こんにちは。

前回の投稿から時間がたったと思います。文章になっていないことを投稿するのはどうかと思いますが、友達の少ない僕にとっては本音をはける場所なので書き続けようと思います。
思ったことをただ書いていくので、指摘等はご勘弁いただけると幸いです。
今日新聞の社説に書いてあったことが私の考えと合っていたのでそこから思っていることを書こうと思います。
社説の内容はざっくり言うと以下の感じ。
「一生に一度あるかないかの自国開催のオリンピックであることには間違いない。こんな状況でもあるが、アスリートに敬意をもって応援し、盛り上げていただきたい。開催直前になってムードを下げようとするメディアもあるが、それはいかがなものか??」
うろ覚えですがこんな感じだったと思います。もちろん考え方は人それぞれで、コロナが広がるリスクもあり、危険ではないか。という意見もわかる。演出家が過去にしていた過ちは許されるものではない。というのもわかる。でももうやめることはできないわけです。規模が違いますが、もう開かれて、始まっている飲み会や忘年会で「何でこのかい開いたの??」みたいな雰囲気で飲んでいる感じがするのです。文化祭の学年合唱に真面目に参加してない。そんな感じを受けるのは僕だけですかね?何をやるにしてもリスクや誰かが苦労することは予想できる。それでも多くの人が楽しく、思い出に残ることも間違いではないはずです。もう開かれてるのだから楽しもうよ。そう思った祝日の朝でした。
さて、話は変わって仕事の話。外回りを初めて三週間。もう1ヶ月がたとうとしています。前に書いたように、一緒に働いている人は、自分のことを気にかけてくれません。何者にて、「もう自分と同じ目線で人生を見てくれる人はいないんだよ!」という台詞があった気がしますがまさにその通り、新入社員だからといって仕事がどれくらいできるか。どんな性格か真っ正面から受け止めてくれる人はいないわけです。結果を見て、できているかできていないか。それだけなのです。自分にとっては良い面悪い面があり、人に見られると緊張してうまくいかないという良い面もあれば、いざというときに頼れないという怖さもあるわけです。回りが見えないというのは、比べられてきた自分にとっては好都合ですが、その責任を終えるほど自分は、能力がない苦労があるわけです。
もう一つ、改めて、会社には、年齢というのは関係ないんだなと思います。どういうことかというと、僕の上司(外回りの係長)は、部長より年上なんです。完全に上下がついた関係。私も、部活をやっていたときは、後輩の方が上手いなんてことはざらにあるわけで、なれているつもりだったんですが、あの仕事もできて、人間としてもできる人が上司から信じられないくらいに怒鳴られるという光景をよく見ます。実力社会とは、改めて残酷だと思います。自分はどちらかというと弱者であることが多いので、どうしても負ける方を考えてしまう。他人を押し退けて上に上がることが信じられないわけです。出る杭は打たれるのが常ですから、毎日少しずつ出て行き「お前そんなに出てたっけ」となればすでに出た杭ですから、誰もなにも言わないので、私としては、しれっと出る杭になりたいと思います。

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