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くるみ割り人形外伝という自伝


根本さんから2年ほど前に
スケジュール押さえておいてねと言われ
どんな舞台なんだろな〜なんて
呑気に台本を待ちながら
そんな内容もよく決まってないところで
子役オーディションの最終審査にお邪魔して、
これは、何を基準に選んだら良いのであろう
と思いながら
真っ直ぐな気持ちの
真っ直ぐな女の子たちを目の前に、
この歳の頃の自分はだいぶ歪んでたよなあ、
なんてしみじみしながら
楽しそうに歌う2人を選びました。
そんである日 台本が届いたんですよね。
LINEで。

なんだこれは、
めちゃくちゃ小春の話を書いてるじゃないか。
な、え?

根本さんとは
気付けばとてつもない量の舞台を
一緒に作ってきたようで
数えれば10作品を超える
えーっと12作目だったかなんだかで
(それもどこかのインタビューで記者の人から言われて気づくっていう)
こんなに色々と一緒に作ってきたのかよ 
てビックリしたわけなんだけど
そんなに沢山一緒にやって来た割に
そこまで根本さんのことは知らなかった。

人と仲が良くなれば良くなる程お互い自我が強くなってきたりするものなのだけど、それは私が作品を作るにあたっては障害になることも多く、自分がやりたいことへの意志を貫く作業というのはとてつもなくエネルギーが必要で、なんかぶつかるの面倒くさいな、と思いながら、その人と作品を作るのを辞めてしまう。
根本さんとはそうなりたくない気持ちも相まって、長く一緒にやっていながらそこまで根本さんのことは知らなかった。
今まで根本さんはこれといって
作る曲に何か言ってくることもなかった。
「いいね!最高!」とすぐ返信が来た。
この、「いいね!最高!」
にどれくらいの重みがあったのかも
分かっていなかった。
イェイ!くらいのもんかと。

そう、私は人の気持ちを汲み取るのが
そもそも下手なのだ。

小学校の頃、帰りの会で「小春さんから暴言を吐かれました」とか「暴力を振るわれました」とか先生に報告があった。人の気持ちを考えてごらん、と母からよく言われていた。
考えてみた。
考えてみたのちに暴言を吐いていた。
アホかな。
そんな奴が他人の作った作品に音を付けるんだからまずそこからかなりリスキーな作業なわけなのだが何故か根本さんとはうまくいっていた。

台本には小春の色々が散りばめられていた。これはどういった意図で?何事?「何かこれは困るとかあったら言ってね」と言われたもののそんなものは何もないしまあその根本さんがこれを作りたいタイミングが今なら今なのかな?はて?何故?まあいいか。
と思いながら曲をなんとなく作ってみた。

曲を作る作業を進めてゆくうちにどんどんこの作品への謎の重みがのしかかってきた。
今まで人に自分のことを書かれたこともなければこんなふうに舞台になることもないし、でも、これは小春の話でもあるけど違うし、だからといって人ごとのように作ることもできなかった。
出来上がった楽曲が正解なのか分からなかった。だけど音源を送ると根本さんからは
いつものように
「いいね!最高!」と返信が来た。

文章だけで出来上がっていた物語は、稽古が進んでゆくうちに肉眼で見えるものに変化していった。意味合いが生まれて、曲にのせて演者が動くたびに理由ができた。
そこらへんになってやっと、これで大丈夫かな、曲は。と思えるようになった。

でもなんでこの「くるみ割り人形外伝」を作ろうと思ったのかよく分かっていなかった。
「子供でも観れる舞台を」みたいななんとなくな理由は聞いてはいたものの、不思議すぎた。
なんか物語の中でも小春の色々と他に根本の色々みたいなものが散りばめられていてミキサーで掻き回したような感じなので、これじゃあ2人の物語じゃないか。そんなの今まであったっけな。

そして稽古終盤、パンフレットにみんなで語り合うのを入れることになり演者のみんなと輪になってこの舞台の話をする日があった。
その時に突然、根本さんが言ったのだ。

「小春ちゃんのこと好きなんだよね。」

そう、私は人の気持ちを汲み取るのが
そもそも下手なのだ。
好かれていることすら
よく分かっていなかったのだ。アホかな。
ディズニーランドに一緒に行ったあたりで
流石に気づいてもよかった。
好きだからこの舞台を作った、
それだけだったんだ。

想像できることはなんだってできる
想像できるものにはなんだってなれる

歌詞のほとんどの言葉は根本さんから生まれたもので、小春だけで考えたら「だけど」とか「でも」にもっと引っ張られていた歌になっていたかもしれない。
根本さんは私と違っていつでも真っ直ぐだった。

初日が近づいてきて、1つのものを完成させるにあたりよく起きる「これはどちらを選ぶか」という選択をしなければならないタイミングが来た。
大人になればなるほど、「妥協」という文字がどんどん大きくなって、それを選択すればするほど、つまらない大人になってゆくあの選択のタイミングだ。
もう間に合わない、間に合わないからこっちにしよう、いや、でもこれではまずい。でも間に合わない。みたいな声が頭に響いた。

そんな中、根本さんには大人になったら大きくなるはずの「妥協」の文字が無かった。
信じられないほどのサイズのエネルギーを舞台にぶつけ、そして、1つの作品を完成させるまでその舞台を支え続けている身体の力を抜かなかった。
ディズニーのファンタジアのような感じだった。なんか破壊して、そして出来上がった。
もはや魔法だった。いや自力なんだけど。

それを目の当たりにした時、
自分が恥ずかしくなった。
小春は、ここまで、自分の作品を大事に、
していただろうか。

初日を迎えた時、りんちゃんのクララが
「ここから、始まる 物語」
と歌い始めて全ての物語の幕が開いた時
涙が止まらなかった。
いやかなり序盤なんですけど。

りんちゃんと、あんちゃんの2人のクララが、小春の心の中に仕舞っておいた小さい頃の小春に問いかけているような感覚があって、真っ直ぐな目と声で、それはそれは、泣けました。

私は7歳の頃
Cirque du SoleilのAlegríaを観て
そこに出てきたアコーディオン弾きを見て
アコーディオンが欲しくなり
母にお願いしたら
「サンタさんにお願いすれば?」と言われ
確かにそれもそうだな。
と思いサンタさんにお願いした。
クリスマスの日、ミニアコーディオンが届いた。めちゃくちゃに嬉しかった。その日からずっと、アコーディオンを弾いている。
あの日小春がアコーディオン弾きに憧れたように、自分も誰かの憧れになりたくて、
今も弾いている。

心に留めていたその気持ちは、
根本さんが突然肉眼で見えるものに作り上げた。ディズニーのファンタジアのような感じだった。もはや魔法だった。
いや自力なんだけど。

そんな作品でした。



ところで6、7年くらい前に、小春は何を思ったのか一度しか会った事のない根本さんを呼び出し、「小春の方がいい曲書くよ」というかなり他の人に失礼な発言をしながら根本さんにチャラン・ポ・ランタンのCDを渡し、次の舞台の音楽は決まってんのか、いつやんのかと詰め寄っていた。
そう、私は人の気持ちを汲み取るのが
そもそも下手なうえに
人に気持ちを伝えるのも下手だった。
その時から根本さんの作品が好きだったのだが、これじゃ嫌われるだろ。アホかな。

その強引なラブコールに7年越しに返信が来たのがこの舞台だったのかもしれない。ということにしておいてもいいかな。ちなみにその詰め寄った日のことは根本さんに言われるまで忘れていた。アホかな。


「ここから、始まる 物語」
と歌い始める日がまた来ることを祈って。
絶対、またやろう。




さてこの舞台で一番泣いたのは
うちの母かもしれません。
小さい頃の小春に、
「サンタさんにお願いしたら?」
と言った時の母は、
今の小春と同じ年齢でした。

それに気づいたのは千秋楽の日で、
嬉しそうにアコーディオンを持っている
あんちゃんのクララを
母親のような気持ちで見ていました。
そうか、同じか。
アキ、随分若かったんだな。

偉大だな。母親は。


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