを、受け入れていきませんか。

人間は、貴方も私も含めた人間は、そもそも絶対的に、なにかを間違えずに生きることなどできない存在だということを。
受け入れて生きていきませんか。


そしてもう一つ、違う見方を加えさせて頂けるのであれば、人生は何かを後悔、あるいは恐怖し続けている内に、ある日突然に終わりを告げるかもしれないということも、覚えておいて頂けませんか。

念のため申し添えますが「毎日、今日という日が、人生最後の日だと思って生きなさい」などということを言うつもりは毛頭ありません。
それは自らがそれを体現し続けると誓った人だけが口にすれば宜しい。

しかし我々の時間が突然に終わりを告げる可能性を常に孕み続けていることは、頭の片隅に叩き込んでおく価値があります。
その残された時間、或いは、大して残されていないことになるかもしれない時間を、過去の何がしかを恐れ悔やむことに使うのか、目の前の人、或いは、目の前にはいない誰かの為に使うのかは、自分で選ぶことができます。


少し書き過ぎました。
これが貴方の中にほんの少しでも手ざわりを残すものになりますよう、祈っています。