果てしなき流れにボートを浮かべよう

実はnoteのアカウントを作っていたんですよ、自分でもすっかり忘れていたけど。

なんで埃を被ったアカウントを引っ張り出してきたのかと言うと、長文を打ちたくなったから。
なるほどこういう時に使えばいいってことね! と初めて他人が作った道具の便利さを見せつけられた原住民みたいになっている。

何の話をするのかと言うと、「果てしなき流れの果に」の読書感想文です。
昨日ラジオで喋ったんだけど、全然言い足りない。ていうか全然言いたいこと言えないのでは!? と自分で聞き返して思った。
(私は自分のラジオを聞くのが好きなので割とよく聞き返します)
喋るのが得意じゃないくせに喋るのが好き、という厄介なお喋りなんですが、それならせめて文章で語ってはどうか? と思った次第です。
なるほど読書感想文ってこういうことなのね!

※今更ですがネタバレしまくるのでご注意ください。

果てしなき流れの果に。この小説のあらすじを説明しようと思ったけど、アホほど長くなるのでここでは割愛する。
とにかく話があっちこっちに飛ぶので、本当に説明しにくい。今何とか省略しながら説明しようと試みたけど、1/5も描写してないのに10行ぐらいになったので中断した。知りたい人は、もっときちんと説明してくれているブログや読書感想サイトがあるのでそっち見てください。

なので言いたいことだけ言おうと思う。
私がこの小説で一番印象に残っているのは、Nが「歴史を変えては、何故いけない?」と答えるシーンだった。
他にもいろいろあるけど、多分ここが一番なんだと思う。特別何かあるわけでもなシーンだけど、私にはかなり印象的だった。
それが何故なのか考えてみたんだけども。その前にもう一つ、私の好きなシーンがある。

***

物語は終盤。追い詰めたNの意識を取り込んだアイ・マツラが、自分の中でNと松浦の邂逅を感じ取り、そこから生じる意識の励起を受けて、宇宙の果てまでその意識を上昇させていく。それ以上行ってはならない、という静止の声(アイは人類にとって上位の存在だけど、更にそれより上位の存在が作中では存在している)を無視して、アイはとうとう宇宙の果てを突き抜け、その裏にあるまた別の宇宙、さらにそれらとはまた別の第三の宇宙とも呼べる新たな時間軸を知ってしまう。この時アイの肉体はすでに消失しているため、見たとか聞いたとか五感による知覚ではなく、概念を知るという感覚的なものと思われる。

この行動のせいでアイの意識は極限まですり減り、凝集していた三人の人格意識は攪乱してごちゃまぜになってしまった。
上位存在から、我々が君を罰したのではない、君が自らを滅ぼしてしまったのだ、と言われる。
アイの階梯はランクダウンし、第二階梯……肉体と共に滅びる意識、つまり普通の人間と同じ存在となって、時空の何処かへ落ちていく。

***

この「周囲の制止を振り切って時空の果てを目指す」というシーンが、私は本当に面白く感じた。今までダラダラと何処の誰かもよくわからない奴の話(小松先生申し訳ありません)を読ませられてきた中で、ここのカタルシスたるや。
結果的にそれを為したアイという男は、自分が誰なのかもわからなくなってしまった状態で現在の地球のとある場所に落ちてしまう。今まで人類を下位の存在として見下してきた彼からすると、何とも情けない結末ではあるかもしれない。

だけど、彼は最後の最後で自分のやりたいことをやり、成し遂げた。
そのやりたいこととは「長い時間をかけて周到に準備してきた、今まさに叶えられるべき大望」などではなく、「今この瞬間に思いついた、やれそうなのでやってみたくなった」レベルのことだ。
個人の思いつきという、誰もがやったことがあるレベルの行動で、彼は前人未踏の果てしなき流れの果てを知った。そのスケールの温度差で私の中のグッピーが死んで生き返った。
だから何? と言われたら、それだけ。と答える。
本当にそれだけだ。だけど、このシーンを読んだ時点で、私はこの小説を読んだ意味があった、と思えた。何度も挫折しかけたが、ここまで読んだことが報われた、と思えた。

話を戻して、Nの「歴史を変えることが何故いけないのか」という台詞。
Nは、ざっくり言うとアイのような上位存在におけるレジスタンス集団に所属している。そのため時間跳躍を駆使して追手から逃げながら、世界の歴史に紛れ込んで行方をくらませている。件の台詞は、その途中で出た台詞である。
Nは、文明のフィードバックを提案する。本来なら一万年かけて到達した文明や認識を、過去に持ち込む。そうすれば、一万年という時間は百年に短縮され、その分余った時間で人類は更に発展していくのではないか。それを何度も何度も繰り返せば、人類の「今考え得る限界」を越えていけるのではないか。

それを聞いた仲間が「そんなことをしたら歴史が変わってしまう」と言い、それに対してのNの返答が「歴史を変えて、何故いけない?」になるわけだ。

ここを読んだ時、私は困惑した。
歴史を変えることは、絶対にしてはならない。これは大体どのSF作品でも言われていることだ。何なら刀剣乱舞でですらそう言われている。
だけど、何故?と聞かれても、私は答えられない。とうらぶでは、今剣と岩融の回想でこのやり取りがされている。

今剣「歴史を変えては、何故いけないの?」(実際は全部ひらがな)
岩融「たとえ悲しいことでも、その先に我らがいるからだ」

岩融の答えは、変えてしまいたいほど辛い歴史でも、その延長線上に自分達が、ひいては沢山の誰かがいる。そのために、歴史を変えてはならない、という事だ。
なるほど、納得できる。岩融は賢い。自分の都合で歴史を変えてしまえば、そこから生じた沢山の糸に繋がっている人物全員に影響が出てしまう、それは許されないことだ、と言っているわけだ。岩融は立派だなぁ。

だけど、この岩融の答えは結局のところ「誰かに迷惑がかかるから」ということだ。勿論それは理由として成立している。人に迷惑をかけてはいけない。

だけどだけど、人に迷惑をかけることを度外視する者に、この答えは意味を成すのだろうか。
あるいは、歴史を変えても実は誰にも迷惑がかからないのだとしたら、それでも歴史は変えてはいけないものなのか?

さらに言えば、歴史を変えることで人生が変わってしまう、という問題を、そもそも知らなければ迷惑も何もないのではないか?
私の人生が、もし誰かの手によって歴史が変わったことで影響を受け、本来とは違う人生を歩んでいるとして、私がそれを知りようがなければどうしようもないのではないか。
そうなってくると、人に迷惑をかけてはいけいないので駄目、という答えは意味をなさなくなる、気がする。

これを解決できる答えを、今のところ私は持っていない。
SF作品だと「歴史を変えることで世界の因果がどんどん分岐してしまい、結果的に今の世界の因果が消滅する」とか何とか、とにかく歴史を変えることで世界存亡が関わるレベルの問題に発展してしまうから、という理論が展開されている。
だけど、考えてみればこれは「歴史は変えてはならないもの」という前提の元、それに正当性を持たせるための架空理論を展開しているわけだ。

実際、歴史を変えたところで何が起きるのか、それは誰にも分らない。過去を抜本的に改竄する、ということは、少なくとも今の科学では不可能だからだ。
もしかしたら、何も起きないかもしれない。特にこれと言って困ったことは起きないかもしれない。
作中でも、実は舞台となる世界はいくつかの並行世界となっている。
太陽に飲み込まれて滅亡してしまった地球と、それを逃れて今なお繁栄している地球が作中で描かれており、前者の地球出身者が上位存在の介入によって救出され、偶然にも後者の地球を見て(それが失われたはずの自分の地球だと誤解し)自分達を騙したのかと怒り狂うシーンがある。

話を戻すと、Nは「歴史に介入し、果てまで達した人類の認識を過去へ持ち込み、またスタート地点へとそのままの状態で戻す。それを繰り返して、人類のさらなる発展を目指す」という目的を持つに至るのだ。
これまで「歴史を変えることは悪である。個人の都合で大河の流れを勝手に切り替えることは、身勝手で許されないことだ」という言説が多い中で、Nが提案した(実際はルキッフという集団のリーダーがいて、彼の意志としてNがそうと理解した、という描写だが)人類の発展を目指す、というのは何だかわくわくしてしまう響きがある。私がそれを聞いたら、Nの仲間になっていたかもしれない。そうなれば私は歴史修正主義者の仲間入りである。
何故わくわくしてしまうのだろう。歴史を変えてはいけない、という認識は、「果てしなき~」の作中世界においても変わらず存在している。そうでなければ仲間は「そんなことをしたら」などと言わないだろう。
だけど、その言葉を振り切ってNは実行に移そうとする。実際にどうなったのか、それは本文には書かれていないのでわからない。
世界に満ちる「そんなことをしたら大変なことになるのではないか(実際は何が起きるのかわからないけど)」という見えない鎖を、Nは振り切ってみせたのだ。そして自分のやりたいことを行動に移し、結果として彼はNという個人の意識をアイに取り込まれ、その自我は消えてしまう。
何がやりたかったんだ、お前はどうしたかったんだ、と聞いてしまうのはナンセンスだと思う。Nは思いついた案を実行に移しただけだ。人類の発展というご立派な野望の発起点は、一人の男の「こうしたらどうなるんだろう、もしかしてこうなるんじゃないか?」という興味から始まっただけのことだった。

多分、Nの件の台詞が印象深いのは、彼のとんでもない行動力に私が感銘を受けたからではないか。
未来から過去へ、過去から未来へ、とんでもなくスケールのでかい時間的反復横跳びを繰り返す本作品において、とある誰かの咄嗟の興味が物語の歯車を先へ先へと回していく。それが私の心を掴んで離さない要因なのかもしれない。

歴史を変えて人類の進化、発展を促す。
何ともSFちっくでかっこいい響きだ。だけどそんなことをしていいのか? 私がこの言葉を向けられたら、色々と考えてしまうだろう。
それは歴史を変えるということがそう簡単に再現できることではなく、その影響がどのようなものなのか分からないので、取り返しがつかないことが起きたら大変だから、という保守的な思考からくる躊躇いなんだと思う。
だけど、もし「歴史を変える」という事象が「天候に合わせて服を変える」ぐらい気軽できることだったら?

Nがその発想に至った下地に、彼が追手から逃れるために時間跳躍を繰り返し、その時代の人間の文明に隠れていた、つまり多少なりとも歴史に介入してきたからというのがあるのではないか。自分の足で走るのと同じような感覚で時間を移動し、その時代に本来いないはずの人間として紛れ込む。そんなことを繰り返していくうちに、歴史を変える、ということが、彼にとっては我々が想像する以上にコストが低い行動になっていたのかもしれない。

歴史を変えても元の世界に影響はなく、「歴史上のとある部分で本来の歴史とは違う展開になった世界」が、並行世界の一つとして増えるだけだったら? そしてそれらの並行世界を、自分は自由に行き来して観察することが出来る能力を有していたら?

それってつまり、漫画アニメゲーム小説でよくある「パラレルワールド」の概念である。FGOとかこの概念を多用してるね。
更に言えば、原作を元の世界として、あの時点でこうだったら、実はこの人物達はこういう考えを持っていて、というIF要素を織り込み、元の世界とは違う世界を各自作り上げる、所謂二次創作という概念も、これによく似ている気がする。気がするだけかもしれないけど。

こうやって考えてみると、いざ「歴史を変えてみないか?」と言われたら、私は変えてみようかなと思ってしまうかもしれない。
過去に事件に当時知り得ないはずの情報を与えてみたらどうなる?
当時まだ存在しなかった道具の知識を持ち込んだらどうなる?
ここで当人二人が出会うことで起きてしまった事件に、自分も立ち会わせてみたらどうなる?
仲違いから争いに発展した二人の仲を取り持ってみたら? あるいはその逆は?
詳細不明とされている歴史的事件を、実際にこの目で見たらどうなる?

なんだか楽しくなってきた。時間跳躍が出来るのなら、私は絶対いろんなものを見に行くだろうし、その結果当時の歴史に影響を及ぼすような言動をとってしまうだろう。
かくして私も刀剣男士に斬られる可能性が出てきたわけだ。

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