見出し画像

平成の傍観者に贈る追悼プレイリスト・恋愛編

 人生の当事者であり続けることは常に私たちにとって難問だが、恋愛においてはこと難しい。
 この文章とプレイリストは、平成の間うまく恋愛の当事者で居続けられなかった者が贈る傍観者へのレクイエムである。平成に傍観者的態度を捨て置いて去りたい私と、私のような人のために綴りたい。文章の合間に曲を挿入してあるので、聴きながら楽しんで貰えたら本望です。

I.

 人間が好きだ。
 人間の容姿、表情、立ち居振る舞いからことば、思想信条、生き方まで、全てを見ることが好きだ。人間と関わって生まれる唯一無二の関係性、愛しい団欒の時間、自分の中から溢れる感情、そして他人の感情に触れる瞬間が好きだ。そんな人間である自分を分析し言葉にすることや、他人を知ろうと努めることが好きだ。大切に想っている人たちや大切に想っていた人たち、二度と会いたくないと思った人、そう思われているであろう人、人生が交差した人していない人、これから会う人死ぬ迄会うことのない人、全ての人間が地続きのこの大地、海を飛び越えた先の大陸、無数の島々で何十億人と生きている事実、そしてこれまで何千億と生死をこなした人間が存在した事実がこの上なく好きだ。

 全員を大切にしたいと思う。私と関わることを選んでくれた人たちにどうセンキューと伝えるか、何を与えられるかを考える、という言葉をくれたのは、大好きなイラストレーターだった。それを生き方の指針とした日からおよそ三年。誰かに何かを与えられているなんて思わない。与えてもらってばっかりだ。傷つけたことも失望されたこともあった。それでも、一人ひとりに対して真剣に向き合うことはやめなかったつもりだ。
 人間は多面体で、当然好きになれる面なれない面を包含している、と書いたことがある。ところが、ある程度の時間関わり続けると、好きになれない面までまとめて愛おしくなることがままある。自分や人間のこういった矛盾も私は好きだ。いつまでも人間に魅了されるのは、人間がどこまでも非論理的だからなのだと思う。私にとっては論理的にものごとを読み解くのと同じだけ、論理で理解できないものと出会うことも喜びなのだ。まるでジェットコースターで夜の遊園地を駆け抜けるかのような、ネオン輝く虹色のメリーゴーランドに乗り込むような。

1. 真夜中遊園地 / チャットモンチー 人生で一番キャッチーな曲。大好きな人たちと会うときはこんな気持ちになる。加速する人生を最期の瞬間まで遊ぶように生きていけたらいい。

 出会う人関わる人はみんな大切で、誰もが私に何かを与えてくれる。だが、稀に、あまりにも強烈に与えられることがある。
 私は一目惚れ体質だ。最初に目があったそのときに、脳内が真っ白になるようなきらめきを感じたらもう手遅れで、自分の理性では手の施しようがない。その人の見た目も、言葉も、思想も、生き様も、全てが強く私に影響して、動悸から憧憬の念から新しい生き方まで全てを私に与える。確固たる軸だと思っていた自分の内面ががらがらと崩れ落ちて私はまっさらになる。自分に自信がないのではない、自信を持って築いてきた自分の内面がその人を前にするとまるで更地になってしまうのだ。論理で構成してきた自分が、非論理的な感情の濁流にぶち壊される。そして壊されたはずなのに、それが嬉しくて仕方ない。
 たぶん、これを恋、と呼ぶんだと思うし、これが恋じゃないのなら、この世に恋なんてものは存在しない。

2. Mystery of Love / Sufjan Steven  ラブソングといえば。Call me by your name(邦題:君の名前で僕を呼んで)観て下さい。世界一美しい恋愛映画です。

II.

 ちょっとプライベートな話をするので、どうでもいい人はⅢまで飛んで頂いてかまわない。
 私にとっては全ての人間との出会いが何かを与えてくれるもので、そのうち時たま他と比べ物にならない強烈な彗星が心臓に直撃してくることを恋と呼んでいる。
 あまりまどろっこしくても良くないので直接的に書くと、私にとって、人間の性別は恋に落ちるか落ちないかにほぼ影響しない要素だ。という気づきを今朝得た。というか、分かっていたけどようやく腑に落ちた。
 男と女を好きになる可能性がある、というバイセクシュアルに対して、性別は関係ない、という立場をパンセクシュアルと呼ぶ。名前なんて何でもいいけれど、どちらかと言えば後者寄りだと自覚している。
 ただ、パンセクシュアルに対する説明としてよくある「誰とでも恋に落ちる」というのは何だか私自身とは大分違う。性別があまり重要でないというだけで、私の好意には恐らく無意識に諸要素が影響している。過去を振り返ると、大概は表明する思想や生き様、それが滲み出る容姿か言葉に耽溺しているように思う。
 性別に関して「あまり」と含みを持たせているのは、まず女性である私に恋愛的な興味を示すのが基本的に男性であるという事実のため。ただ最近、この人は私に興味があるから、という理由で交際を視野に入れるのは、個人的にはなんだか本末転倒であることに気がついた。相手の自分に対する興味を知覚してから始める関係は、私にとっての恋ではないからだ。そして言わずもがな、交際しなくたって他者を大切にすることはできる。

 これまでずっと、自分はもしかしてビアンなのか、バイなのか、はたまた女性を好きになることがあるのは気の迷いなのか、ぐるぐるぐるぐるしていたが、順番が逆だったのだ。男性だから女性だから好きになるのではなく、基盤として人間が好きで、その中で特別好きになる人間が稀にいる。その人は男性かもしれないし女性かもしれないし、どちらでもないかも。こんなシンプルな話だったのだ。このプロセスを自覚できたのが嬉しくてたまらないし、相談に乗りつづけてくれた友人たちには頭が上がらない。人間の内面の美しさをそのままbeautifulで表現できる英語は素敵な言語だなと思う。本当にビューティフルで素敵な友人たちに囲まれて生きている。

3. Born this way / Lady Gaga 言わずと知れたいわゆるレインボーな曲だが、笑えるくらいシンプルに元気が出て良い。マイノリティを自覚し始める前から力をもらってた。Gleeバージョンが好き。

Ⅲ.

 さて、以上を読んでお察しかと思うが、私は今恋をしている、それも強烈に。
 どんな人か説明するのは控えるが、過去にツイッターを見てくれていた友人がもしいたとしたら、このことで間違いない。

 関わりがなかったと言えば嘘になるが数ヶ月前に数回遊んだ程度のもので、それなのに今なお私はその人が存在しているという事実に文字通り毎日毎時間影響を受けて生きている。
 私は私の恋の定義の弱いところをよく知っている。私の恋において、その人との関係の深度は重要ではない。一方的に相手の影響を非常に強く受けて、ひとりでその大きい感情に振り回される、すごく自分勝手なものだ。自分の想像によるところだって当然あるずいぶんと独りよがりな片思い。それなのにじたばたと転げ落ちて、恋する私は側から見たらひとりで無様に踊るピエロのようなもんだろう。
 ただ、自分がいかに醜くダサく見えていようとそれはもうどうでもいい。片思いをしているときは世界の全てが桃色のスパークリングワインみたいにしゅわしゅわ輝いて見えるし、相手の影響を受けて自分が客観的に見ても良い方向に進歩する傾向があることもわかっているからだ。

4. LOVEずっきゅん / 相対性理論 感性で聴く曲。薄桃色の炭酸がぱちぱち弾ける感じがする。これはワインよりサイダーって感じ。やくしまるえつこの声ってなんでこんな夏っぽいんだろ。

 問題は強烈に好きな相手との関係の構築がこの上なく不得手であるということ。
 一般的に「恋愛」という言葉を用いるとき、大概は私のいう恋ではなくて、こちらを指すことが多いのじゃないだろうか。つまり、好き同士が継続的に関係性を築いていこうと努めること。だからこそ、恋愛という言葉は綺麗な甘い響きをしているにも関わらず、蓋を開けると忍耐力、論理的思考力、互いが納得するまで議論を続けられる思考体力など、この上なく現実的な意味を孕んでいる。
 しばしば、その好きな人と付き合いたいとか思わないの、と聞かれるが、実はあんまり思わない。
 恋をすると相手と関わりを持ちたいと思うのが人間の性だ。でも、私は臆病なので、自分の存在が相手に負の感情をわずかでも与えたら、と考えるし、自分を崩されることに喜びを覚える反面、これ以上壊されたらどうしよう、と恐れも抱く。なぜなら、私の内面は私が相手に与えられる「何か」の唯一の根源であって、それが完全に崩されてしまったら私はもう相手に何も差し出せない、もぬけの殻になってしまう、関わりを持てても享受するだけになってしまう、それが怖くて仕方がない。

 少し逸れるが、私みたいな人多いんじゃないかなと思う。
 液晶の中で他人をコンテンツとして消費することにあまりにも慣れた平成の世に生きる私たちは、目の前にいる人間に対する耐性がどんどん下がってきている。感情を持つ人間として他人を捉えることに慣れていない人が相当数いる。ツイッターの向こうの人には目も当てられない攻撃文を送れるのに、現実では建設的に他人と議論ができない人。AVに感化されて現実でも暴力のようなセックスを試みる人。
 コンテンツ化した他人にお熱になる経験を積みすぎて、現実で惚れた相手とのコミュニケーションに壁を感じる私もそのひとりだ。
 ふたりぼっちに慣れようか、なりたいな、と聴きながら育ったはずなのに、そう歌うえっちゃんを可愛いと感じていたはずなのに、いつの間にか一番遠いところに来てしまった。ふたりになるのが一番怖い。
 ただ、それを覆す、というか覆さなければならないと自覚する出来事があった。

5. 恋の煙 / チャットモンチー 一番可愛いなと思うラブソングだけど、共感できたことは一回もない。ふたりで堕ちていく恋なんて私にとっては幻想だ。だからこそ可愛いし大好き。

Ⅳ.

 先週、祖父と叔母が相次いで亡くなった。祖父の訃報で帰省して、丸一日の日本滞在中に入院していた叔母を見舞い、彼女の命はそれから四日しかもたなかった。
 私は彼らとお世辞にも良い関係を築いていたとは言えなかった。父方は堅苦しい家柄で、どう接したら良いか分からず終いだった。
 それを後悔している自分から目を逸らすことは簡単だったと思う。私ひとりが歩み寄ったくらいであの家の何が変わったかなんて分からない。ただ、絶対にこの後悔をくりかえしたくないと思ったのだ。相手が私との関係を阻んでいるならまた別だが、我々は互いに親戚で、年に数回は会ってご飯を食べる仲で、好意的な気持ちがなかったわけではないはずなのに、それでも私は二人のことを何も知らない。

 ところで、その帰省の28時間のうち1時間をマッサージに使った。16時間のフライトで体がすっかりダメになってしまい、マッサージ屋に駆け込まざるを得なかったのである。出てきた丸顔でひょろっとした担当のお兄さんは見るからに優しそうで、案の定施術中も話が弾み、自然と矛先は留学のほうに向いた。
 本当に楽しいんですよ、とうつ伏せのまま口角を上げて言うと、
「え、楽しいって言い切れるのすごくないですか?」
と戸惑ったように感心してくれて、しんどいことも含めて面白くて楽しいんだ、とずいぶん気分良く語らせてくれた。
 帰り際のこと。彼は突然、「ぼく、実は今日で最後で。」と言い始めた。
「マッサージ屋って、疲れた人が来るんですよ。まあ、そういう人って愚痴を言いたいじゃないですか。で、ぼくもいつもお客さんの職場だったり家庭だったりの辛い話を聞いているので、今日はなんだか、この仕事の最後にすごく楽しい話が聞けて本当に良かった。」
 彼はお店の外までわざわざ来てくれて、私たちは互いにお元気で、と言って別れた。
 帰りの道を歩きながら考えた。血の繋がりもあり、20年関わり続けたにも拘らず、結局何ひとつ知ることのできなかった祖父と、ほとんどの確率でもう一生会わないマッサージ屋のお兄さん、絶対後者との関係性のほうが希少で大切だと。たとえいくら刹那的でも、私たちはあの一瞬に互いの心の繋がりを感じたわけで、こういう煌めきを何回持つことができるかどうかが、人生の密度なのではないかと。
 だって、生は残酷なまでに刹那的だ。九日前、「詩織ちゃん、中東とか行っちゃって冒険してるらしいじゃん」と数年ぶりに私に対して軽口を叩いてくれた叔母は、もうこの世に居ない。
 死は生の終点を示す言葉でしかないが、私たちは自らがその瞬間を迎えるまでその概念を克服することができない。
 だとしたら、私たちはいつ終点が訪れるか分からない生に寄り添う以外に他人に愛を伝達する方法を持っていないことになる。

5. 猫とアレルギー / きのこ帝国 ほんのすこしの勇気があれば後悔しなくて済んだのでしょうかってこんな声で歌ってくれるなら、後悔するのも悪くないかも。いやごめん、それはうそ。

Ⅴ.

 愛は祈りだ、ぼくは祈る、から始まる某小説が好きで、日本にいた頃は、近所の神社で大切な人たちの幸せを祈って二礼二拍一礼するのが日課だった。直接好意を伝えることだけが正義ではないことを知ってから、愛情の昇華方法として祈りを学んだ。祈りはそのまま、私の中で死んでいく莫大な量の愛情への追悼でもあった。
 強烈に存在を否定されたときに、私は、自分の愛情を相手に伝える行為に対して論理的に理由付けをすることができなかった。それまで疑うことなく行ってきた行為が、論理が付着していない、つまり余りにも自分勝手な振る舞いであったことを思い知り、私はそれを行うことをやめた。溢れ出てきて収拾のつかない感情を直にぶつけることができなくなったし、そうすべきではないと思った。
 代わりに感情を体内に押し込めることをし続けた。本来収まり切らず吐き出さないといけないはずのものだったわけなので、当然ある程度臓器が犠牲になった。呑み過ぎたお酒は吐かないと急性アルコール中毒で死んでしまう。それでも、他人の心に傷をつけるよりマシだった。

6. [A]ddiction / EVO+  こんな恋に憧れていたんだと思う。久しぶりに聴いたらもうすぐ1000万再生でびっくりした。脳髄擦り切れるほどカッコいいので聴いてほしい。
7. S.S. / パスピエ このキャッチーなとびっきりの世界観で背中押してくれるの、好き。昔バンドでカバーしたけどまともに歌えてなかっただろうな。

 引き換えに、論理という背骨を持った私は強くなった。論理的に考えるのも得意になった、必要に迫られたから。独占欲を筆頭とする論理付けできない感情は抱けないし、抱かなくなった。代わりに、恋以外の適切な好意を理性で選択した言葉で伝えるのが得意になった。そんなポジティブな言葉を紡ぐ、でも合理的な芯を持った私を、昔より随分多くの人が好意的に見てくれるようになった。たまに思い出す強烈な恋情はこっそり文字通りの祈りとして吐き出した。

 もう救いはいらないと思ってた。私が救いの糸を垂らす側なのだと思ってた。論理を積み重ねた末の境地で、本能的に此処が正解であると理解していた。自分勝手な好意を他者に伝えることを放棄した私は、ほぼすべての煩悩から解放されていた。これが大人になるってことだと思っていたし、実際間違っていないと思っている。この境地に居座り続ける人が大人ヅラしてのさばっているんだろう。こうやって人は当事者であることを恐れて傍観者に甘んじるようになるのだ。

8. 脳内革命ガール / MARETU feat.初音ミク 数年ぶりに聴いたけど数年ぶりにちゃんと痺れた。素顔も隠すし息も殺すし人間じゃないみたいだよなあ。言い訳しないで革命起こしていきたい。れをるちゃんの声が超好き。

Ⅵ.

 心の安寧を手に入れてからも、でも、とずっと思ってはいた。それは甘えなんじゃないか。祈りが天に届くかは知らないが、同じ次元に生きている人間への気持ちを、受取拒否もされていないのに勝手に萎縮して祈って済ませるのは、自分自身は元より、そんなどでかい感情が発生するような何かを与えてくれた相手にも、そして誰かに愛を伝えきれなかった莫大な量の故人にも、顔向けできない行為なんじゃないのか。
 昔愛情を否定されたのは私が伝え方を間違えて好意を豪速球でぶん投げ続けていたからであって、その感情そのものが悪なわけではないのだから、愛情の適切な伝え方を不断に考え続けるのが真の愛なんじゃないのか。そして、友人相手にはそれができるようになったんだから、恋情を抱える相手にもそれをやったっていいんじゃないか。
 それが難しい理由は理解している。今の恋に身を焦がすようになってから、自分と恋愛について沢山考え、友人たちに相談して、自分の恋の感情が他人より大きいことを知った。そして、それはときに自分で扱えるキャパを超える。さっきからなんとなく仄めかしている前回の時も、今回もまさに。

 確かに感情を堰き止めて期待なんて湧いてくるずっと前から芽を摘んで、合理以外知らないような澄ました顔をして生きるのは楽だ、楽なのだ。楽だし、少なくとも感情的な話に共感を寄せられず眉をひそめられる以外の文脈では他人に嫌な思いをさせない。たまにやってしまうの、自覚はあるのです、ごめんなさい。
  でも、私は言いたい。好きだと言いたい。愛は祈りだなんて額面通りに考えた私がふざけていたのだ、だってタイトルは好き好き大好き超愛してるだし、中は死に蝕まれる恋人と彼女への愛情にひたすら向き合い続ける男の話なのだ。

9. Can you keep a secret? / 宇多田ヒカル 宇多田ヒカルでさえきみの理想に近づきたいとか思うなら、全人類自信なんて持てなくても仕方ないよね。
10. 愛を伝えたいだとか / あいみょん きみの愛してるが聞きたいなんてわがままは言わないけど、ばらの花には願い込めたい派。あと日が暮れていようが会えるだけ羨ましい。

Ⅶ.

 この扉を再び開けることは、完成させて長い自分の内面と外側との間にあるダムをぶち壊すことを意味していて、それは自分の心臓の柔らかい部分をまんまと外界に晒すことと同義だ。相手と接触しない片思いだけでこんな無様なのに、伝えることを試み始めたらどうなるかは目に見えている。
 ただ、正しさの高みで生きるのは、世界一正しくない感情である恋を抱えたとき、思った以上にただ悲しいことなのだ。論理を中心に生きるまま、正しくない状態で好きな人に向き合うのは不可能だ。すぐさま穴に入ってナイフで自分の心臓をひと刺ししたくなる。
 でも、相手に向き合わないと、その人に好きになってもらうことはできない。三島はありのままで好きになってもらおうなんて甘えるなと言っていたが、私は仮面を被るなんて甘えるなと申し上げたい。その隠した部分に詰まっているものが自身や相手の心を壊すのだと。

 思考の末たどり着いた正しさのことをこう表現する日が来るとは思わなかったが、正しいだけの人生はそうやって常に傍観者に転落しかねない。いつも人生の当事者として生きるということは、自分の正しくない気持ちにも向き合うことをも意味するからだ。
 いつだってコンテンツ化した他者に触れられる今のご時世、常に当事者を回避せず生きるのはめちゃくちゃ難しい。それでも、もう据え膳の完成を待つのはやめなければいけない。恋の感情がどれだけ獰猛で美しくなくて強烈なものか、本当は嫌になる程承知しているのだ。戦略は皆無だし、答えはないし、それでも林檎に高いタダの論理なんて笑われないように、感情を受け止めて精々無様に踊り狂って死なねばならない。私は人間でいたいのだ。きちんと傷つけられたい。

11. 群青日和 / 東京事変 この人の歌だけ集めてレポートを書いたことがある。分析しがいのある歌詞。常に人生の当事者であり続けるように教えてくれる人。でも絶対この人は戦略を持って口説き口説かれに行くタイプだと思う。

 まあ傷つくのはそこまで辛くない。いやめちゃくちゃ辛いけど、傷付ける覚悟を決めるよりはよっぽど容易だ。でも、自分が全く取り繕えないくらい自分のまま真剣に他人と向き合う行為は、少なからず相手を傷つける可能性を孕む。一歩足を滑らすとナイフのような鋭さでかつ戦車みたいな重さの愛をそのまま相手にぶつけてしまいかねない。
 それでも、言い訳をしたくないと思った。今更正しくない自分は好きになれないので、付き合いたいという無責任な欲にはいまだに嫌悪を覚えてしまうが、帰着する関係性の名前は本気でどうでもよいので適切に関係を築いて好意をきちんと伝えたい。それが、私の中の矛盾した理性と感情の妥協点であり、現在の私が踏み出せる最高到達点だ。

 安全地帯に居たい気持ちも多分にあるし、それが正解なのかもしれない、わからない。でもだって、超愛してるんだよ。この気持ちを、とは言わずとも、この気持ちを与えてくれた感謝は伝えたい。なんたって、私は彼女を好きになってから人生がそれこそ死んでしまいそうなほど楽しい。世界の隅っこでいいし、どんなに格好悪くてもいいので、ちゃんと好きだと叫びたい。それでないと、きっと生きている意味がない。何年も積み上げた論理の雁字搦めから抜け出させるほどでかい感情を心臓にぶち込んでくれた意味がない。

12. LA・LA・LA LOVE SONG / 久保田利伸 J-POPのラブソングというと個人的にはこれ。絢香バージョンが好き。勇気をくれた君に照れてる場合じゃないから、なんて刺さりすぎるからやめてほしい。

 そんなわけで、人生の、恋の当事者として、きちんと目抜き通りを歩いて生きようと思った次第なのだ。
 はにかみながら怒ったって目を伏せながら笑ったってつまらない。もっと踊ろう。そう言葉を紡いでくれた人間は夭逝してしまったが、私も散々躓いたダンスをもう一度踊りたい。訃報を受けて久々に聴きに行った。十四歳のときは何もわからなかったが、今は泣きたくなるほどわかる、くるくる回る世界に酔いながら死ぬことがいかに幸せか。キュッとしちゃった心の音も脳内麻薬が切れるまでは絶対に忘れないし、終末感にクラッとしてもさよならお元気での瞬間まで楽しんで生きていたい。
 もう一度ダンスホールに戻ろうとするピエロのような私を、神様は許してくれるだろうか。

13. ワールズエンド・ダンスホール / wowaka この曲を知ったときは暗い気分になるからあんまり好きじゃなかった。いつの間にか救われるようになっていた。一言ひとことが秀逸、私も傍観者レースから抜け出したい。

Ⅷ.

 随分と長い独白をしてしまった。何年も体の中で病気していた臓器を自分の手で取り出して洗ったみたいな気持ちだ。腐りかけの部分を自分で治療するのは骨が折れるもので、かれこれもう十二時間机の前に座っている。
 抜け殻になった気分で、ふと、私にこの一万字を吐き出させる想いを抱かせた人間のことを思い出した。彼女のことを考えるとすぐに出てきたどろりとしたヘドロのような自己嫌悪や近づいてはいけないという強迫観念は少し減った気がするし、心の中の純真な少女がぽぽっと頬を染めている気さえする。いつだって私は言語化で救われる。
 ところで、吐き出させる、というのは責任を投げる響きがあってよくないかもしれない。彼女の存在が起爆剤だっただけで、これは私が私の意志で紡いだ、私の平成最後数年間を弔う追悼文であり、新しい令和時代に向けた決意表明である。
 といっても、好きな人と同じ街に住むのももうあと二ヶ月くらいのもので、あと何回話せるかもわからない。まあそれでも、せいぜい見苦しく足掻こうと思う。敬愛するアーティストの言葉を借りるなら、花火になろうと思うのです。
 何もかもに萎縮する私は平成の世に置いていこう。自己責任で、自分のために、人生の当事者としてきちんと生きたい。せっかく恋なんてご大層な気持ちを抱けたのだから。

14. 風吹けば恋 / チャットモンチー ぱっと見、私はこのくらいのメンタルで恋できる人間に見えると思う。切実にこうなりたい。いけ、いけ、わたしの両足!

 ここまで読んでくれた貴方!(もし居たら。)
 有難うございます。欧州居住の方、一万字読了証の代わりに、珈琲を一杯ご馳走させてください。日本の方は文字でお話出来たら嬉しいです。その忍耐力に敬意を表すると共に、ぜひ本文のご感想、貴方の平成時代のこと、そして我々で作る新しい時代について、とっぷりと聞かせて頂きたいです。ご連絡お待ちしています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?