Aroのきっかけを考える

わたしは生まれてから根っからのAroではなくてアロマンティックを自称しているだけといっても過言は無い。何故なら何が恋愛かわからないから。そんな中でも自分はAroかもしれないと思った時の事でも書いてみようかな、っていうのが今日のテーマ。備忘録……。

 まず定義っぽいものとして、私は異性愛者だという前提の上で

・付き合いたい
・手を繋ぎたい(粘膜接触はAce自認時点でNG)
・一緒に暮らしたい、過ごしたい

のが恋愛だと認識してる。

※Googleで恋愛定義と調べた時に一番最初に出てくるのはコレ。

恋愛とは、特定の相手に対し、性的欲求を含んだ信頼関係を持ち、お互いを特別で大切に思うこと、もしくはそういう関係になりたいと願うこと、それら一連の気持ちやそれに付随する行動などを指した概念。 恋愛に伴って発生する心理を「恋愛感情」とも言う。


 Aceは名前は知らなかったものの性欲が無い・向かないことは分かっていたからほぼ自認してた。"性欲を伴わない一緒にいたい欲 =好き"かなっておもった。(なんとなくだけどその時は友達とシェアハウスしたい気持ちと別にイメージできてた)ここまでが私の心の中で完結した話。

 その後悩んでる時期。簡単に言うと


恋愛嫌悪があることに気付いた……

→恋愛されたくない!恋愛対象になりたくない!という気持ちに変化(恋愛嫌悪の中にはリスロマがあったのではないかと思うけど、好きを返される必要を感じないのではなく"好意を向けられる"ことに嫌悪がある)。Ace当事者以外から好意を向けられることはつまり性的関係を求められるということであり、その恋愛のゴールや所々の道には性行為が必要条件だと思うから。


→自分主体であっても恋愛することに嫌悪感を持つ。興味ない人から向けられる好意だから嬉しくないのかな?と思ったけど、好きかもしれないと思った人でもちょっと嫌悪してしまった(恋じゃなくて推しの感情だったのは後ほど気づいた)。


→恋愛の必要性に疑問を持つ。


→そっか!したくないならしなくていいのか!
ってなったなあ。

 Ace界隈でも良いパートナーが見つかって、性行為は無くとも恋愛関係は結べるとおもってたしいつかは誰かとそういう関係になれると思ってた。けどそれに興味が無くなったことで、「恋愛できたらいいな」が実は深層的に「いつかは恋愛すべき・パートナーを見つけるべき」の刷り込みがされてることに気付いて、より一層したくないなぁと思った。意地の部分もあるかもしれないけれど。

 前述したけど好意を向けられたことがあって、その時お酒の力もあるけどボディタッチが多くて……。肩とか腰とか、友達関係だと思ってた時なら肩を組むのもお腹をチョンってつつくのも別段何にも思わないけど、私が苦手とする粘膜接触で無くても不快な思いをすることに気付いた。ここで好意を向けられていた(と感じられる言動があった)ことがトリガーになってるのかなんなのかはいまいちわからないけど、これも考えるための一つになったのは確かだなあ。

 今ではそういう人大体縁を切っちゃった。


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