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感謝の価値が「お金」の価値より高くなったら…【政治編】

もしも「感謝」の価値が「お金」の価値より高くなったら…

という記事を書きましたが今回はそれの政治編。

政治とお金って密接なつながりがあるというか
むしろぐちゃぐちゃに黒いイメージしかありません。
そんな「政治とカネ」問題を
「感謝」の価値に置き換えて
政治の世界はどのように変わるのか妄想してみました。

前回の記事


一番の争点となるのは選挙ですね。
選挙=お金
本来政治家は国民のために仕事をするべきなのに
選挙のために仕事をしていると思えるくらいの破滅構造になっています。
新たに事務所や車を借りたり、
人を雇う人件費に数千万円のお金がかかると言われていますが
選挙が無くなれば
まずそんなムダなお金が必要なくなります。

そもそも「選挙活動費」って意味がわからん。
そんな言葉、文字すらこの世から消えればいいとすら思う。

国民からすれば選挙活動なんてどうでもよくて
政策活動の方がよっぽど関心があるわけです。
(選挙によって政治家を選ぶという概念は一旦横に置いておいて…)


当選することが大事じゃなくて当選した後の方が大事じゃないすか。
なのに何でその選挙に対して費用が出るわけ?

国民はみんなそう思っているはずです。



なので、

選挙活動 = 感謝される行動

とシンプルな構造にしてしまえば
そこにお金という不透明な価値観をぶっこむ必要すらありません。

時に政治家の優秀さとは「政治資金を集める能力」ともいわれ
大口の献金を企業などに求め癒着へと繋がって行った歴史もあります。

だから
「法的に問題ないので我々のお金の流れはクリーンです。」

って言われても、素直に信じられるわけないですやん。
そんなん抜け道でなんとでもなりますやん。

…ってか上手い事やってるんでしょどうせって感じ。
誰も信じちゃいないんですよ。
だって過去を振り返ってもどれだけ不正しているんですかって話。


ですが感謝経済になればコソコソやる必要なんてなくなります。

別に「名乗るほどのモノでございません」って
人知れず良い行いをしてもいいですけど
もしそういう世の中になったら堂々と
「私はこんな活動してます!」って言い散らかすんでしょうけど。
でもそれはそれでいいです。
だってそれが直接選挙活動になりますので。
いい行いをしている私を見て~って有権者にアピールしちゃってください。

むしろ「今週の感謝ポイント」って言って公表してもいいと思います。

隠し資産のようにコソコソ資産を隠す必要もないし
堂々と自分の感謝ポイントを公開しちゃってください。

そっちの方がよっぽど透明性があると思いますよ。
むしろ逆に
「隠し感謝ポイント」があった方がカッコイイですわ。


「速報です!○○議員に隠し感謝ポイント発覚!」

「なんで隠してたんですか?説明責任があるんじゃないでしょうか?」

「い、いや別に…そんな当たり前のことしただけなんで隠してたとか…」


なんとも平和な話題じゃないですか。


あとは
特に正論のように論じられる「政治にはお金がかかる論」


百歩譲って政治活動にめっちゃお金がかかるのは分かったとして
お金がかかるその理由が

「政治家の第一の仕事は、国や地方をよくするために働くことですから、
自分の活動資金を自分で稼ぐ時間がありません。
そのため、活動を支援してくださる方や国・地方公共団体から
活動資金を援助してもらって活動を成り立たせています。」

とあるんですけど
自分で稼ぐ時間がないってどういう言い訳?

それってみんなそうですよ。
サラリーマンで副業したくてもできない人もいるし
子育てで手が離せなくて稼ぐ時間がない人なんて山ほどいます。

びっくりする言い訳だと思いますが…。

そもそも支援してもらおうなんて発想がとんでもない。

お金がないと国の働きができないなんて思考もどうかしてる。

感謝ポイントに置き換えると
「感謝ポイントがないから働かない」と言ってるのと同じ。

なんなんこのニート的発想…。

いやいや…
感謝されることをするから感謝ポイントが貯まるわけで
目的と手段が完全におかしなことになってません?。

政治家のみなさんも感謝される行動をしてみなさいよ。
そしたらおそらくお金がどこからか集まってきますから。

自分で稼げないってある意味、
「それだけの能力しかありません」って言ってるようなものだと思います。
これって無能を曝け出しているだけなんで
とても恥ずかしいと思いますけどね。

政治とお金を切り離すって言う前に
まずはお金の価値ってなんなのかを
考えるところから始めた方が良いのでは…?


ありがとうございます!お気持ちは寄付させていただきます。