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2人目断乳の記録。

はじめに

先月、2人目の断乳をしました。0歳11ヶ月での断乳でした。
今回は授乳から断乳まで苦労が多く、母子ともに・心身ともに辛いことが色々ありましたが、今はようやく落ち着いてきたところです。
この苦労も数年経てば忘れてしまうと思います。数年後の私は別の困りごとでいっぱいいっぱいになっていることでしょう。
でも、産後の苦労を覚えているのは今だけ。まだ記憶が鮮明なうちに記録しておきたい…と思い、noteに残すことにしました。


断乳を決めた理由

下の子(娘)の保育園入園が6月1日からに決まったため、おのずと断乳タイミングが決定。娘は5月末に1歳の誕生日を迎えます。
入園が決まったということは、私の育休復帰が決まったということ。
私の仕事は月~金、朝から夕方まで出社です。
仕事をしながら母乳育児を続けるのは現実的ではありません(毎晩の夜間授乳、勤務中の搾乳、帰宅してから夕飯準備しながら授乳…)

また、下の子の授乳期間は全体を通して右乳の調子が悪く(詰まりやすくて何度も乳腺炎になったり慢性的に白斑の痛みに悩まされていた)2~3週おきに桶谷式の母乳マッサージに通ってメンテナンスをしていました。これが1回3500円程かかり(保険がきかない。医療費控除の対象にはなるようですが)授乳を続けている限りこの費用がかかり続けるのがなかなかの負担でした。

母乳はミルクと違ってお金がかからなくてラク?とんでもない。私のようにおっぱいのメンテナンスコストがかかる場合もあるし、母乳を作るために母体は常にエネルギーを消耗し、夜は眠れず、おっぱいが詰まらないよう常に授乳間隔(3~4時間)を中心に1日のスケジューリングをし…お金に代えられない労力がかかっているのです、母乳育児。

断乳スケジュールを立てる

上の子のときもそうでしたが、今回も桶谷式の助産院と相談しながら断乳を進めました。私は詰まりやすい体質だったこともあるので、下手に自己流で進めてまた乳腺炎などトラブルが起こるのが怖かったためです。

娘の保育園入園が6月1日からなので、約3週間前から断乳開始。断乳は初めの3日間が勝負だそうで、できればパパの協力も必要なので土日を含ませるように金曜日スタートとしました。この金・土・日は赤ちゃんのご機嫌をとったり全力でお世話すべき3日間だそう。しかし今回夫は金曜に仕事を休めなかったので、最終授乳日は私一人で対応することに。これが思いの外大変で…詳しくは後述。

カレンダーの、断乳スタート日と決めた日に「おっぱいバイバイ」とイラスト入りで記入し、約1週間前から生後11ヶ月の娘に「この日におっぱいバイバイするよ」と毎日カレンダーを指さしながら語りかけます。抱っこされた娘は私の真似をして一緒に指さしをしたりしていました。

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助産師さん曰く「その様子なら赤ちゃんもちゃんと分かってくれているよ」とのことでした。私は内心、‟こんな赤ちゃんに「あと○日後におっぱいが飲めなくなる」なんて未来のことを説明してもほとんど理解していないだろう”と思っていたのですが、この「おはなし」アクションは断乳開始を赤ちゃんに告げるとともに自分自身に言い聞かせる役割があるんだろうなと感じています。桶谷式の断乳は、絶つと決めたらスパッと絶つ。お母さん自信もそれなりの覚悟を決めなければなりません。

断乳スタート

「最後の授乳は午前中にしましょう」との指示だったので、朝は上の子の保育園送りなどドタバタしているため、上の子を送って帰宅してから穏やかな環境でゆっくり飲ませることにしました。

「これが最後のおっぱいだよ」

窓から5月の柔らかな日差しが降り注ぐリビングで、娘が心ゆくまで飲ませてあげます。乳首に白斑ができて吸われるのが痛くてつらかった日々、近くで上の子がギャーギャー騒ぐため集中して飲んでくれなかったこともあったし、40分も50分も寝ながら吸い続けた夜もあった。乳首を嚙まれたときは「もう早くおっぱいやめたい!」と思った。

そんなことを思い返しながら授乳をしていると、娘は満足そうな顔で飲みながら眠ってしまいました。本当は赤ちゃんが眠らずに意識のある状態で「最後のおっぱい」をあげた方がいいらしいのですが、この時の娘はなんとも幸せそうな表情に見えたので、「これが最後でいいかも」と思い、その姿を脳裏に焼き付けたのでした。

さてここからがメインイベント。最後の授乳の後、赤ちゃんに見られないようにこっそりと「儀式」の準備をします。それは”おっぱいに顔を書く”こと。左右の乳輪を黒く塗りつぶし2つの鼻に見立て、それぞれニコニコした顔に仕上げます。つまり胸に2つのスマイルフェイスが並んでいる状態。(怖い顔にするのではなく、必ず笑顔にするのが桶谷式らしい)
これは上の子のときにもやりましたが、乳に顔を描いた自分の姿を鏡で見ると「自分何やってるんだろ…」感は否めないです。

そして次の本来の授乳タイミングで赤ちゃんに見せます。娘は最後の授乳からひと眠りし、起きてお昼の離乳食を済ませた後にその「儀式」を行いました。ママの服をめくるとそこには、変わり果てた姿のおっぱい達―――。

「おっぱいは顔になっちゃったから、もう飲めないよ。バイバイなんだよ。」

この時の反応は赤ちゃんによって様々らしいです。うちの娘は、おっぱいを指さしながら大爆笑!始めはギャハギャハ言っていました。…しかし時間が経つにつれ「え、もしかしてこれ飲めないの?」と分かってきたようで、徐々に機嫌が悪くなり始め、ぐずり出しました。

そして私の服の首元を引っ張っておっぱいをチラッを見ては「やっぱり顔がある!!」と言わんばかりに泣く、を繰り返していました。ここから娘の機嫌の悪さは数日にわたり続くことになります。

この日の夜は離乳食もほとんど拒否、お水も飲んでくれませんでした。断乳前まではストローマグを見ると喜んでチュウチュウしてくれていたのに、今は手で押し返してくるように…。寝かしつけはいつもおっぱい必須でしたがそれももう使えず、結局抱っこしながら家の中をぐるぐる歩き回って落ち着かせ、この日はなんとか寝てくれました…(夜中は何度か起きたような起きていないような、私もこの日の夜は疲れていてうろ覚え)

断乳2日目~トラブル発生

断乳2日目の土曜日、娘は朝から機嫌が悪く、久々にお水は飲んでくれたものの朝食を拒否。午前中は外出予定があったため家族で出かけ、抱っこ紐にいる間はおとなしくしていました。昼前に帰宅し、午後から私1人で外出予定があったため子ども達は夫に託しました。娘は私がいなくなって間もなく寝てしまったそうで、昼食のタイミングを逃して2~3時間爆睡。この日は夕方と夜に少しだけ離乳食を食べました。このまま飲み食いをし続けないのも心配でしたが、実はこのとき娘は便秘4日目(断乳前からたまたまお通じが調子悪かった。珍しく)。水分だけは取ってほしいところ…。

断乳3日目の日曜日、もともと予定していたので朝一で桶谷式へ行き、「おっぱいの掃除」をしてもらいました。断乳はただ授乳をやめればいい訳ではなく、あげるのをやめてもしばらくは母乳が湧き続けるので、この時点でも6時間以上の間隔を空けながら自分で搾乳をしていました。(私はしばらく左右あわせて120ml以上搾れており、コップに軽く1杯の母乳を「勿体ないな…」と思いながら毎回流しに捨てていました。)
ただ、自分で搾るよりもプロに任せた方がどの乳腺もまんべんなくきれいに搾り取ってもらえるので、詰まりの不安はなく安心!―――のはずでした。

この日は昼過ぎからまた私1人で外出する予定があって、子ども達は夫に託して出かけました。帰宅は夕方だったので、朝の「おっぱいの掃除」から6時間ほど経った頃。左乳房の外側に怪しい痛みを感じ始めました。なんとなく発熱時のようなだるさがありましたが、この時点で検温してもまだ平熱。20時頃に搾乳をしました。

断乳4日目となる翌朝、左乳房の痛み・だるさがあり5時頃搾乳。検温すると微熱程度まで上がってきていました。助産師さんに相談メッセージを送ると、「今日すぐに来てください!」との指示あり。この日は平日でしたが、なぜか夫も体調不良だったので会社を休んでいました(なぜ妻が調子悪いときに一緒に調子悪くなる?)
そんな夫に娘を家で見ててもらいつつ、14時過ぎにいつもの助産院へ。着いた頃には38℃を超えていました。完全に乳腺炎でした。(これまでの経過や症状的に明らかに乳腺炎の発熱なので、コロナの疑いなしと判断されたうえで処置してもらいました)
乳腺炎などトラブルを避けるためにも専門家の指示のもと断乳を進めていたのに、まさかのトラブル発生…ベテランの助産師さんも「まさか(自分の指示どおり断乳を進めていたのに)こうなるとは思わなかった」と、想定外だったようです。

授乳していた頃から私は右おっぱいに白斑や痛みが起こりがちで、左はいつも順調で母乳の出も好調。しかし断乳で搾乳間隔が空いたことで、その出の良さが仇となったのでしょうか。岩のように硬化した左乳房は、助産師さんの手技によりなんとか柔らかく戻りました。抗生剤を飲んだ方が良い、と言われ、処方箋を出してくれる病院を紹介してもらい(ここの助産院は医療機関ではないので処方箋や薬は出してもらえない)、熱でフラフラになりながらなんとか抗生剤をゲットしてきました。

ちなみにこの日の夕方帰宅すると、ちょうど泣きわめく娘のおむつ替えをしていた夫。「娘ちゃん、久々にうんちがでたよー!」と嬉々として報告してきました。実に6日ぶりのお通じ、断乳による水分不足もあってかかなり出にくかったようですが、泣き苦しみながら頑張って出していたようです。「まるで出産に立ち会っているようだった」と夫は語っていました。その後は便秘になることはなくなったのですが、しばらくは慣れない硬めの便を出すたびに泣いていました。

断乳5日目となる翌日。熱はすっかり下がったものの、まだ左乳房が痛みます。この日も母乳マッサージへ。おっぱいが痛い時の母乳マッサージ程つらいものはありません。陣痛も痛かったけど、ドロドロ母乳が乳腺を通るときの痛みというのは何に例えたら伝わるものか…「マッサージ」などという生ぬるい言葉では表現しきれません。「手術」とか「工事」ぐらいの仰々しさがあってもいいくらい。
一方、断乳直後から飲食ボイコット気味だった娘は徐々に食欲を取り戻し、食べ終わって空になったお皿を見ると泣くようになりました。断乳直後はずっと機嫌が悪く、ママの顔を見ても笑ってくれない(これが地味につらい)日々でしたが、少しずつ笑顔も戻ってきました。夜間は2~3度起きて泣いていたけれど、添い寝し直すと比較的すんなり寝てくれました。

断乳6日目、おっぱいの痛みはほぼひきました。1日2回、朝晩に搾乳。徐々に透明の母乳も出るように。右はあまり張らなくなってきたけれど、左がまだまだ現役バリバリという感じ…1人目のときはもっとすんなり落ち着いていったのにな。というか、1人目の断乳は何のトラブルもなく、息子もこんなに機嫌が悪い日々が続いた記憶もないんだけど…1人目と2人目、何かと勝手が違う。
娘はまだ機嫌が悪いことが多く、ぐずらないにしてもムスッと黙ってごろ寝していることも。今までそんな転がり方してたことなかったけどなぁ…。母乳をやめて便が硬くなり出にくくなった不快感なども関係しているのかも。昼寝時はなかなか寝付いてくれず、夜も不機嫌だったものの添い寝でわりとストンと寝てくれました。

断乳1週間~少しずつリズムができる

7日目、やっぱり終日機嫌が悪い。お昼寝も寝付くのに40分以上かかったのに眠りが浅くてすぐ起きてしまう。家事やタスクが色々あるのに、娘がそんな状況なので何もできなかった私…。
この日も桶谷式でおっぱいのメンテをしてもらいました。断乳後なので搾りきるために1時間半ほどかかるのですが、一緒に来ていた娘もその間ずうううぅぅぅぅぅっと怪獣のように泣き続けていました(もう何度もここに来ているのに、一向に慣れてくれない)。
1日中赤ちゃんの泣き声を聞き続けているとこちらも流石に気が滅入ってきます。上の子に対しても朝晩怒りが爆発するなど、精神不安定な状態でした。

しかし1週間を過ぎてからは、機嫌のいい時間がちょっとずつ増えてきました。離乳食をよく欲しがるようになり、毎回お食事イスに座らせた瞬間「アイッ」と手を合わせ(いただきますのポーズ)テーブルをばんばん叩いて次の一口を要求。特に昼と夜は満腹中枢が機能しているか心配なくらい食べる食べる。気になっていた便通も、相変わらず出すとき少し苦戦しつつも1日3回出る日も。夜は1度寝たら朝までぐっすりになってきました!1人目の時もそうでしたが、断乳すると赤ちゃんは一晩通して寝るようになるんですよね…不思議。お陰様で私もこの頃から早起きをして朝活(ヨガをしたり、こうしてnoteを書いたり)できるようになり始めました。授乳中は細切れ睡眠だったり朝方の授乳があったりで朝活の余裕がなかったのです…
この頃は1日1回程度の搾乳で大丈夫になってきましたが、まだまだ湧きます。母乳すごいな。

2週間経つ頃の夜、寝かしつける時に娘がぐずっていたのですが、半袖を着ていた私のぷにぷにの二の腕に顔が触れた時にふと泣き止み、顔を左右に小刻みに動かし口でハムハムするしぐさをしていました。これはおっぱいを探す時の動きだ…!その後娘はストンと眠りに落ちました。断乳から2週間経っても、やっぱりおっぱいを思い出しちゃったのかな。おっぱいを彷彿とさせるような二の腕でごめんよ。

おわりに

この「おわりに」を書いている現時点で、断乳から3週間が経過。娘はつい数日前に1歳の誕生日を迎え、慣らし保育が始まりました。私の母乳は完全には止まっていないものの張ってくることはなくなり、搾れば少し出る程度までなりました。授乳最盛期は常にお腹が空いていて、早朝や寝る前にも何か食べて、それでもすぐエネルギーに換えられていっていましたが、今はあの頃に比べたら食欲も落ち着いてきました(…体感として。)

断乳して3日くらいまで、寝かしつけ時や夜間目覚めてしまった時の娘は「添い寝だけじゃ足りないんだよ!おっぱい出せよおおおお」と言わんばかりに泣きわめいていましたが、4日目くらいから布団の上で黙って天井を見つめ「どうせおっぱいくれないんでしょ…」とでも思っているようでした。そんな表情の娘は今まで見たことがなく、泣かれる以上に胸が締め付けられました。

産まれた直後から今までずっと当たり前のように寄り添っていた、食料であり心の安らぎアイテムでもあるおっぱいとの突然の別れ。それでも、もう娘はちゃんとご飯をもりもり食べ、最近はむしろ食のこだわりが出てきて(お粥状のものを嫌い、おやきなど手で掴めるものしか食べなくなった)もうおっぱいがなくても大丈夫。力強く生きています。娘はちょっとだけ、大人の階段を登ったように見えました。

おっぱい卒業のタイミングは人それぞれです。私は娘への授乳期間の中で最もおっぱいコンディションが好調な時に、仕事復帰を見据えてやむを得ず断乳することになり、正直勿体ないタイミングでした。
しかし…断乳したらしたで夜も眠れるし、朝活もできる、ずっと授乳間隔のこと考えなくていい、カフェでカフェインを気にせず飲み物を注文できる、お酒も飲める、おっぱいトラブルの恐怖からの解放、おっぱいを噛まれる恐怖からの解放…卒乳により多くの自由を手に入れました。
今までこんなに制限がある中で、私はよく頑張った。断乳、乗り越えてよかったです。おっぱいがなくたって親子の絆は強くできる。これからもたくさん娘に愛情を注ぎたいと思います。

最後に、私の断乳体験談をここまでお読みいただきありがとうございました。

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