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WEST.が、遂にCDデビューから10周年を迎えた。


わたしが出会ったのは2014年の冬、
デビューからちょうど8ヶ月のころだとおもう。

高校で新しくできた友達4人とカラオケに行った時に
当時関西ジャニーズJr.の平野紫耀が好きだった子が、歌ってくれたのがジャニーズWESTの「ジパングおおきに大作戦」だった。


合いの手、コールアンドレスポンスがめちゃくちゃ楽しい曲で、カラオケはその日1番の盛り上がりだった。

その友達は歌がめちゃくちゃ上手いとかメンバーのモノマネができるとかそういうのでもなんでもないのだけれど、ひたすら楽しそうに歌って煽ってくる感じがすごく楽しくて。

なにより、小1〜小4頃まで大好きだった関ジャニ∞を彷彿する曲調と関西魂に心が震えた。
懐かしい、すごい、たのしい。


本人映像で歌唱された「ジパングおおきに大作戦」は、よく見ると、関ジャニ∞のLiveで見た「エイトレンジャー」というコントに出てくる「BAD団」の人が映っていた。

「えっ、これBAD団の人?すごい、えっ、デビューしたんや?え…!すごい…!おめでとう…!」

気がついたら泣いていた。


いや、デビューから8ヶ月経っとるねん。
なんで知らんねん。

ジャニーズに興味がない人種だった私でも、WESTより先にデビューしたSexyZoneやKis-My-Ft2の存在は知っていた。(メンバーも分かる程度に)

それなのに、仮にも関西のジャニーズが過去好きだった私が、ジャニーズWESTのデビューを認知していないわけが無いのに、全く知らなかったことに驚き、納得する。

それぐらい、冷遇されていたんだよなあ。と。

冷遇されていたといっても、先輩のバーターとして様々な場所に出ていたジャニーズWESTは、そのチャンスを逃さないようにして、こうして僅かな人の記憶に残って、再び巡り会える日を待っていたのだと思う。


BAD団はどうやら「B.A.D.」という名前で活動していたらしく、私が覚えていたのは桐山照史のお顔だった。
隣を見ると、母が好きだった“唇の子”もいた。
(たらこ唇の母は、たらこ唇の子に目がない)

MVをよく見ると「ごめんね青春!」に出ていた“海老沢くん”もいる。海老沢くん、好きだったんだよなあ。

わたしはそれ以降、ジャニーズWESTが出るよと聞いた歌番組や、バラエティを録画して見るようになった。

誰推し!とかはまだ決められなかったけれど、笑顔に惹かれたため、海老沢くん改め重岡大毅が好きだなと思った。

それがはじまりで、そこからは早かった。


面白くて、仲が良い。

全員関西で、大阪が3人で兵庫が4人か。
A型が3人、O型が2人、B型とAB型が1人ずつか。
誕生日が7/1、7/30、8/18、8/26、8/31、10/21、12/19か。

グループの個人情報なんて普段(今も)全く覚えられないのに、何故かジャニーズWESTだけはすぐに覚えた。

歌も上手いんだなあ。
面白いのに、カッコいい曲のギャップがすごいな。
良い曲多いなあ、ジュニア時代の曲か。

面白くて、仲が良くて、みんな可愛いなあ。


気がついたらどんどんのめり込んでいて、
そのうち母と妹も、気がついた時には一緒にテレビを見ていて。
CDショップを回って過去のアルバムとシングルと、
ライブDVDを買って。
デビュー時の色々あったことを知って涙して、
デビュー前のドラマのDVDとかも買って、
24時間のうち起きてる時間はすべてジャニーズWESTだった。
(主に母が、もう気づいたら昔のドラマとかたくさん用意してくれていて、笑っちゃうぐらい急速にのめり込んだ)

カラオケであの日ジパングおおきに大作戦を歌ってくれた友達とは高校2年でクラスが離れてしまったけど、
私が急速にジャニーズWESTにのめり込んだ高校2年の夏休み明け、それはそれは、とても驚かれた。



人前でにっこり笑うことが苦手だった私は、重岡大毅の笑顔に憧れて意識的に笑うようになった。

なにかに感動して涙することが少なかった私は、ジャニーズWESTが絡むことになるとよく泣くようになった。(悲しい涙ではなく、嬉しかったり感動したりの涙ばかりだった)


はじめは自分の生活に新しい潤いをくれたジャニーズWESTだったけれど、知れば知るほど7人に尊敬の気持ちが強まり、未熟な自分の大きな指針になった。


デビュー以降、5年間ぐらいのことを淳太くんは“凪の時代”と語った。一部のファンはそれを聞いて荒れていた。

だけどやっぱりわたしもあの頃は“凪の時代”だったと思う。
デビュー後華やかにさまざまな場所で活躍する同じ事務所の他のグループを見て、正直なところ、悔しかった。


大型歌番組で1番初めに出演してあまり人目に触れてもらえずコメントもできずにそのまま終わったこと。
個人はおろかグループのCMも全然多くはもらえなかったこと。
バラエティ力が魅力なのに関西ローカルばかりに出て全国ネットに出れなかったこと。
MVに力を入れてもらえず衣装が500円だったこと。(その衣装を見て私は好きになったんだけどね)
自分たちはデビュー日がオフだったのに後輩たちは1日中テレビに引っ張りだこだったこと。
デビュー曲で華々しく提供曲を貰ったりあらゆる場所で曲が流れている後輩がいること。
同じ番組に出ている筈なのに自分たちだけとても過酷なロケをさせられて番組からいやな編集をされたこと。
デビューから1年以上経ってもファンクラブができなかったのは今でも衝撃だ。

思い出しきれない程たくさんの思いがあった。

淳太くんは、特に、ドラマや映画に出ずにバラエティや情報番組に生放送・収録関係なく沢山出ていた。
といっても関西ローカルが多くて、とてもとても忙しいのに何をやっても反響が少ない、きっともどかしさを沢山感じていたと思う。

ちちんぷいぷいは毎週出て、さまざまな職業を実際に体験しに行ったりしてたよね。
何年かして淳太くんの大好きな動物に触れ合うコーナーに変わったけれど、どれもこれも淳太くんの素敵な人柄が出ていて、本当に大好きだったな。

どんなに強面で厳しそうで、正直テレビなんて...という風に見える職人さんたちも、淳太くんの真面目さや決して器用ではないけれど真っ直ぐさに共感して、いつも感心してくださっていて。

誇らしかったし、淳太くんが素敵な人だからスタッフさんも素敵な人たちで、関わる人みんな素敵な人たちなんだろうと思ったなあ。

だから、決して華やかな道が用意されていたわけではなかったけれど、
メンバー同士も同じく、みんなが素敵で、みんなの駄目なところだってみんなで笑いながら、ドーナツの穴が空いてようと、それでもまあええやん!な気持ちで。

一緒にいて“7人で楽しく笑って過ごすこと”を第一に考えていることが、眩しくてキラキラして、青春だと思った。
それが、WESTの1番の魅力。



10周年、私にとっては9年間
楽しい思い出しかなくて、これからもきっとそうだと思う。
はじめはMステで喋る時間をもらえただけで家族で大騒ぎだったし、生放送で歌唱するときは決まってトラブルが起きていたからいつも手に汗握っていた。
バーターじゃないドラマや舞台の出演が決まった時は嬉しくて泣いたし、主演ドラマに座長の舞台が決まった日や、名だたる名優たちにお褒めの言葉をもらった日は自分のことのように嬉しかった。


ジャニーズWESTは、WEST.は、
私にとってとても尊敬できる7人で指針で、
リア恋だとかそうじゃないとか、誰担とか、
そういう言葉で括れるような存在じゃなくて。

強いて言うなら、“7人の孫”だと思っている。

もう、何をしてても可愛いし何をしてても愛おしい!
こうなってほしいな〜ぐらいの理想はあるけど
育ててる!という感覚まではなくて。
もちろんコントロールしたい!という気持ちもなくて。
ひたすらに見守り続けたい、ただそれだけです。

今日という日を迎えられることを本当に嬉しく思う。
誰1人欠けないで、なんて今の時代本当に奇跡だと思う。
数あるグループにはそれぞれの想いとストーリーがあるから“誰1人欠けないで10周年を迎える”ということが絶対正義だとは微塵も思わない。

だけど私はただひたすらに、感謝したい。
10年前、7人でいることを諦めないでくれてありがとう。
10年間、7人で過ごす奇跡を見せてくれてありがとう。
ずっと尊敬できるみんなでいてくれたことありがとう。



これからもずっと、笑っていてほしい。
願わくば、一緒に笑わせてほしい。



2024年4月23日

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