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小学生のときに、計算ドリルで競っていた話

こんにちは、これが426本目の記事となったすうじょうです。今日は、自分の経験や思いを語るエッセイです。


最近、バイトで小学生や中学生を指導していて気になったことがある。勉強ができる人、できない人に共通して感じたことだが、基本的な計算を間違えないようにすることが大事だということだ。

このこと自体は当たり前のことで自分自身も分かっていたつもりだが、指導の経験を通じて、このことを身に染みて実感した。

具体的には、九九を間違えずにできるか、分数の割り算を計算できるか、約分ができるか、マイナスの数の掛け算ができるか、文字式の計算ができるかといったことだ。これらがうまくできていないことが原因で、算数や数学のミスにつながっている場面を見るたびに「もったいない」と感じてしまう。解き方が分からないなら、やりようはある。しかし、計算でつまずいている場合、計算の説明から始める必要があり、指導の時間が無駄に使われているような気がしている。(あくまで個人的な意見です)

そこで自分の場合はどうだったのだろうかと振り返ってみた。すると、いくつかのことを思い出した。前提として、自分は公立小学校に通っており、授業を真面目に受けている児童だった。

あれは確か、小学5年生のときだったと思うが、担任の方針で計算ドリルを1ページ終えるたびに、シールを用紙に貼ってもらっていた。そして、自分は計算ドリルを2周3周としていき、友達とシールの数を競っていた。よく昼休みに計算ドリルを解きすすめていたことを覚えている。特に報酬はなかったと思うが、単純に勝ちたくて競争をしていたと思う。

計算ドリルを何周かした経験からか、計算への苦手意識はなくなり、計算力の基礎が身に付いたのではないかと思う。

ちなみに、九九については小学校に入る前に親に覚えさせられていた記憶がある。また、小学5年生のときは計算ドリルだけでなく、教科書などに載っている有名な詩などを先生の前で暗唱するテストもしており、覚えた数に応じてシールをもらっていたと思う。一部の詩は今でも暗唱できるほど覚えている。これにより、文字列の暗記力が付いたのではないかと思う。

このような経験から、小学校で十分な計算練習を積んでいくことが重要でないかというのが、私が最近思ったことだ。あくまで自分の経験だが、そんなに間違っていることではないと思う。


以上、私の経験と思いを伝えるエッセイでした。では。

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